アルフレッド・ウォリスという画家がいる。

たまたま、彼の絵を見ることがあった。

それは、今まで見たどれよりも躍動感があり、

危機迫る感触さえ覚えた。

一瞬にして、魅了されてしまった。


この画家は、最初から画家を目指していたわけではない。

多分、画家と認識された時にも、彼はそう感じていなかったかもしれない。

何故なら、彼はそれまで、漁師だったからだ。

イギリスのセントアイブスという静かな港町だ。

妻と一緒に、穏やかな日々を過ごしていた。

67歳まで。

彼の妻というのが、彼の友達の母親であり、

21歳年上だ。当然のことではあるが、67歳の時に、

妻は老衰で逝ってしまった。

それがきっかけとなり、70歳の頃から絵を書くようになる。

彼が描いたものは、漁師時代に見た船であり、海であった。

そして、キャンパスにではなく、ダンボールや廃材に描いた。

船用のペンキを使って。


彼の絵は、有名な画家の様な上手さや巧みさはないかもしれない。

だけど、その絵から感じ取れる躍動感は不思議なほどに人を惹き付ける。

彼の絵を展示すると瞬時にして、人が群がるそうだ。

その気持ちはわかる。

いつまでも見ていたいと思う絵だ。


そんな彼が、何の為に書いたのだろう。

最愛の妻をなくして、生きる気力をなくした筈だ。

解ってはいたとしても、妻が死んだ後、彼は激しく動揺したはずだ。

だから、絵を描いたのか。

幸せだったころの映像を写していたのだ。

妻との思い出をなぞっていたのかも知れない。

彼自身が、死なないために。

彼自身が、生きていくために。

彼の絵は、彼の命そのもののだ。

だから、こんなに惹かれるのかもしれない。


ある作家がこんなことを言っていたのを思い出す。

「私は、死なないために書いている。

自殺しないために書いている。」

必死に自分と向き合っている、向き合おうとしている人の言葉だ。

人の心を本当に、動かすのは、命そのものに触れた時かもしれない。

これから生きていくために、私にとって必要な哲学だと思った。

死なない為に何かをする。

生きる為に何かをする。

ウォリスの絵は、生きることそのものを突きつけてくれる絵だった。

そんな絵を見たのは初めてだった。

嫌いです。

なんでだろう・・・。

歯が少々痛くても、我慢しようと思ってしまう。

しかし、さすがに大きな穴を発見し、夫に早く行けと言われ、

行くことにした。


1回目はまだ良かった。

麻酔はしないし、歯垢を取ってくれて歯も綺麗になった。

レントゲンと問診と治療計画と。

いきなりがっつりは直さない。

だいたい、私の様な病状が出たとき、

歯医者や美容院って実は、キモンだったりする。

それ専用の美容院や歯医者まであるくらい。

何故、苦手かというと、途中で止めたいといっても、

止められないというのが大きな要因だ。

シャンプーしてる途中に泡だらけで止められないし、

カラー中には尚更止められない。

家に直ぐ帰るわけにもいかない。

美容院のスタッフにも何と説明すればよいのやら・・・。

(普通の事が辛くなる時がある。脳の分泌液のせいらしいけど。)


歯医者も同様。

一度治療が始まると、終わるまでは止められない。

そうした閉塞感が、不安な心を呼び起こし、それが体に跳ね返ってくる。

動機だったり、脂汗だったり、不快な居心地与え、自信を奪い去っていく。

つまり、美容院や歯医者に行くことがとってもストレスになるというわけ。


私自身、美容院は平気だったが、

歯医者は少し不安まじりだった。

特に、麻酔。

久し振りということもあるし、それ自体に恐怖心があるから尚更である。


しかし、そういうわけにもゆかず、

麻酔を打って治療が始まった。

そもそも不安交じりで、苦手な麻酔ということもあり、

変な感じになってきた。

心臓はドキドキするし、既に、治療を続ける気力がなくなってきた。

そんな様子を見て、歯医者さんが言う。


「麻酔には、血管を縮める作用があるので、少し胸は

ドキドキしますが、心配ないですー。」


そっか。これは平気なんだ。落ち着け私。
と思いつついいつつ、手に脂汗。

手自体が震えてきた・・・。


「大丈夫ですか??気分が悪かったら、絶対に無理しないで下さい。

ちょっと、休憩しましょう。」


た、助かった。

よれよれになりながら、体を起こす。

恐ろしく手が震えている。

息も浅く、顔色が悪いのが何となくわかる。

止めたい。でも、歯が痛いの葛藤の末、再チャレンジ。


とにかく、何かに集中しようと頭の中で、数を数える。

それもフランス語で。

思考能力をフル回転させる。

しばらくしたら落ち着いてきた。

こういう時は、波がある。

発狂しそうなほどに辛かったり、少し落ち着いたり。

少し落ち着いたときに、歯医者さんの必死の形相が見えた。


ちょっと、待て。

何だか、私ばっかりしんどい思いをして治療を続けていると

思ったが、この私のペースに合わせて治療をする歯医者さんも

大変なんではないか?

看護婦さんも必死だ。

私以外の患者と私と何回も往復している。

私に不安を持たせないように、迅速かつ丁寧に作業をしなければならない。

私だけじゃないんだな。

私に関わったことにより、頑張ってくれている人がいる。

何かしら、影響を与えている。

それが、例え、仕事だとしても。

あー治療がやり易くなるように、頑張らないと。

(口あけるぞー!!)

そんな様子を見て、ぴたりと不安感がとまってしまい、

変な感じも急速になくなっていった。


もともと、職場でこんな状況が続いたから、退職した。

その時は、誰も気にしなかったし、気がつく余裕もなかった。

だから、いられなくなったんだなとしみじみ思った。


歯医者だし、相手は医者だ。

だから、色んなこと患者を診てきているし、状況もあったんだろうけど。

人というのは、出会う人によって変わるんだなと思った。

とても、感謝だった。

治療の前にちゃんと自分の症状を伝えておいて

良かったとも思った。

案外、対処できるもんだ。


治療が終わったあとは、ただただ歯が痛いのと、

麻酔の変な感じのみで終わった。


そして、また、自分にも自信をつけることができた。

これからも、色んな人に会うだろうし、

色んな体験をするだろう。

誰もが自分の当たり前と同じではない。

色んな状況や背負ってきたものがあるのだから。

何だかとても、清々しい気持ちになれた。

そして、改めて、感謝を感じたのだった。

ある番組を見ていた時のこと。

田舎にある有名人が訪ねていくという設定。

その田舎というのが、本当に田舎である。

ほとんどを自給自足でまかない、

朝日とともに起きて、夜は就寝するというスタイル。

そんな生活を垣間見て、こんなコメントを寄せていた。

「都会から来ると余計解るのかもしれないが、 生活に無駄がない。

シンプルさが心もシンプルにする。

都会に生きている人は、無駄なことをする人が多い。」

そう答えいている有名人のニット帽子がエルメスだった。

話を聞いているのは、普通の田舎のおいちゃんだ。

その対比がとても感慨深かった。


かくいう私も農家では無かったが、田舎出身だ。

おのぼりさんとはこのことだ。

まず、大学になるまで自動改札は経験していなかったし、

そもそも電車や地下鉄が頻繁に通っていない。

地下鉄に関しては、見るのも乗るのも初めてだった。

そんな場所である。

ゆえに、就職先もなく田舎を離れて現在に至っているわけである。


一概に、田舎というのにもランキングがある。

群馬や埼玉など首都圏ではないにしても、

わりと首都圏に近い関東圏は、田舎とは言い切れない気がする。

いくら、田畑が広がっていようが、無人駅だろうが、

1時間から2時間の電車の旅で、首都圏にくることができる。

僻地とまでは行かないが、そうはいかないのが本当の田舎だ。

そういったところでは、物欲が少なくなる。

高いヒールを履いて、おしゃれしてそれはそれで楽しいが、

やはりそんな格好は、首都圏の夜のバーなんかが良く似合う。

カンカン照りの太陽と、山や川に囲まれた場所では、

お気に入りのスニーカーにジーパンさえあれば充分な気がしてしまう。

本当に、シンプルになってしまう。

場所の景観やライフスタイルの変化に応じた施設が少ないからだ。


首都圏と田舎暮らしの圧倒的な違いは、

情報量とライフスタイルの枝分かれが少ないことだ。

それなりに格差はあるにしろ、皆わりと似たり寄ったりの生活をしている。

大きなドリームがあるわけではないが、へこみも少ないということだ。

何かと比べる対象もすくなく、選択肢に悩む必要もないのだ。

その代わり、変化等はすくなかったりする。


情報というのは、時に毒にもなる。

シンプルすぎるものを貫きすぎても、頑固になって、幅が狭くなってしまう。

このバランスをどうとるかが、イゴゴチの良さを決めるのだろう。


実は、どこに住んでいるかは関係ないのかも知れない。

だけど、健全な生活は自然と健全な心をもたらすことも事実だ。

情報に飲まれず、利用する。

人と比較せず、一つの生き方だと悟る。

バランスを見つけることが必要なのかもしれない。


さて、有名人はそんな事を言いながら、

ここでは暮らしていけないだろうなと実感してしまった。

今の自分の場所をとても気に入いる。

築き上げている。

それが、エルメスのニット帽に凝縮されている気がした。

またフランス関連。

DVDを返しに行ったところ、非常に興味深いものを発見。

「パリ ルーヴル美術館の秘密」

いわずと知れた大きな美術館。

世界最大ともいえる所蔵品の数々。

ルーヴル美術館は、パリにとって特別というより

世界にとって特別な美術館である。

その裏側を日常を解説も何もなく、

ただ職員が会話している日常の風景をただ単に映し出したもの。


見始めて一番最初に驚いたのは、電話のやり取り。

受付に何本もの問い合わせらしき電話が掛かってくる。

そこでのやりとりだ。

「アロー。ボンジュール。

その件でしたら、古代オリエント部に問い合わせ願います。

番号は、06.98・・・・・です。」

古代オリエント部???!!!

なんちゅう部署だ。

確かに古代オリエントの作品があるけれども。

ルーヴルの作品を全て見ようとすると、3ヶ月は掛かる等と言われるくらい、

広い。何たって、ヴェルサイユに宮殿が移されるまで、

そこが中心だったのだ。

広いのは当然、そこに郵送される郵便は、ローラーブレードで

運ばれる。日本では、考えられない。

(パリのローラーブレードは有名)

発想が面白い。


また、職員の制服も独特。

アルマーニだかイヴ・サンローランだかのもの。

さしずめモリ・ハナエという感じか。

しかし、そこで移民の国と言われる発言も。

色んな意味でカルチャーショックを受ける。


フランス人は、プライドが高いと言われている。

英語を喋ろうとしないとか。

道を聞いたけど、教えてくれないとか。

それも、何となく理解ができる気がした。

ルーヴル美術館と大きく関わっている気がした。

その文化の歴史とそれを今も守り続けていること。

自国だけでなく様々な芸術家や文化人のインスピレーションの場として、

今も尚、最古にして最先端である場所なのだ。

その誇りが生まれた時から染み付いているのではないか。


かつてのピカソやゴッホの様に、

世界中から芸術家がこぞってパリを目指した。

芸術家が芸術家を呼ぶ。

今もなお、そういう街なのだ。


そういえば、美術館の職員の人、

素手で作品を触っていた。

作品と人との距離が近いのも特徴だ。

落書きする隙もない。

(私はしません!しかし、残念な事に日本にはそういうことが多いので・・・。)

そんな雰囲気ではない。

圧倒的な強さを歴史と佇まいに、息が上がりそうになる。

そんな場所だ。


パリ・ルーヴル美術館の秘密/ドキュメンタリー映画
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フランス映画を見た。

字幕で生でフランス語を聞き取るという勉強にもなる。

ところどころ、断片的に聞き取れるところや、

単語等があると嬉しくなる。

だけど、言葉ばっかりに気を取られていると、

内容の理解が遅れがちになってしまったりして、

内容に夢中になってしまえば、言葉なんて

そっちのけで、字幕、映像全てで映画の世界に

入ってしまう。


そんな映画の中の字幕や俳優が言っている言葉を聞いて、

言葉のニュアンスの面白さを改めて感じてしまった。

例えば、「je ne sais pas」(知らない)という言葉。

訳語されると、言っている人間が男か女か

それに年配か若年かによって、

「そんなの知らないわ。」とか、

「知らない。」とか

「知らないよ。」とか。

様々なニュアンスで字幕が現れる。

だけど、フランス語だとどんな人が言おうとも、

「je ne sais pas」が繰り返されるのみ。

(砕けた言い方もあるけど、基本的に。)

日本語が豊かというのは、こういうことなのだ。

表現の仕方として、とても選択肢が広い。

音として聞かなくても、書き言葉のみで

大体どんな人が発した言葉なのか、予測できる。


フランス語を含むラテン語には、女性名詞、

男性名詞があるが、それも同様の事なのだろう。

聞いただけで、見ただけで、女性にまつわることか

男性にまつわることかすぐに理解できる。

だけど、子供か大人か何をしている人か

なんていうことまでは難しい。

スペルの発音の仕方で出身がわかるなんて

いうのも聞いたことがあるから全てではないにしても。


それにくらべ、日本語は表現の選択しが多い。

だから、字幕も変化があるのだろう。

見ている方も明きがこない。

しかし、それのせいかしゃべり言葉となると逆だ。

日本語は音が少ない。

基本的には、ひらがなをしゃべれればうまくいく。

舌を巻いたり、口を突き出したりなんていう発音はない。

どちらかというと、平坦。

世界の言語の中で中国語とフランス語は美しいといわれる。

フランス語をかじってみて思うが、確かにそうだ。

美しい。

単語にはそれぞれ一定のリズムがあり、発音にはそれが一番大事だ。

規則的なリズムでの発音がとても豊かである。

フレーズとしての表現は少ないかもしれないが、

その分、音の上げ・下げや言い方が幅広い。


顔の筋肉がそのまま、アジア人と欧州人の違いかと

思うほど顔の口の筋肉を使う。

外国語が難しいのは、発音なのかも知れない。

日本語では舌など巻かない。


中国語もこもった音を使う。

実は、音が綺麗だなと思う。

ウーロン茶のCMを見ていてもそうだ。

古の匂いがとても良い。


英語はビジネスのイメージがある。

クールで実用的な感じ。

(できるようになりたいと思う日々だが。)


言語には、それぞれの特徴があり

その特徴がまた機能性に影響している。

それぞれが美しいものなのだ。

他言語を勉強してみて、そんなことを感じられた。

それに気づけたことが、他言語を学んで得られた大きな事かもしれない。

見つけました。

ひっさしぶりのヒット。

漫画であって、漫画でありません。

共感する女子は少なくないはずです。


それは、あまりにリアルで、

あまりにシニカルで

笑えるのだけど、泣けてしまう。

きっかけは、あるサイトを見ていた時、

その主人公にどれだけ似ているか判定しましょうとのこと。

それで、その漫画を知ったのだ。

独特の絵と作風に惹かれて、本屋へ直行。

古本屋で漫画を買うことをよしとせず、

堂々と、新刊で読んでみることにした。


主人公は、20代の女子。

北海道から状況し、東京に一人ぐらし。

家では全裸で生活をする。

定職を持たず、ハケンから夜のお仕事まで

幅広くこなす。

そんな彼女が好きになるのは何故か彼女持ちばかり。

彼女が本当に幸せになれるのはいつの事であろうか・・・。

彼女自身も自分探し真っ只中。

そして、そんな彼女は世の中に氾濫する猛禽を嫌ういながら、

ひそかに憧れるという内容。

(なんのこっちゃと言う感じだが・・・。)

そう、猛禽とは、一言で言うと男受けの良い女子。

それも昔でいうぶりっ子の進化系というか

なんていう、エッセイ風4コマ漫画だ。


割とボリュームのある内容で、読みつかれることも

あるが、読んだ後は何故か癒されてしまうという不思議な作品。


何にせよ、人間一度は自分と向き合わなければならない瞬間が

やってくる。全裸とはいえ、漫画とは言え、自分に立ち向かっている

主人公に元気をもらえる。


ありがとー!江古田ちゃん。


臨死!! 江古田ちゃん 1/瀧波 ユカリ
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臨死!!江古田ちゃん 2 (2)/瀧波 ユカリ
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原作は知っていたし、読んでいた。

前から見てみたいなとは思っていた。

主人公を演じるのはキョンキョン。

その夫役に板尾いつじさん。

娘は、鈴木杏さん。

とまあ、とても豪華なキャストだった。


この話、主題は「家族」。

母親との関係に悩み続ける主婦。

不倫をし続ける夫。

学校でいじめにあっている姉。

引きこもりぎみで暗めの長男。

嫌味のさえる妻の母親。

そして、弟の家庭教師として家に上がりこんでくる夫の不倫相手。

それぞれに問題を抱えている。


だけど、一見この家に問題なんてなさそうに見える。

それは、ある約束がなされているから。

「家族同士で絶対に秘密を持たないこと。」

それぞれが秘密を持ちながら、秘密を持ってないふりをして

努めて明るい毎日が繰り返される。

夫に不倫相手がいることも、娘が学校に行くふりをしていることも

全てを知らないふりでやり過ごす。

そんな場面から始まった。

そしてそんな主人公の大きな嘘が、

家族そのものだ。

計画的に母親から逃れるために家族を作った。

計画的に。


うまくいっているかの家庭も

夫の不倫相手が家庭教師として、家にやってきたあたりから

壊れている家庭の断面を見せ始める。

不倫相手の夫は、必死で妻に見破られない様に、

不倫相手に嘘をつく。

夫はいくら不倫をしようとも、離婚する気がないことがわかる。

ばかばかしい嘘をついても、例え情けなくても

条件反射として家庭を手放す気がないことが伝わってきた。

だけど、その家庭が夫にとっては重荷になることもあるのだ。

そして、主人公も主人公で長年の鬱積を母親にぶつけ始める。

「お願いだから死んで」

と真顔で母親に言う言葉は、それまでの

憎しみと愛情が一気に放出されていた。

むしろ、愛して欲しかったという気持ちが悲しみに変わった瞬間。


だけど、母親に愛されてなかったと

思っていた主人公だが、自分の兄から意外な事を聞く。

母親からはいつもお前の話しか聞かない。

仲が良いじゃないかと。

それに驚きを隠せない。

主人公は、母親に思われていたのだろう。

本人は、案外わからないものなのだ。


夫でも子供でも両親でも、

家族はいつも良い時ばかりではない。

むしろ、重荷に感じ、大事にしなければという思いに

つぶされそうになる時もある。

家族は大事だが、それが大きく自分の人生を

変え、ストレスに感じる時もある。

何でこうなったのか。

なんて感情は、職場ではわかない。

本当に、身近な家族や恋人の間に起こる感情だ。

大切だからこそ、愛されたいからこそ起こる

感情なのかもしれない。

だから、愛情と憎しみが表裏一体の様な出来事も起こるのだろう。

家族は人間同士の集まりだ。

良いときもあれば、悪いときもある。

家族は支えではあるけれども、

自分の道は自分でしっかりと歩いて行かなければならないのではないか。

自分の行動が全て家族の責任とは言い切れないのだ。

そんな事をあらためて思った。

印象に残る作品だった。


空中庭園 通常版/小泉今日子
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私には、今年91歳になる祖母がいる。

ありがたい事に、寝たきりにもならず

生きてくれている。


多少、年齢的な事もあって、健忘症や

血圧や全く健康でというわけにはいかない。

だから、家で生活するというよりは、

家で3日程度(母と叔母が見る)、老人施設で4日程度

というスパンで生活をしている。

ところが、最近、健忘症がひどくなったせいか、

夜中にごそごそしたり、鼻を大きい音で

噛んだり、もごもご言ったり、

同室のおばあちゃん達から苦情が出たそうだ。


あまりにもその行動がオーバーだという事で、

施設の人が精神科に連れて行った。

それで、処方された薬はどうやら、精神を安定させる為の

ものだったらしいが、それを飲み始めてから、祖母の様子が

変わった。


母は、それに気づき色々と相談をしてくる。

何せ、話をしなくなったのだ。

今までは、私と軽い話なら電話でしていた。

(元気?寒い?等)

なのに、明らかに最近は元気がない。

電話に出れない。

また、施設から家に帰る道で母と施設の事等、

しゃべっていたのにも関わらず、最近では

その話もしないらしいのだ。

気分の落ち込みは激しいというのか・・・。

鬱というのか・・・。


それで、薬の事や状況やらを医師等に説明して、

薬を少し減らしてもらったらしい。

だけど、それでも、気分の落ち込みは変わらないとの事。


そして、医師からは、

「おとなしくしていないと、施設にいられなくなるのでは・・・。」とも。


施設や病院から見れば、一老人かもしれない。

医師だって、何も意地悪で言っている訳ではないだろう。

だけど、まるで生命維持だけを

施されているようで悩ましく思ってしまう。


どうにかならないのか。


いくつになっても、祖母は祖母のままでいて欲しい。

周りの状況に祖母を合わせるのではなくて。

だけど、そんな事を言える資格は私にはないし、

実際、面倒を見る人からすると、綺麗ゴトと見えるだろう。


何もできないかもしれない。

だけど、体が許す限り長生きして欲しいと心から思う。

いつか祖母が作ってくれたカレーの味を思い出しながら。

もう、この季節だ。

1年なんてあっという間だ。

この時期、イベントは目白押しだ。

夜景も手伝ってか、街も人も

どことなく楽しそうな雰囲気だ立ち込めたりする。


しかし、私は、この時期が一番好きではない。

特に、クリスマスは。

確かに、夜景は綺麗だし、楽しそうだし。

夫もいるし、特に寂しいし・・・なんてことじゃないはず。

なのに、何故か盛り上がれない。

25日が過ぎると少しホッとしたりして。

もともと天邪鬼なのだろう。

クリスマスで、あからさまに楽しんだら、

女が廃る!!

みたいな気がしてしまう。


そう、別に、どこか硬派な自分をつくろうと

してしまう・・・。

( ̄ー ̄;


でも、気になるということは

どこかで、はしゃぎたい気持ちもあるだろう。


この時期になると硬派でいるぞ!

という自分と楽しそうじゃん!という自分の葛藤に陥るのだ。

そして、こっそりケンタッキーなんぞ買ってみたりする。

(普通に、それをおかずにご飯、味噌汁で食べたり・・・。)


クリスマスは、毎年、そんな葛藤を抱えたまま

過ぎ去っていく。

そして、25日が過ぎ去るとホッとするのは、

そんな葛藤を持たなくてもよくなるからだ。

ここで、思いっきり楽しんでいるピンクな女子を見ると

思わずオトコ目線で、「可愛いとはこういうことか・・・。」

と思ってしまう。


いつものクリスマス。

私のクリスマスはそんな調子で過ぎていく。

また、今年も「クリスマスを楽しむなんて・・・。」

等と矛盾した感情を抱えたまま過ぎて行くに違いない。


ただ、夫も盛り上がるタイプでないので、

良かったが・・・。


でも、海外のクリスマスは行ってみたいな。(ドイツとかね。)

なんて思う今年のクリスマス。

今日、会社で避難器具の点検屋さんが来た。

現在、働いているビルは7階。

わりと細長くペンシルビルに近いかも知れない。

こういうビルは、火災になると怖い。

もちろん、地震が起こった時なんて、

想像したくもない・・・。


最後の手段。

それが避難器具である。

回数が高いので縄梯子等のはしご関係はついていない。

飛行機で事故にあった時、避難に使うすべり台チックなもの。

大体それは、空気を入れるものではなく、

フックの様なものを地上に落として、

道路から突き出ているところに引っ掛ける。

そして、ロープを強く引き、すべり台の様なものをつくるというもの。


大体、災害の真っ只中で、

窓からフックを落とすという仕様にも驚く。

とにかく、使うことをあまり想像されて作られていない。

お粗末きわまりないものだった。

使い方の説明を受ければ受ける程、

「何か起こったら、諦めれってことか・・・。」

そんな雰囲気が充満し始まっていたところ・・・。


一人の女性が、必死にロープの結び方や、

投げ方等の仕様について質問する人がいた。

彼女は、2児の母親である。

しかも、離婚されていて、母親だけでの

子育ての真っ最中。


何があっても、子供を置いて死ぬわけにいかない。

そんな気迫が漂っていた。

不思議なことに、途中から説明を聞かなくなったのは、

家族を持っていない人達だった。


職場で、人間の深層をカイマ見たようだった。

(子供がいるから良いとか、いないから悪いとかでなくて)


彼女のその気迫がとても頼もしく感じた。

そうだよね。

親になるってそういう事だよね。

彼女は、子供達を生かして、そして、彼らによって

生かされているんだろうな。


家庭の詳しい話はしたことはないが、

どんなに大事に思っているかが伝わってきた。

そして、一人の人間の将来を預かるという重荷も。


万が一何かあった時、家族を持たないという人々は

彼女を一番に助けようとするかも知れない。

そんな感じを受けた。

悪い感じの諦めではなかった。


どちらにせよ、

そんなお粗末な避難器具のビルでは

仕事したくない・・・。

例え、パートでもね。

その後、上司が点検会社の人に

避難器具を新しくしてもらえる様に

頼んでいた。

無理そうだけど、どうにかして欲しいよね。


何だか疲れたので、歌詞のない音楽を聴こう・・・。

不思議な音楽である。

尺八や太鼓なんかの日本の伝統的な楽器を使って

いるにも関わらず、新しい音と感覚をくれる。

軽くトリップできる。

( ̄* ̄ )

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