封じられたその先 | 共感覚な日々

共感覚な日々

日常の事を徒然に書いていきます。共感覚者の私の感覚が独特に聞こえるかもしれませんが、面白い、と思って頂けるとよいです

こういうの、とても惹かれる。

 

 

朽ちかけた古い道具や建物、

もはや入って見る事が禁じられてしまった場所。

 

廃墟マニアさんたちのブログをいくつかフォローしていますが

 

そこにドラマがあり、歴史があり、

それはすっかり語られる事もなく忘れ去られ、

雨ざらしになっている所に、

寂寥を感じて、美しいと思えるのです。

 

この橋は多分、老朽化して危険だから渡れない、

取り壊す予定もない、というところなんだろうけど、

 

ずっと先は樹木のトンネルになっていて黒い闇。

著名人でも何でもない人間が死んだら、

その人の人生はきっとこんな風なんだろうな、と感じます。

 

昔何があって、何を感じてどういう人と出遭い

どんな苦しみや喜びがあったのか、

誰にもわからないまま葬られる。

 

この橋の先は、

人が入らなくなった事で草木が生い茂り、

虫たちが繁栄し、それを食む鳥たちの棲家となり、

動物たちが行き来し、

 

雨や風が地形を変えていって、

木々が倒れ、動物たちが死に、

それは土に形を変え、

また花や虫たちの棲家になる。

 

どこにも終わりがなく、そうやって時間は流れていく。        

命とはそういう物なんだと

しみじみ感じる。

 

人間が作った物だけが、時間をそこに留めている。

私が廃墟に魅力を感じるわけは、それなんだと思う。

 

新しい斬新なデザインのビルとか、それはそれでかっこいいけど、

味わいがないから何の愛着も湧かないのだ。

 

人間に対しても、

すくすくと育ち、ほぼ順風満帆で大人になった人には、

ほぼ興味が湧かない。

 

人には見せない傷跡がある人に出遭うと、アンテナが伸びる。

そういう人たちには、廃墟に似た味わいがあるんだと思う。