神童バイオリニストの悲劇 | バークレーの書きたい放題!

神童バイオリニストの悲劇


 


神童バイオリニストの悲劇


 



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デンマンさん。。。、どうして急に神童バイオリニスト を取り上げるのですか?



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実は、映画の予告編のYouTubeのクリップを探していたら次のクリップに出くわしたのですよ。。。


 



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渡辺茂夫


 



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1941年6月26日 - 1999年8月15日


 


渡辺 茂夫は少年時代に戦後復興期の日本で活躍したヴァイオリニスト。
いわゆる伝説的な音楽的神童のひとり。


東京生まれ。音楽家一家に生まれ、茂夫の生母・鈴木満枝はヴァイオリニストだった。
4歳より、母方の叔父の渡辺季彦(1909~2012)が経営する音楽教室(渡辺ヴァイオリン・スタジオ)でヴァイオリンを学び始める。
その翌年、両親の離婚にともない、そのまま渡辺家の養子となった。


 


天才少年の誕生


1948年(7歳)に芝白金小学校に入学するが、早くもこの年に、巖本真理より音楽的才能を絶賛され、12月に最初のリサイタルを、翌年以降も毎年1回の定例コンサートを行う。


また、1949年にはヴァイオリンを弾く少年役として映画「異国の丘」に出演している。早くも創作面にも関心を示し、音楽理論を石桁真礼生に師事しながら作曲活動や詩作にも着手し、小学校の最終年次にヴァイオリン協奏曲、オペラ、ヴァイオリン・ソナタを作曲
その作品はクラウス・プリングスハイムによって高く評価された。


 


渡米


1954年(13歳)に暁星中学校に進学。同年、イギリスの名指揮者マルコム・サージェントの指揮により、東京交響楽団とチャイコフスキーの協奏曲を演奏。


来日したダヴィッド・オイストラフを訪ねて演奏を行う。5月、渡辺季彦の奔走により、帝国ホテルにおいて、来日中のヤッシャ・ハイフェッツに面会し、演奏を披露、ハイフェッツに深い感銘を与え「百年に一人の天才」と評される。


6月にハイフェッツからの招待を得て、両親に促されて渡米が決まる。
1955年3月、ジュリアード音楽院院長より、「ハイフェッツ氏の熱心な推薦により」無試験入学が許可される。
各方面の支援者(アメリカ軍属、朝日新聞社、その他の個人)から経済的援助を受け、期限は2年間、演奏旅行には連れ出さないとの条件により、7月に飛行機で渡米。


 


輝かしい未来


(14歳)カリフォルニア州で語学研修を受けるかたわら、奨学金を得て地元の夏季音楽講習会にも参加する。
早くも天才ぶりと品のよい物腰から脚光を浴び、とりわけハンガリー人ピアニストのジェルジ・シャンドールに目をかけられた。


8月末にはモーリス・アブラヴァネルの指揮でベートーヴェンの協奏曲を演奏して、サンタバーバラ市の地元紙で絶賛される。
講習会の告別演奏会にも出席して、自作のヴァイオリン・ソナタを披露する。


9月にニューヨークに到着し、ジュリアード音楽院でペルシャ出身のヴァイオリニストイワン・ガラミアン(アイヴァン・ガラミアン)に師事することが決定。
日系人の家庭にホームステイを始めるが、後にガラミアン宅に同居する。


 


最後の栄光


1956年(15歳)からニューリンカーンのハイスクールに通学。この頃から日本への連絡が途絶えがちになる(一説には、日本や日本語に対する嫌悪感があらわれたと言われる)。


職業音楽家を集めたプライベートの演奏会において、ハイフェッツの伴奏者として知られるエマヌエル・ベイのピアノにより、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ、ヴィエニャエフスキの≪協奏曲 第1番≫を演奏。
出席者には、レナード・バーンスタイン、ピアティゴルスキー、レナード・ローズらの顔ぶれがあり、ハイフェッツのお気に入りの指揮者アルフレッド・ウォーレンスタインからは、世界一の演奏家になるとのお墨付きを得た


新学期の9月には、ジュリアード音楽院で史上最年少の奨学生に選ばれ、さらに半額と規定されていた奨学金も全額支給される
秋にガラミアン教授宅を出て、ホームステイ先を変更。
すでにガラミアンと折り合いが合わなくなっていた


 


青春の終わり・悲劇の幕切れ


1957年2月、情緒不安定を訴え精神科に通院。春にふたたびホームステイ先を変更する。


4月より助手としてジュリアード音楽院に残り、研究のかたわら治療を続ける。
夏のヴァカンスでカリフォルニア州に行き、恩人ハイフェッツを訪ね、激賞された。


9月にジュリアード音楽院に再入学するが、乏しい報酬と心もとない支援金により耐久生活を余儀なくされており、劣悪な住環境しか見つからなかった。
身元引受先のジャパン・ソサエティーによる配給額が適切でなかったためとされる


異国の地で人間嫌いと疎外感がつのるようになり、自殺願望をほのめかすようにもなると、両親は茂夫の急変を察知。
ジャパン・ソサエティに緊急帰国を要請するも、同協会は茂夫の治療優先の方針を崩さなかった


ついに11月2日、茂夫は未成年が購入禁止とされているはずの睡眠薬を大量に服用する。
11月5日に日本の家族に危篤を告げる電報が届いた。


一命はとりとめたものの、不幸にも脳障害が残り、回復する見込みはなかった。
翌年1月、家族の要請により日本に送還され、その後四十年以上に渡って在宅療養を続けた。


 


再評価


1988年、父・季彦の門下生など関係者の尽力によって、かつての茂夫の演奏・肉声を収録したCD3枚組が自主制作・頒布された。


そして1996年、前述のCDを2枚組にまとめた「神童 <幻のヴァイオリニスト>」が東芝EMIから発売された。これが大きな反響を呼び、「驚きももの木20世紀」など複数のドキュメンタリー番組が制作され、その悲劇的な人生と(放送当時の)半ば植物状態の姿が紹介された。
同年にはCD第二弾が発売されている。


1999年8月15日に急性呼吸不全により58歳で永眠した。
死後も茂夫に関係するCDがいくつか発売されている。


2009年、茂夫の遺品バイオリン2丁と楽譜など約300点が日本近代音楽館に父・季彦から寄贈された。


 


演奏の特徴


茂夫の演奏は、ガラミアンにつく前にすでにある程度の完成の域に入っていた、と養父・季彦はいう。
アウアー奏法を基本として技術的にも優れた才を示していたにもかかわらず、ガラミアンがそれに理解を示さず、独自の厳しい指導でもって自身の奏法へ転換させようとした重圧に茂夫は苦しみ続けたといえる。


茂夫の養父、渡辺季彦 (1909年 - 2012年6月10日) はヴァイオリン教師であり、門下生の多くが国内の各地や海外で、ソリストや楽団員として活動している。


近ごろ話題を呼んだ「もうひとりの渡辺茂夫」こと栗原幸信少年も、渡辺季彦の門下生である。
渡辺季彦は、カール・フレッシュの理論書やレオポルト・アウアーの著作をひも解きながら、独自のメソッドを編み出しており、小野アンナと同様、早期教育の重要性を説いていた。




出典: 「渡辺茂夫」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



小学校の最終年次にヴァイオリン協奏曲、オペラ、ヴァイオリン・ソナタを作曲したと言うのですから天才と言われるのがふさわしいですわねぇ~。。。



その作品はクラウス・プリングスハイムによって高く評価された、というのだから確かに天才的な才能を持っていたのですよ。。。しかも、米国に渡ってから四重奏団のビオラを受け持つ同僚であったナターシャ・ゲントさんが、クリップの中でインタヴューに答えて「シゲオは現代のモーツアルトだった」と太鼓判を押しているのですよ。。。


 



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ナターシャ・ゲントさんはジュリアード音楽院では、渡辺茂夫の先輩なのです。。。でも、茂夫の演奏の素晴らしさと、彼の作曲の才能に心を打たれて、彼を崇拝していた。。。



。。。で、どういうわけでデンマんさんは渡辺茂夫に惹かれたのですかァ~?


クリップの中で彼が作曲したソナタを演奏しているのをCDで養父の渡辺季彦さんがしみじみと聴いている姿が印象的でした。。。実は、僕も小学校の1年生か2年生の頃にバイオリンを習ったことがあるのですよ。。。


あらっ。。。デンマンさんもバイオリニストになるはずだったのですかァ~?


いや。。。僕はそのつもりはなかった。。。オヤジが音楽の先生だったのです。。。小学校だけしか出てなかったけれど、戦中のことで独学で先生の免許を取って18才で代用教員になって、最後には鴻巣市の和光小学校の校長先生になって退職したのですよ。。。


デンマンさんのお父さんもバイオリンを弾いたのですか?


いや。。。僕と一緒に大宮まで行って、バイオリンの先生について練習したのです。。。僕はオヤジがバイオリンを弾きたいために練習していると思ったから、遊びのつもりなんですよ。。。でも、オヤジは、おそらく神童の渡辺茂夫さんの演奏に感銘を受けたようです。。。養父の渡辺季彦さんは小野アンナさんと同様、早期教育の重要性を説いていたので、オヤジもその影響を受けて僕にバイオリンの早期教育をほどこそうとしたようです。。。


。。。で、デンマンさんも一生懸命にバイオリンを練習したのですか?


いや。。。僕は渡辺少年と違って、オヤジのお供で遊び程度にバイオリンを弾いていたから、全く進歩がない。。。家に帰ってオヤジと一緒に練習したことは覚えているけれど、近所の子供達の遊び声が聞こえると、バイオリンを放り出して遊びに行ってしまうのですよ(笑い)。。。


あらっ。。。渡辺少年とは大きな違いですわねぇ~。。。


あのねぇ~、そもそも僕はバイオリンを弾きたいと思ったわけじゃない! おもちゃ程度に考えていたから、面白くなくなったら全く興味がなくなってしまった。。。オヤジも、これではダメだっと思ったらしくて、僕に強制的にバイオリンを練習させようとは思わずに、諦めてしまいましたよ。。。


お父さんはガッカリしたでしょうねぇ~。。。


多分そうでしょう。。。オヤジは独学で先生になったくらいだから努力家でした。。。作曲は、戦後に先生について勉強したようだけれど、あとで当時の皇后陛下の美智子さんの詩に感動して、その詩に曲を付けて、生徒に歌わせたものを録音して送ったことがありました。。。美智子さんの秘書から丁寧なお礼の手紙を受け取り、家宝にするんだと言って喜んでいましたよ。。。


じゃあ、デンマんさんは音楽は嫌いだったのですねぇ~。。。


いや、そんな事はありません。。。大学生になった頃、僕は独学でピアノを習って《乙女の祈り》を一生懸命に練習して2度目の初恋の恵美子さんに聴いてもらったことがありました。。。そのことでは記事も書きました。。。ベティさんも読んでみてねぇ~。。。


 



『クラシックで片思い』


 



なるほどォ~。。。デンマんさんは神童バイオリストにはならなかったけれど、2度目の初恋の人にデンマンさんのピアノ演奏を聴いてもらえたのですわねぇ~。。。



そうなのです。。。


。。。で、その初恋は実ったのですか?


いや。。。残念ながら恵美子さんと話をしたのは、そのときだけだった。。。一度だけ。。。


あらっ。。。その後お付き合いをしなかったのですかァ~?


付き合いませんでした。。。中学生の時に体育館で演奏会があって、恵美子さんが弾いた《乙女の祈り》を聴いて感動したのですよ。。。その時の感動がずっと心に残っていて、大学生になってから譜面を買ってきて下宿のピアノを使って独学で習った。。。で、恵美子さんに聴いてもらって僕は充分に満足したのですよ。。。


普通だったら、それが縁でお付き合いをするのではありませんかァ~?


今から考えてみれば不思議なことだけれど、僕は演奏を聴いてもらったことで満ち足りて、付き合わなかったのですよ。。。


なんだか信じられませんわァ~。。。


あのねぇ~、僕が恵美子さんのことを思い出したのは、渡辺茂夫さんが初恋に破れて自殺しようとしたという事が日本では新聞記事になったからですよ。。。


そうなのですか?


事実は、そうじゃないのです。。。残念ながら茂夫少年に初恋の相手がいたということは誰も認めていない。。。それほど茂夫少年はバイオリンに没頭していた。。。


要するに女性に目を向けている暇がなかったということですか?


そうなのですよ。。。だから、ナターシャ・ゲントさんもインタヴューで「アメリカ文化と日本文化の間で宙ぶらりんになって、バイオリンのお稽古と演奏の繰り返しで、孤独で可哀想だった」と、話しているのですよ。。。少年の才能を認めて崇拝していたけれど、ナターシャさんは その反面で呆れてもいたのです。。。


つまり、デンマンさんは茂夫少年の自殺未遂に不信感を抱いたのですか?


そうなのですよ。。。僕だけじゃない。。。茂夫少年の自殺未遂に疑問を持った人は他にも居るのですよ。。。


 




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COMMENT


こび


渡辺茂夫さんは、自殺でなく頭部の損傷で、廃人になられたと思います。
何者かから襲われたのです


今生きていらっしゃると世界の巨匠と言われてたでしょうね。
あれ程オーケストラを聴衆も包み込んでくれる演奏、今現在も誰もいないと思います。
オーケストラの団員もみんな泣いていた。


証言されてますが、高みに登るとこは下から全ての人を持ち上げて包んでくれる演奏、ただただ涙涙。こんな演奏者今いますか?
時を超えてこんな聴いた事もない素晴らしい演奏に出会えた事は、私の中では奇跡です。


5年前




バイオ


神童に教えることは何もありません。


さぞ名高い演奏家達も音色にびっくりした事でしょう。


嫉妬心からの傷害事件ですよ


アメリカ人らしい事件です。


4年前




『cotobukinの日記』のコメント欄より
2012-06-13


 



あらっ。。。自殺したように見せかけた傷害事件ですかァ~?



実は、僕もそう思ったのですよ。。。


それは、どういうわけで。。。?


ナターシャ・ゲントさんがインタヴューの中で次の写真を見せた。。。


 



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この写真はナターシャ・ゲントさんもメンバーの弦楽四重奏団です。。。ところが、暗黙のリーダーである茂夫少年の姿がこの写真には見えない。。。ナターシャさんによると、この写真を撮った人物が嫉妬で故意に茂夫少年を除外したと言うのです。。。それに自殺未遂については父親の渡辺季彦さんも否定している。


 



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渡辺季彦さんによると、努力家で頑張り屋の茂夫少年が自殺するとは、到底考えられないと言うのですよ。。。それに、もうひとり重要な証言をした人物がいる。。。


 



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この若井一朗さんはクリップにも出てくるけれど、茂夫少年が小学校6年生の時のリサイタルで名古屋交響楽団のコンサートマスターとして共演しているのですよ。。。当時、医学生だった。。。若井さんも茂夫君とほぼ同じ時期にアメリカに留学しており、未遂事件の時、病院に運び込まれた茂夫君の治療に当たったチームの一員だった。。。


 



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実は、茂夫君の身元引受人は日米協会(ジャパン・ソサエティー)だった。。。茂夫君の指導教授だったガラミアンさんの教授法の件で、茂夫君は不満をつのらせていた。。。両親は茂夫の急変を察知して日米協会に緊急帰国を要請したのです。。。ところが、日米協会は茂夫少年の「治療(ノイローゼ)」の優先の方針を崩さず、帰国させなかった。。。



茂夫少年は精神的な問題を抱えていたのですか?


上のクリップを見る限り、自殺未遂をするほど落ち込んでいるとは思えない。。。日本のラジオ放送のために吹き込んだテープを聞いても、精神的に落ち込んでいるようには思えない。。。


つまり、日米協会の対応は不適切だったのですか?


そうなのですよ。。。自殺未遂事件が起きると日米協会は事件をなかった事にしようと箝口令(かんこうれい)をしいた。。。日本の新聞には失恋して自殺したようにリークしたようです。。。


あらっ。。。それはひどいですわねぇ~。。。


若井さんもインタヴューで、外交問題に発展しかねないので、日米協会は箝口令をしいたと証言している。。。


傷害事件があったのをもみ消そうとしたのですか?


「アメリカ側は事件はなかったことにしたかったのでしょう」と、若井さんも証言しているのですよ。。。


真相は闇の中ですか?


そういうことです。。。今更、事件を洗い直しても茂夫少年が’天才バイオリストとして復活するわけでもないので、どうしようもないけれど真実を知りたいと思いますねぇ~。。。




初出: 2022年12月3日



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【ジューンの独り言】



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ですってぇ~。。。


貴方も事件の真相を知りたいですかァ~?


ええっ。。。「渡辺茂夫さんも父親も、今はもうあの世に逝ってしまったのだから、そんな事はどうでもいいよ。。。他にもっと面白いことを話せ!」


あなたは、そのような強い口調で わたしにご命令なさるのですかァ~?


分かりましたわァ。。。


デンマンさんが10年以上も前にアンケートを作りました。


 



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『拡大する』


『もう一度クリスマスのページ』


 


上のリンクをクリックすると、


左側のサイドコラムにたくさんの質問が出てきます。


ひとつひとつ見ながら ぜひアンケートに答えてみてください。


ええ。。。、「そんな暇ないよ!」


じゃあ、たまには、古代のお話でも読んでみてくださいねぇ~。


意外に面白いですわよ。。。


あなたも古代の謎に挑んでください。。。



天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。


興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。


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『野火(2013年1月18日)』


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『パシフィックリムの旅』



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『雨のニューヨーク』


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『ヒトラーのささやき』


『グッチ家の崩壊』



とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。



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ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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