逆転の仕事論 堀江 貴文
本著では、グローバル社会にいち早く適応して、決められたレールから、あえて外れ『仕事を作る人』になった、8人のイノベーターを取り上げています。
2. 佐渡島 庸平
2002年に講談社入社。週刊モーニング編集部に所属。
2012年講談社を退社、株式会社コルクを設立。
○会社を辞めて独立すると、肩書きとか仕事の能力より「お前という人間の努力を認めるから」という理由で、助けてくれる人が現れます。
会社を辞めると、人間関係の協力の仕方が変わります。
「サラリーマンは総じて、独立を怖がってると思うんですけど、何も怖くなかったですね。怖さを飛び越えた人間だけが見える、面白い世界の方が断然、魅力的でした。」
○失敗してもOKな道を選んでいる
「毎月の給料がなくなり、自分で稼いでいくプレッシャーは多少ありました。でも結局は、自分の決めた道を信じられるかどうかです。」
「ほとんどの人は失敗の可能性ゼロの道を選びたいから、怖がったり不安が消えないんじゃないでしょうか。失敗しない、成功間違いなしの道なんて、どこにもありません。リスクを減らすより、取ってもいいリスクを探していった方がジャッジは早い。僕はシンプルに、自分が納得できる失敗の方向を選んでいるだけです。」
○人間は環境に負ける存在です。
「僕は講談社にいると講談社という環境に負けるという悪い予感がありました。自分は才能がないから環境をどうにかしないと自分がダメになるという気持ちで試行錯誤をしています。」
「とにかく何でも試す。トライアンドエラーを繰り返し、システムをゼロから作っていくつもりでやるしかないと思います。」
○毎日、全行動を決定する
「優れたスポーツ選手も、自分の身体の筋肉の動きを意識しています。パフォーマンスを高く保つために、意識的であることは大切。」
「漠然と、流れとか前の作業の延長で、行動をジャッジしない。あらゆる事を意識的に決断すると、他人の決断も、決断している人も分かってきます。これはビジネスをするには役立つセンスです。」
○お金は目の前を流れている川
「会社勤めを辞めて良かったことのひとつは、お金の考え方が完全に変わったことです。以前は、お金という存在は自分のもの。預金を持っていれば安心できると思い込んでしました。起業してからは、お金は自分が行動する為の道具」
「世の中のお金は、川の水のように流れている。自分がきちんとビジネスしていれば、自然とその流れは増えていく。所有しようというのは無意味です。水の流れの量をいかにして増減させていくか、がビジネスの面白さでしょう。」
2. 小田 吉男
様々な職を経て、飲食店を中心に40店舗以上の立ち上げに携わりました。「ほぉ~むカフェ」の創業者で、2005年ユーキャン流行語大賞を『萌え』で受賞。
多数の若手を起業支援し、現在はLiNK-UP株式会社取締役社長CEOを勤め「ODOROOM」など、飲食店以外のプロデュースもしています。
2014年より、株式会社ダイヤモンドダイニングエグゼティブ・プロデューサーに就任し、数々の新業態開発などに携わっています。
○楽しいからやっている
「人を楽しませたい」「仕事をしてお金をもらえること、称賛されること、知識を得ることも、たくさんの人や価値と出会えることも、全部楽しいからやっている」
○共通する楽しさを如何に見出せるか
「食材はもちろんのこと、光の当て具合や店内の音楽の音量、テーブルの質感、従業員の話し方、食事の提供の仕方など、あらゆることを考え続けました。」
「流行っているお店の情報を聞けば足を運び、世界中を訪れます。」
「そんなにやっていたら流行るのは当たり前なんです!それだけの努力はしているので!」
○使命感の限界
会社を大きくしようと思ったのは、使命感がありました。
最大の使命は、親兄弟の面倒をみること。そして、たくさんの身内を何とかして食べさせていこうと会社を大きく展開していきました。
ある使命感を達成することの為に、犠牲にしたものから、さらに別の使命感が生まれ、例えビジネスがうまく回っていてもストレスは溜まる一方。
そこから「使命を果たさなければいけない」という思い込みを捨てて、「楽しく自由に生きること」を考えるようになりました。
○自由に楽しくシンプルに
みんなありもしない失敗の可能性にとらわれ過ぎています。先々の不安を減らすことは無意味です。
「いま、やりたいことをやる。それでいいと思います。」
「難しいことややってもないことの不安要素を考えてもしょがない。」
3. 岡田 斗司夫
アニメ・ゲーム制作会社ガイナックスの社長を務めた後、東京大学非常勤講師に就任。立教大学やマサチューセッツ工科大学を経て、現在は大阪芸術大学客員教授。
2010年よりオタキングexを設立。2012年に社名をFREEexに変更。2015年1月31日に代表を退任。
○常識で考える人は社長にはなれない
「自分が判断したように生きる。それで躊躇ったことが一度もないです。一般常識とか倫理とかは、まったく関係ない」
「バンダイに自主制作映画を作らせて下さいと売り込みました。周りは、商業映画の実績がないとか早すぎるとか、もっともらしいことを言うんですけど、常識が僕には通用しないんですよ。そして、実際に交渉を続けた結果3億6000万の制作費をもらい、のちにSFアニメの名作となる『オネアミスの翼』を作りました。」
○引きこもり生活が後のエネルギーになる
「連続幼女殺人事件を契機に、アニメオタクに対する世間の目が、すごく厳しくなりました。この風潮の中でオタク向けのアニメを作りつづけることは良い事なのか?悩んだ結果、社長を辞め、3年間半ば引きこもり生活を過ごしました。この時の負のエネルギーで、ついこの前ぐらいまで突き進んでこられたように思います。」
「40歳になって、『自分はものを書いたり、人に話を聞いてもらいたかった』と気づきました。会社経営やビジネスは、あくまでもその手段。何もしない、ひたすら自分と向き合う3年間で、やっと本当にやりたいことが見つかりました。」
紹介しきれなかったイノベーターの方のお話が、この本にはまだまだつまっています!ぜひ読んでみてください!
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