「ゲーム人口の拡大」を掲げ、ゲーム機に新たな息吹を吹き込んだ任天堂の岩田聡社長が11日、胆管腫瘍により死去しました。岩田氏は優れたゲーム開発者として知られていました。 ゲームソフト「星のカービィ」など任天堂向けにソフト開発するハル研究所(東京・千代田)の社長を経て、52年間社長を務めた故・山内溥氏から2002年 にバトンを受けて社長に就任。当時42歳で異例の抜てきと注目された。病気療養を理由に前年の定時株主総会は欠席しましたが、6月26日に開いた今年の総会は 2年ぶりに出席。賛成率83.45%で社長に再任されたばかりでした。
04年に2画面の携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」を発売し「脳を鍛える大人のDSトレーニング」な どのソフトで健康志向の高齢者や女性を取り込みました。06年にはリモコンを振って遊べる据え置き型ゲーム機「Wii」を売り出し、09年3月期の純利益は過去最高の2790億円に達した。
ただその後は、スマートフォンゲームに押されて14年3月期まで3期連続で営業赤字に転落。15年3月期の純利益は418億円と同社の業績は回復途上でした。今年3月にはDeNAと提携し、距離を置いてきたスマートフォン(スマホ)向けゲームへの参入計画を打ち出していました。
後任社長の選定については「スケジュールを含めて未定」としています。
コンピューターゲーム史上、世界で最も知られているゲームキャラクターである任天堂の「スーパーマリオブラザーズ」は30年前の1985年、わずか5人の開発チームによって製作されました。
「遊ぶ人にとって分かりやすいシンプルなゲームを心がけた」
「開発にかかる費用を気にしないでソフト作りができる良い雰囲気だった」
「穴に落ちたら怖いとか、火の玉を相手にめがけて投げたら気持ちいいとか、ゲームをしながら主人公になりきって楽しむ基本的な感覚は世界共通だから」
ということがマリオの誕生に繋がりました。
さらに、ゲームセンターの業務用機から家庭用ゲーム機「ファミ リーコンピュータ」の開発にシフトしたこと、キャラクターの外見的特徴も世界で親しまれていることも理由として挙げられます。団子っ鼻、口ヒゲ、帽子、つなぎの作業服、どれもがマリオにとって欠かせないトレードマークになりました。
(ちなみに、マリオの生みの親の宮本専務がイタリアの芸術家が好きということで、マリオはイタリア人という設定。マリオの名前は、当時の米国任天堂が 借りていた倉庫のオーナーの名前から拝借した。マリオの弟のルイージは双子で似ているので、日本語の「類似」からルイージと名付けたという。)
そんな任天堂の岩田聡社長が死去したことを受け、「共に新しいゲームの未来を築こうとしていた矢先のことで、大変残念」(ディー・エヌ・エーの守安功社長)などと悼む声が相次いだ。
ポケモン 石原恒和社長
「岩田さんは私を戦友と言ってくれますが、私にとって岩田さんは人生最大の恩人であり、先生であり、相談相手であり、最高のビジネスパートナーでした。
岩田さんのプログラマーとしての天才性と経営者としての一貫性、さらに何に取り組む上でも、フェアで真摯な姿勢を私はいつもお手本にしてきました。今の私が、そして今のポケモンが、こうして在ることができるのは岩田さんのおかげだと思っています。
KADOKAWA・DWANGO 浜村弘一取締役(「ファミ通」元編集長)
ゲーム業界の大きな支柱の1つを失いました。故・山内溥さんの意志を継ぎ、マニアだけでなく、ファミリー層を意識したゲーム作りを続けてこられました。社 長在任中、「ゲーム人口の拡大」という経営方針は一切ぶれることがなく、ゲーム市場は確実に広がったと思います。
ソニー・コンピュータエンタテインメント アンドリュー・ハウス社長
岩田聡社長はこれまで絶え間なく挑戦を続け、ゲーム業界に新しい風を吹き込み続けてこられました。そのあふれる才能で、日本にとどまらず世界のゲーム業界 の発展を強力に推し進められた岩田社長のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心からご冥福をお祈り致します。
などと、岩田さんの人柄と手腕が伝わるメッセージが多数ありました。
「カリスマ」亡き後の任天堂はどこに向かうのか。
今回、任天堂は岩田氏というカリスマを失いました。その影響は計り知れません。直面する問題にどう対処するのか。課題は大きく3つあります。
1つ目が後継者。
同社をビジョナリーとしてけん引してきた岩田氏の戦略を、誰が経営者として引き継いでいけるのかという問題です。今回、専務取締役である竹田玄洋氏および宮本茂氏が繰り上がる形で、暫定的に両氏がトップを務めるが、後任の社長は決まっていません。
竹田氏は、Wiiなどハードの設計を専門としてきたが、任天堂の事業戦略全体に関与した経験がほぼありません。宮本氏は「マリオ」を産み出した天才的なクリエイ ターとして、長年同社のゲーム開発を引っ張ってきており、ゲーム開発のカリスマです。しかし、その能力が経営者に向いているという評価は見聞きしません。今は、岩田氏に代わる最適な次の経営者が白紙の状況にあります。
2つ目の課題が、スマホ向けのゲーム展開。
3月に発表したDeNAとの資本・業務提携は、岩田氏が社内の反対の声を押し切る形で実現したそうです。6月 29日には、任天堂の関連会社がポケモンのパズルゲーム「ポケとる」をこの夏にスマホで展開すると発表しました。任天堂ブランドのタイトルを使った初めてのスマホゲーム。ただし、このゲームは今年2月にすでに3DS向けにリリースしていたものの移植版です。DeNAと開発を進めている新作スマホゲームが、 岩田氏亡き後も任天堂のなかで、重要度を維持できるかは未知数です。
新型ハード機が3つ目の課題だ。
「全く新しいコンセプトのゲーム機」(岩田氏)とする新型ゲーム機「NX」が期待される中、その商品化作業がこれからという時にけん引役が亡くなってしまいました。新型ハードは据え置き型なのか、携帯型なのかも明 らかになっていませんが、新ハードを投入する時期として来年は容易な時期ではないと考えられます。据え置き型の「WiiU」が世界販売台数で約1000万台なのに対し、ソ ニー・コンピュータエンタテインメントが「プレイステーション4」を2000万台以上も販売するなど、特に海外で差が広がっています。携帯ゲーム機市場は、 ますますスマホにシェアを奪われつつあり、この状況は来年になっても変わりはありません。こうした逆風の中、岩田氏亡き後で、画期的な提案ができるのでしょうか。
過去、任天堂は危機の時期にこそ、新しい成長の種を見つけ、乗り越えてきたので、窮地に立たされた任天堂だが、このままじり貧で消えていくとは考えにくいです。
そもそも、山内氏が社長に就任したのは22歳で、先代社長の急逝によるものでした。岩田氏が社長に就任したのも、42歳。家庭用ゲーム機「ゲームキュー ブ」が売れず、苦戦しているまっただ中。危機に直面しても、それをアイデアによって、発想を転換し、サプライズを生み出し乗り越えてきました。
岩田氏の意思を継承しつつ、直面している課題を乗り越え、新しい任天堂の姿を見せてくれる――。岩田氏を惜しむ世界中の任天堂ファンは、そう信じているに違いありません。
余談
任天堂の岩田聡社長(55)が11日、胆管腫瘍で亡くなりました。胆管や胆のうにできるがんは早期発見が難しく、治療も難しいとされています。
胆管は肝臓でつくられた胆汁を十二指腸まで運ぶ通り道のことで、胆のうなどを含めた全体を胆道と呼びます。国立がん研究センターがん対策情報センターによると、2013年の胆のう・胆管がん死亡数は約1万8200人でした。
胆管がんになると、皮膚や目の白い部分が黄色くなる、黄疸(おうだん)と呼ぶ症状が出ることがあり、腫瘍が大きくなって腹痛を引き起こすこともありますが、いずれもがんが進行してから出ることが多い。
がんの早期発見の代表的な方法として超音波検査と血液検査があるが、国立がん研究センター中央病院(東京・中央)肝胆膵(すい)内科の奥坂拓志科長は「初期段階では腫瘍が小さすぎて、超音波検査で見つけるのは難しい」と話します。
手術以外の治療法として抗がん剤はあるものの、「あくまでも延命治療」(奥坂科長)。5年相対生存率は2割ほどと低いです。
世界的にみると、日本や韓国など一部の地域に目立つのもこのがんの特徴だ。日本人で一生涯のうちに胆のう・胆管がんと診断される確率は男女とも約60人に1人。欧米人と比べると罹患(りかん)率が高いとされるが、原因ははっきりとしていません。
奥坂科長は「欧米では希少がんとみられてきたが、欧米の研究者も関心を持ち始めた。有効な診断法や治療法が今後見つかる可能性はある」としています。