本編で触れました、土浦武器学校。
こちらは見学は要予約だったので、12月ギリギリで予約を入れ何とか間に合い、当日行ってみると・・・
なんと見学者は私達だけでした(^^;
案内の自衛官の方が、終始付きっ切りでガイドしれくれます(まあ見張りの意味合いが大でしょうけど(^^;)のですが、貸し切り状態でした。
まず案内されたのは火砲館。
いわゆる大砲が展示されてます。
先日お亡くなりになられた、松本零士氏のサイン色紙があったりします。
私はヤマトや999よりも「男おいどん」が一番好きでしたね~。
案内役の自衛官の方も、ド素人の私達にも分かり易く説明して下さいました。
例えば、この尾栓。
砲弾の爆発力を受け止める部分なんですが、初期は板状のものをスライドさせて塞いでいたと。
より遠くに砲弾飛ばすには、火薬量を多くするんですが、尾栓が弱いと火薬量も多くできない。
板状のものだと強度とか密閉性とか問題があって、次に出てきたものが・・・
「隔螺式」。
詳しくはwiki先生に・・・
正直、航空戦力が発達した現代では、この手の野砲って時代遅れだと思ってたのですが・・・
今も進行中のウクライナ戦争では野砲が大活躍!
ゼレンスキー大統領が野砲くれくれ言ってたのも記憶に新しい。
地対空ミサイルが発達し過ぎて、航空機が使えないから・・・らしいです。
今や大砲の撃ち合い、塹壕戦、と第1次世界大戦の再現になってる・・・らしいです。
で、表に出まして隣にある89式戦車と3式戦車を見学しました。
89式中戦車乙型。1928年から開発始まったとwiki先生に書いてありました。
小さい戦車かと思ってましたが、近くで見るとやっぱデカイですね。
これはレストアして可動状態であることは知っていましたが、エンジンはオリジナルの空冷直列6気筒ディーゼルではなく、スバル製のエンジンを積んでるとの説明でした。
フレームに装甲版をリベット留めしてる型式。建物で言えば在来工法?(^^;
リベットは敵の砲弾受けると、装甲板が貫通しなくても衝撃でリベットの頭が引き千切れて車内を飛び回る危険があるので廃れたそうです。
スリットが何か所か見えますが、その役目は社内の灯り取りだそうです。へーです。
蓋のようなものはピストルボード。
そのお隣が、より近代的な3式中戦車。1944年から試作。総生産166両の内現存はこの1両のみ。
本土決戦用に温存したまま終戦を迎えたため実戦未経験に終わりました。
車体は既存の一式中戦車のものを使用し、75㎜野砲をそのまま載せた、割とやっつけ仕事仕様。(対シャーマン米戦車用?)
本命は開発中の4式・5式戦車で、それまでのツナギの立ち位置。
どことなくZ1-Rや3MAと被って見えるのは気のせいでしょうか?(^^;
現代の戦車と同じく、溶接車体・砲塔となっております。建物で言えばパネル工法?(^^;
やはりスリットが見えますね。
駆動系のケースが割れてますが、最初から割れていたわけではなく、レストア後割れちゃったそうです。
戦争末期の開発製造なんで、材質は供出の鍋とか釜とかを溶かして作った粗悪なものが使われていたからではないかとのこと。
うーむ・・・であります。
因みに3式中戦車は、残念ながら非可動です。
エンジンは空冷V12気筒ディーゼル。
素人は簡単にレストア出来ないものなのかな?と思いますが・・・
予算が無いとのことです・・・
今回の旅の私の一番の目的は3式中戦車を詣でる事でしたから、感無量でした!
次は小火器コーナーですが・・・
つづくであります!(`・ω・´)ゞ