昨年の5月に、母の兄である伯父が旅立った。

伯父は子供がいなかった。

私がまだ小学生の頃から、母は私に「先ではあなたが伯父さんの事を見ないといけないよ」と言っていた。

そして、私はそれを当たり前のように受け止めていた。従姉妹達の誰よりも自分が可愛がられている自覚があったから。


でも、伯父はとても器用な人で家事も自分でこなせたから、一人で自由な生活を楽しんでるようだった。釣りや登山や気の会う友人や、少しも寂しくなさそうで、私の出番は回ってこないよと、安心してのんびり構えてた。

生まれ故郷の土地と、伯父も若い頃に過ごしていた、私達がいる土地にも家を持ち、半年毎に車と阪九フェリーで行ったり来たり、

本当に自由な日々を過ごしていたと思う。85 歳を迎えるまで。


ある日、伯母から電話がかかった。

伯父が転倒して、怪我をしたと、


妹と二人で待つ、コロナ禍で誰もいない新幹線のプラットホーム、従姉妹に付き添われた伯父が降りてきた。

おぼつかない足取りで。


それからの五年間、迷いながらも決断した透析を受ける日々、車も運転免許証も手放して、出掛ける先は病院とデイサービス、

丸っきり変わってしまった生活、

でも伯父は弱音も文句も言わなかった。気が利かない私の世話を受けると決めてから、覚悟を決めたのかな。

肺炎で入院した次の日に、周りが驚くほどあっさりと旅立って行った。


時々思うのは、私がもう少し楽しい日々を伯父に提供できれば、もう少し此処に留まっていてくれたのかな?


「出来なかったことを考えても仕方がない」

出来ることを一生懸命やってきた伯父はそう言ってくれると思うけど。


そして今月、父も

転倒して骨折、手術をしリハビリ、退院となるはずだったのに


二人ともあっさりし過ぎてない?と

妹と話す。

年数で数えれば十分に生きたと言われるだろうけど。

伯父の91年と、父の85年

私達が知っているのは、多分その中のほんの一部分だろうね。


妹がいてくれて良かったと思う。

同じ思い出を振り返れる。

そのほとんどが

まるで当たり前というような

優しくて温かい日々を


ありがとう。

ちゃんと言えなくて

ごめんね。