春姫道中 Final(愛知県名古屋市) | 趣味人のcolumn

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尾張名古屋を中心とした史跡散策

今日は「春姫道中 Final」を見物しに栄へ。

 

とその前に、婚礼行列が13時からなので、時間つぶしにノリタケの森へ。ノリタケは、森村市左衛門が創業した日本陶器合名会社が前身である。高級食器メーカーとして知られ、「オールドノリタケ」はコレクターズアイテムとなっている。

 

ギャラリーなど見たかったが、スケジュールの都合上またの機会に。

 

ここは産業観光施設として、敷地が無料公開されているので、市民憩いの場にもなっている。

 

創業当時のレンガ造りの建物。やたら高級なカメラを持った一団が写真を撮りまくっていたが、どうやらカメラの学校の実習のようだった。

 

ネモフィラ

 

最後にショップにちょっと寄ってみたが、500万の壷や750万の陶器の額縁など、ショップですら美術館のようで結構満足できた。

 

さて昼食のために、名古屋城に新たにできた金シャチ横丁へ。

 

義直ゾーン(初代藩主徳川義直の名を冠した飲食街)は、名古屋めしの店が中心。味噌カツやひつまぶし、名古屋コーチンなどがある。

 

予想通りどこも行列で無理だった…

 

来週から海鮮バーベキューができるようになるスペース。金シャチ横丁はまだ第一期が完成したばかりであり、様子を見て将来このスペースを名古屋の文化を発信する施設(第二期)にすることを考えているようだ。

 

東門のあたりの宗春ゾーン(尾張藩7代藩主徳川宗春の名を冠した飲食街)。アイスを買う時間すらない。

 

栄に移動して、喫茶店でサンドイッチを放り込んで、春姫道中見物開始。

 

春姫道中は、その昔名古屋城本丸御殿再建を願う団体が、市民の機運醸成を図るため始めたお祭り(運動)。尾張藩初代藩主義直に紀州浅野家の春姫が輿入れする様子を再現する。行列ははじめ17名だったが、24回目になる今回は600名以上だという。

 

しかし今回でラスト。なぜなら悲願成就で、今年ついに本丸御殿が完成するからである。イベント最後の春姫のセリフである「御殿はどこじゃー?」が言えなくなるからね。

 

浅野家の家紋。

 

春姫が主人公なので、家康といえども歩きw てか婚礼行列を通行人が容赦なく横切っている。当時ならもちろん打ち首。でも優しく手を振る上様。やさすぃ~。

 

夫の義直も歩き。

 

春姫の父浅野幸長は、婚礼を見届けることなく亡くなっているので、広島藩初代藩主である長晟が参加。

 

ようやく主役の春姫登場。

 

さて、イベントの舞台が名古屋城へ移るので、ぶらぶらしながら行く。那古野神社。911年創建。1540年、織田信長の父信秀が再建。「信長公記」に「信長は天王坊という寺で勉強した」というような記述がある。那古野神社にあった12坊のうち、首班の1つを天王坊と称しており、また当時那古野神社は安養寺という名称も持っていたことから、この神社で信長が学んだとされる。

 

その後、豊臣秀吉が社領348石寄進。家康が名古屋城を築城する際に遷座を図るが、占いで遷座不可とでたので、そのまま名古屋城三の丸あたりにあった(現在の金シャチ横丁義直ゾーン辺り)。義直は348石を認め、その子光友の時代に祭り車用に50石追加。江戸時代の名古屋三大祭りの1つである天王祭りで、最盛期16台もの山車が引き回されたという。明治になり、尾張藩のバックアップがなくなると、財政難などで山車は出なくなった。

 

隣には名古屋東照宮がある。義直が創建(当時は那古野神社の隣にあった)。例祭の東照宮祭は、名古屋三大祭りの一つであり、最大の祭りだった。戦災で山車のほとんどが焼失。現在の名古屋まつりの山車揃えは、その流れを汲んだもの。

 

名古屋東照宮は戦災で焼失したので、焼失を免れた春姫の霊廟を移築して本殿としている。1651年建造。

 

名古屋城に到着。家康は写真の西南隅櫓から婚礼を見物している。

 

本丸御殿前で記念写真。

 

「御殿はどこじゃー?」

 

「御殿は立派なのができたがね」と、河村市長登場。キスシーンはないのか?と無茶をいうw 司会の人に江戸時代、人前でするのはご法度とたしなめられていた。春姫道中は終わりだが、天守木造や本丸御殿の3倍以上の大きさを誇った二の丸御殿再建も浮上するなどいろいろあるので、これからも何かしら協力を要請していく方針らしい。

 

とにかく暑く、疲れて足がつりそうだったわw 藤も見ごろになってきた。今年は早い。