音楽にまつわる諸々の習得は、言語習得によく似ていると思っています。
耳から学ぶ話し言葉、目で学ぶ読み書き、理屈で学ぶ文法。
音楽にもほぼ同様の体系と学習段階があるようで。

昨日、ラテンのジャムセッションなるものに始めて参加しました。
人により曖昧さにおいて程度の差はあれど、誰もがラテンのシキタリをよく知っているのに感心しました。
ラテンならではの言葉といえるものをよく捉えている皆さんでした。
毎日のことですが、学ぶべきことに事欠かない世の中を痛感することしきり。

五段活用などなど文法を気にせずとも日常会話には困りません。
けれど、言葉のルーツやら歴史やら使ってきた人たちのSoulやらに思いを馳せるようになると、
「ら抜き言葉」などなど、気になってくるわけで。

メイジャーキーのトニックの四和音として、迷い無くメイジャーセブンスを使ってしまうこと。
とても気になります。
昔のウタボンを見ると、けっこう厳密にメイジャー7th.コードと6th.コードを使い分けてます。
あれって、メロディーの音がそのキーの1度(CメイジャーならC音)の時には6th.を使うってことなんです。
メロが伴奏と半音でぶつかって居心地悪いですから。
ただ、6th.だと野暮ったく聞こえて困る場面もあります。
そういった時に選ぶべきは add9th.なのでしょう。
5度と9度の共鳴によって7度が潜在的に感覚され、メイジャー7th.的聴体験を実現しつつ、メロとはクラッシュしない。

さて、似た例でこれまたよく困ること。
トニックコードに長7度のベース音を配置すること。
例えばCメイジャーキーの時の C on B のような(モーダルな音楽に於いてではなく)。
それって本来は E-/B とか G/B であるべきことが多い。
ベース音と上部構造とでクラッシュすることに気がつかないからできるわけで。

これらの問題、ひいき目に見れば、
・音色の多様化により、ブツカル感を感じさせないようなアレンジもあり得る。
と言えなくはない。が、
・響きに無頓着な輩が、いい加減に多用した結果、聴衆だけでなく演奏家の耳も慣らされてしまった。
ってぇのが実際かと。

言葉と同様に、気にしなけりゃイイじゃん、ってことかもしれません。
でも「ら抜き言葉」同様に気になってしまうわけです。

ラテンの世界でも似たような話を聞き、興味深かった。
サルサの楽式にて
「モントゥーノに突入する前に1小節削って 3-2 から 2-3 にチェンジする」
という王道があるが、
それを理解できない者が増えてるらしい。
3-2 のつもりのまま演奏を続けて、リズムとハーモニックリズムがチグハグなまま進むことをよく見かけるらしい。
その譜面を見ると案の定、複縦線がオカシナ位置に書かれている。
ん~、、、これではダンスも踊りにくくなるのでは?

音楽と言葉、どちらもルーツと歴史へのリスペクトをもって、細心の注意を払いつつ付き合いたいものです。


あ、
あいかわらず
http://ameblo.jp/baritake/entry-10323676687.html
もヨロシク。