太田良彰、昭和58年6月11日生まれ、浜松市(旧浜北市)出身。
ヤマハジュビロサッカースクールJrユース-ジュビロ磐田ユースと、ジュビロ磐田のアカデミー育ち。

矢野貴章、昭和59年4月5日生まれ、浜松市(旧浜北市)出身。
中学時代はヤマハジュビロSS浜北ジュニアユースでサッカーを学ぶ。

この2人は奇しくも、去年初夏、同じ〝選択〟をしようとしました。
所属クラブを退団して、ヨーロッパのクラブへ移籍するという道です。

但し、彼らは特定のチームからの獲得オファーがあって、それに応えての欧州挑戦ではありませんでした。
〝当て〟が無いのに退団して“どこか私を獲得してください”という手順です。
つまり、転職先が決まっていないのにも拘わらず、取りあえず辞表を提出して、それから再就職活動を始めるようなもの。
第三者から見れば〝リスキー〟な人生選択です。


さて、最終的には、太田と矢野が違う選択をすることになったのは皆さん御承知の通り。
片や、ヨーロッパ挑戦を断念し、アルビレックスでプレーし続けることを決断―
片や、ジュビロを退団して、欧州のクラブに自らを売り込むことを決断―
そして後者のサッカー選手は、遂に欧州のどのクラブとも契約できず、1ヶ月前にベガルタ仙台へ入団することと相成りました。

太田は、磐田を去るに際して、ジュビロサポーターにこう決意表明しています
<夢であったヨーロッパへチャレンジすることを決めました。
向こうで必ず成功してきますので、これからも応援よろしくお願いします。>

結果論ですが、彼は〝成功〟せずに、Jリーグに舞い戻ったことになります。
彼の兄であるジェフU千葉所属の太田圭輔のブログに、弟の欧州挑戦の事情が書かれているんですが、それによれば<7月にヨーロッパに行ったけど、ヨーロッパはシーズンが始まったばかりで補強はどこも終わっていて、正式なテストを受けれたのは2チームくらいだったみたいで>との由。
こう書いては酷だけど、事前の準備=入団テストを受けられるクラブのリストアップ作業等が疎か過ぎたように感じます。
まあ、仮に10チームくらい入団試験を受けたとしても、合格できていたかどうか分かりませんがね。


で、太田のこの件を知り、矢野貴章が新潟を退団していたならば果たして?……とつい想像してしまいます。
今更、そんなことを脳内シュミレーションしても詮無きことだけど、キショーはどこかと契約を結べていたんでしょうか?
それとも太田の〝二の舞〟のようになっていたのか?

もしも〝浪人〟となったら、Jリーグへの復帰を決意したのか?
その場合は、アルビへ戻るのか?たとえば故郷のチームである磐田に入団するのか?


オファーがあって移籍しても、満足に試合に出られず、Jリーグに舞い戻ってくる日本人選手は少なくありません。
いや、そういう例が多数派です。
こういう過去例を考えると、入団の〝当て〟もなくヨーロッパのクラブに―というのは、相当に困難な〝ルート〟なのかもしれませんね。

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