ちょっと日にちが経ってしまいましたが、
8/15、月組公演千穐楽ライブ配信を視聴しました。

「桜嵐記」
幸運なことに何度か東京宝塚劇場で観劇できる機会がありました。

大劇場千穐楽をライブ配信視聴していましたが、生の舞台はさらに素晴らしく、観れば観るほどなんてよくできているんだろうと思うばかり。

日曜のライブ配信でもそのことを実感しましたが、観ていて「ああこのときのあの人の表情も見たい」と思うことが何度もあり、それだけすべての生徒、月組全員が生かされていたオリジナルの最高峰でもあったことをあらためて感じます。

特に生で観て、つい目がいってしまった暁千星さんの後村上天皇。高貴な佇まい、抑えたお芝居とそこからにじみ出る華やかさ。
出陣式の歌と最後の呼びかけの表情が忘れられません。配信では最後に袖を振り上げるところが映らなかったのが残念だったのですが、それだけ劇場で目がいってしまっていたんだなと実感しました。
どこかアイドル的なイメージもあった彼女の味わい深いお芝居、この役は大きな財産になったのではないかなと思います。

隅から隅までひとりひとりが生かされていて重なるお芝居の中でトップコンビが輝く。それはかつて観ていた宝塚が甦ってくるような感覚でした。

若くしてのトップ就任に色々な声もあり、月組自体にも色々なことがあったと思うけれど、結果としてトップスターの上級生が多く存在し、下級生時代から見てくれていたひとたちと共に舞台にたってきた近い学年、そして下級生がひとつになって作品を創ることができたこと。
ともすれば組長の次はトップスターが一番上級生というケースもある今の宝塚では稀なケースかもしれませんが、かつては上からも下からもトップを支える構造がもっとありました。

以前シメさんがスカステのインタビューで「私たちのときは下級生の頃から見ていてくれた上級生のもとで、新人公演を共にした仲間と一緒にトップ時代を過ごせた、それはとても幸せなことだったと今思う」と話されていたことを思い出します。

その組の力が皆が生きるオリジナル作品に出会ったときに何倍もの力になる。
サヨナラ公演という送り出す力が加わればさらにもっと。

誰かひとりのスターのファンということではなくても、沢山の幸せな感動する作品に出会えたのはそういう組の力があったのだと思うのです。
過去の名作というと名前があがる「川霧の橋」もウタコさんのファン以外の方にも多く愛されたのはそのオリジナルの力ゆえだと思います。

今回の「桜嵐記」
楠木三兄弟もよかったけれど、私が一番泣けたのはラスト前、聖尼庵で昔語りを終えた老年の正儀の光月さん、弁内侍の夏月さん、ジンベエの千海さん。
思わず「弁内侍様」と呼びかける正儀に「古い名を」という弁内侍。「わしの好きな名や」と笑って答える正儀(この河内弁がたまらなくいい!)
そこに現れるジンベエの千海さんの表情。この一連のお芝居で40年の歳月が胸に押し寄せて、観る度に泣けて泣けてしかたありませんでした。
もしこの3人がいなかったら、作品の厚みも味わいも違ったものになったと思います。

専科のヒロさんももちろん素晴らしかったけれど、一緒に同じ旅をしてきた上級生の存在の大きさを観れば観るほど感じました。

新しい東京宝塚劇場ができてから少しして再び観るようになった宝塚も14年。
オリジナルが少なくなり、日本物が少なくなり、、変わっていく宝塚にあの頃とは違うんだと言い聞かせながらも、あのオリジナル作品の幸福感をどこかで追い求めていた時間。

オリジナル全盛期に濃く宝塚を観ていたオールドファンのひとりとして、「桜嵐記」はもう観ることが叶わないかもしれないと半ばあきらめていた、あの頃の幸せな夢を見させてもらえた作品であり、個人的今世紀オリジナルベストワンとなりました。

素晴らしい舞台をみせてくれた今の月組とウエクミ先生に心からの感謝を。

願わくば、またこのような作品にいつか出会えたら・・・