無事に目は覚めたが別の宿へ移動しよう。
とりあえず便利な国立競技場そばのエリアへ移動。
かなり高いが1、2泊ならと妥協した。
ひとまず荷物を置いて近くの旅行代理店へ。_(・・ ))キョロ(( ・・)キョロッそう、オーストラリア行きのチケットを買うため。やはり情報どおり高い。高すぎる! 日本と変わらないじゃないか!ウォー (丿 ̄ο ̄)丿結局、香港経由でケアンズの仮予約をした。週に3便程度しかなく、出発は土曜となる。しかもバンコク―香港間はキャンセル待ち。すぐ近くの「ジム・トンプソン」の家を観に行き、020200.jpg 020201.jpg(説明は省略) 軽く食事をして宿に戻ることにする。このブログのとおり、今日はなんて平和な一日なんだ。(´ ▽`).。o♪♪ ボケ~そう帰りにポップコーンを買って帰った。塩味にせず、シュガー味。こりゃまたアロイ。(´▽`)それより、もっと安い宿を見つけないと・・・。でも眠い・・・寝る・・ヽ( ´O`)ゞ
カンチャナブリーは、
バンコクに比べるとネットカフェが安いので、
午前中にメールチェックと簡単なニュースチェック。
昼過ぎにオーナーのJOYさんと残留組に見送られ、バスターミナルへ向かった。020101.jpg 020102.jpg020100.jpg写真左上から:カナーンの入り口、集いの場、市民権のある猫”タイガー”(どういう姿勢で寝てるねん!)暑い、重い。久々に背負うリュックは、想い出多い分だけ重く感じられた。バスは半分も埋まっておらず、来た時のことを考えると、なんて幸せなんだろ。今日はとうとうバンコクへ戻ることにしたが、次回の旅の疲れもこのカナーンで癒したい。ほんとに静かな町、安らげるいい宿だった。ただここで約60年前に、しい出来事が起こったことは忘れてはいけない。浅い睡眠のうちにバスは無事にバンコクのバスターミナルへ。到着までに100回以上はバスのクラクションは聞いたが。南バスターミナルから路線バスに乗り換え。バスターミナル周辺を歩くと路線バス乗り場と、バスの車掌さんらしき人を発見。ゲストハウスのカードを見せて、何番のバスかを尋ねると、「511番に乗りなさい」(*▼ω▼)ノ 優しくかつ、自信満々に教えてくれた。10分程でその番号のバスはやってきた。乗車!!車掌さんに行き先を伝えたが、近くまでは行かないから、周辺で降りるといいよって感じだった。ラッシュの時間もあり、バスは徐々に満員になってきた。赤ちゃんを抱えたおばさんが乗ってきたので、席を譲ることにした。おばさんは目も合わせず、当たり前のように譲った席に座った。お礼を言われるために譲ったのではないが、気持ちは少し複雑。せめてもの救いは、赤ちゃんのかわいい笑顔だった。結局、バスは満員状態になったが、車掌さんの次で降りなさいのサインは辛うじて確認できた。乗ったときは愛想よくなかったが、結構いい人だったのね・・・降車後は尋ねた人の言われる方角へ歩き始めた。行けども行けども辿り着かない。またまた人に聞く。流暢な英語で丁寧に地図まで書いてくれた。その時点で降りた所はとんでもなく遠かったことに気付いた。そう、511番のバス自体がそもそもの誤情報。汗まみれで目的のゲストハウスに到着。しかし満室。(-。-;)近くの宿も回ったが同じ状況だった。仕方なくバックパッカーの聖地といわれるカオサン地区へ行くことにした。3、4件のゲストハウスを尋ねたが、あいにく満室。なにかあるのだろうか・・・。バー奥に部屋があるゲストハウスに空室を見つけ、部屋を見て我慢できそうなので200Bを払いチェックイン。020103.jpg自分の許容範囲も一気に広がった感じだ。部屋に入るとゴキさん1匹がお出迎え。( ̄▽ ̄;)!!ガーン室内はエアコンも窓もないのでかなり暑い。更に隣のバーのバンドの音がうるさすぎる。疲れていたのに眠れない。(´_`。)グスンすでに明日の宿の移動は確定した。とりあえず、もう少しハードルを下げないと、長続きしない可能性が高い。カナーンで出会った諸先輩方にはまだまだ遠そうだ。徐々に慣れていくことも大切、背伸びせず、自分のレベルに合わせればいい、自分に色々言い訳し、葛藤しながら、今日は歯だけ磨いて寝ることにする。○Oo。.(T¬T)/~~~オヤスミナサイ
ゲストハウスで知り合った坂本さんと、
現地バスツアーに参加することにした。
ゲストハウス前に8時出発のため7時に起床。
ほんと、久々の早起きだ。
カンチャナの朝はほんと肌寒い。ツアー参加者は、自分達2人以外は全て欧米系の白人と思われる。マイクロバスはまずは「エラワン滝(ERAWAN FALLS)」に行き、トレッキングしながら滝の美しさを楽しむ。この滝の見所は7ヶ所ある。STEP1から40分かけて山を登り、順調にSTEP7まで辿り着くことはできた。013100.jpg 013107.jpg013102.jpg 013104.jpg013105.jpg 013106.jpg013108.jpg滝近くのいけすで水遊びをしようと、戻りのSTEP6あたりで靴を脱ぎ、デジカメが入った手荷物、靴、靴下、タオルを岩場に置き、川の中へと進んでいった。かなり水は冷たく、山登りで暑くなった体を冷やしてくれていた。∩(´∀`)∩ワァイ♪「もう少し奥まで行きますか!」そう坂本さんと二人で岩場を登りながら更に進んでいくことにした。「あっ猿だ!」ヽ(^◇^*)/ ワーイ013109.jpg野性の猿が、熱帯雨林に生える木々を楽しそうに渡り遊んでいるが見え、少し感動さえも感じていた。ちょっと待てよ・・・荷物がやばい( ̄▽ ̄;)!!ガーンこけが生える岩場を滑らぬよう急いで戻ったが、親猿が自分のデジカメが入った荷物を物色しようと手に取っていた。(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-「あーっ!」(|||ノ`□´)ノオオオォォォー!!と大きな声で叫び、荷物から離れるよう威嚇した。猿は驚き、荷物を離し、坂本さんの荷物が置いてある岩へと移動した。次のターゲットは坂本さんのミニリュックだ。当の坂本さんはまだ上段から降りる途中。今度は靴を振り上げ、猿を威嚇する。θヘ( `ヘ´)ノその距離、約2m。猿は少しは怯むものの、逆に牙を剥き出し、こちらを威嚇してきた。その時の目付き、あの牙・・・かなりの恐怖だ。お互い威嚇しあってうちに坂本さんも参戦。なんとか坂本さんも荷物も確保できたものの、もう1匹の親猿と子猿5、6匹も寄ってきた。足場は悪く、しかも裸足。戦況はかなり不利。野生はほんとに恐い。しゃれにならないほど恐い。言葉も通じなければ金銭もなんの威力も発揮しない。投げる餌もなく、大声を出すか、靴やタオルを振り回して威嚇するしかない。あの牙で噛まれたらどうしよ・・・あの爪で引っ掻かれたらどうしよ・・・悪い想像が頭いっぱいに広がっていく。背中を見せないようじりじりと陸地へと移動し、下り口へと近づいていく。子猿は木の上から坂本さんへ小便はかけるは、自分へは枝を投げてくるわ・・・。完全に遊んでいる。命からがら下り口へと移動し、下山を再開。悔しいが完敗。。。゛(ノ><)ゝ ヒィィィ当分は裸足で下山していた。荷物を置いていた自分達も悪いが、ほんとに物凄く恐かった。(*´ο`*)=3命の危険さえ感じたぐらいだ。(ー。ー)フゥ猿に時間を取られたせいで、滝壺で泳ぐのは5分程度しかなかったが、こんな川魚が群がる所から入水し、透き通る水の中を軽く泳いだ。013101.jpg 013103.jpgそしてマイクロバスは、鉄道建設でもっとも犠牲者をだすほど難航した、「デスファイヤーパス」へと移動。013110.jpgそこでは線路を通すために岩場を切り開く作業が行なわれた。ミュージアムでは簡単な映像を観賞。犠牲者はイギリス、オーストラリア、オランダが多く、当然かりだされた現地の人々も多数犠牲になっている。1日18時間の労働食事の粗末さ栄養不足や伝染病での死拷問での死当時の映像や写真などでリアルなフィルムだった。残念ながら現場へは山火事かなにかの煙のため観れなかったが、次のポイントまでの移動の車内は沈黙だった。不思議な空間でもあった。同乗車の白人の何名かは目が合うと、絶えず素晴らしい笑顔をくれていた。当然、自分も自分なりの精一杯の笑顔を返す。その笑顔が60年ほど前に、この場所でお互いにできていれば・・・世界の歴史は少なからず変わっていたはず。学校では習わなかった歴史の一部が、ここには存在している。100%ここでの情報が正しくない可能性もあるが、日本の侵略によって、たくさんの涙が流れたのは知るべきであるし、我々はもっと自覚をしないといけないと思う。その後、日本軍が爆弾用倉庫として利用していた洞窟付近の駅から鉄道に乗り、013111.jpg 013112.jpg013113.jpg 013114.jpg4駅程度先まで車窓の旅を楽しんだ。013116.jpg 013117.jpg 013118.jpgゲストハウスに戻り、本日の武勇伝とは言えない猿との恐怖体験を、2人してみんなに熱弁したのは言うまでもない。あの目付きと牙は今も忘れられない。今夜は夢でも猿にうなされそう・・・。(;´ρ`) グッタリ