皆さんこんにちは、baronです。
もう11月も最後の日となってしまいました。
当たり前ですが、明日から12月、そう師走なんですね。
一年があっという間に過ぎていきます。
今日は皆さんよくご存じの、童謡「赤とんぼ」を聴いてみましょう。
夕焼小焼の赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか
十五でねえやは嫁にゆき お里のたよりも絶えはてた
夕焼小焼の赤とんぼ とまっているよ竿の先
この曲は、5時を知らせる曲だったり、テレビ番組のBGMだったり、日本人にはとても親しみのある曲ですね。
作曲は山田耕筰、作詞は三木露風、1921年に三木露風が詩を作り1927年に山田耕筰が曲を作ったと言われています。
この歌詞の背景は、三木露風の幼い頃の思い出が書かれています。
兵庫県で生まれた三木露風ですが、両親は彼が5歳の時離婚しており、露風は祖父のもとで育ちました。
ここに出てくる「ねえや」とは今で言うベビーシッターの女の子のことですが、母親が露風を心配し、知り合いに頼んだようです。ねえやを通して母の状況を知ることが出来た露風でしたが、ねえやが結婚してしまい、大好きなねえやとも母親とも引き離されてしまったさみしさがあったようです。
ねえやに背負われて見た赤とんぼが、心にしっかりと残っていたのですね。
三木露風は27歳の時、北海道トラピスト修道院で文学講師を務め、クリスチャンになりました。
4番の歌詞「とまっているよ、竿の先」で、赤とんぼがまるで十字架のようだと言った説や、赤とんぼの有り様こそが三木露風だ、など受け取る人にさまざまな想いを呼びおこさせる歌詞ですね。
今日もお付き合いくださりありがとうございました。
皆さんにとって素敵な一日になりますように。
次回も音楽を楽しみましょう。
またね。