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La'amaomao
風の女神(償い)



ハワイのタロットカード「マナカード」は、カードと共に唱える言葉があるの。


この風の女神カードは


Hala no ka la.
「実際に今日は終わった」だ。



今日でこれまで2年間苦しんだ事の決着が付いたの。
それで今日なんとなく、このマナカードを引いてみたらこれが出たわ。


このカードの意味は自分の過ちから切り離されることの大切さを示しているの。
受け入れる事の償いが、達成のための必要なステップだとも。


ここ最近、過去を振り返る記事を書いていたので、二年前の記事を読み返してみたの。


当時はどんな事を思っていたのか。


読んでみて当時思っていたことを思い出し、思わず苦笑い。



プライド
娘たちへの想い
大切にしたいこと
狂おしいほどの感情



それら全てを必死で隠して、なにがなんだかわからない文章だったわ。




良い思い出も、悪い思い出も



燃え上がる炎に投げ込んだ綿くずのように、ぱっと燃えて灰になり「時間」という風に灰は飛ばされた。




あの人の感触も匂いも、心の奥に秘めた想いも
今ではもう忘れて、あとかたもなく消えた。




心の奥に狂おしいほどの熱くて切なくて悲しくて苦しい気持ちを持っていた私を、理解していたのはいつもの病院の先生だった。




当時何人も入れ替わり立ち替わり、私の中に入ってきた人格は私の弱さの表れ。




胸に秘めすぎた。
私には出来なかった。
あの頃はただ泣くばかりだった。
だから結局は病気になった。


気持ちを相手に伝えられなかったから、当然相手にも伝わっていなかった。



新しい恋愛を始めた時に先生にある言葉を言われて、その言葉に黙って頷き全てを彼に報告したの。



恋愛が始まった当初は、全て思い出してしまって「こわい」という感情ばかりがあったわ。



本当に



「もうこわくない」という状態になるまで、彼にずいぶん助けられたわ。




いま全てが片付き
自分に自信を持って歩き始めている自分がいる。




たくさんの人に助けられてきた。




これからエゴを舞い上がらせ、自分の手に負えないことに取り組もうとしないように。


失敗から学び、何が可能かをしっかり把握しながら「夢」を掲げていく。


自分の限界を知りながら、風の女神の風に導かれていくわ。




さようなら
愛した人。
離婚記念日に行った、国立西洋美術館。


私の大好きな場所。
作品をぼんやりと見るのが大好き。


日本の絵も風情があって好きだけど、西洋の絵は歴史が古いから、西洋美術館の絵や彫刻は奥が深くてロマンティックで、ドラマティックなものが多いから大好き。


西洋美術館でまず目を引くのはこれ。
入口にどーんとあるわ。
いつもぽかーんと口を開けて見てしまうのよね。


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La Porte de l'enfer by August Rodin
「地獄の門」 ロダン作

ダンテの叙事詩「神曲」をテーマに製作され、神曲の地獄編に登場する地獄への入口の門。



「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」



地獄の門の銘文は、門自身が一人称で語りかける形となっていて、いわば門の自己紹介であると同時に地獄の紹介。上部真ん中の「考える人」はダンテをロダン自身を表しているとも言われているわ。


この地獄の門は未完であり、世界に7つあるうちの一つ。


「神曲」を読んでないのでわからないけれど、この門くぐりたくなわぁ…といつも思いながら、ぽかーんと見てしまうのよね。



さて




今回は小企画のピカソが気になって行ったわよ。


ビュフォンという「博物誌」の挿絵本をピカソが描いていて、ピカソの動物の絵がいっぱい。



「博物誌」だから、当時写真みたいにちゃんと描かなきゃならないんだろうけど、なんか味わい深くていい絵だったわ。
鳥の羽のひとつひとつが猫の毛のいっぽんいっぽんが丁寧に丁寧に描かれていたわ。


あと特別展のル・コルビュジェの絵に、抽象画の奥深さを感じてきたわ。


絵の事はよくわからないけど、とにかくただの楽器の絵でも深い。

本当によく分からないけれど相当なセンスよ。

すごかったわ。



常設展の中でとりわけ目を引いたのがこれ。
一番気になった作品。

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Celle qui fut la belle heaulmiere by August Rodin
美しかりきオーミエール ロダン作


肉は垂れ下がり手足は骨と皮ばかりになって、しわくちゃのお婆さんの銅像なのだけれど、それがまた小さい銅像の割にはすごい迫力。

この銅像はもともと「老婆」と言うタイトルだったようで、カイラというイタリア人のお婆さんがモデルになったんだけど、ロダンはカイラにポーズをとらせ時間をかけて丹念に観察しながら、老醜をさらす姿を過酷なまでに迫真的に創られているわ。


ちなみにこの老婆は最初に書いた「地獄の門」にも誕生から青春を経て衰退に至る人間の生命のはかなさを象徴するものとして浮彫されているの。



この後につけられたタイトル「美しかりしオーミエール」はフランソワ・ヴィヨンの詩(おそらく遺言詩集「老婆の繰言」からきているんだろうけど)の想から来たもので、その詩は簡単に言えばフランソワ・ヴィヨンが「俺は兜屋のばあさんが繰言を言っているのを聞いたけれど、そのばあさんは、女盛りの昔が懐かしいと言っていた。昔は顔も綺麗でスタイルも抜群、どんなオトコもイチコロでオトコでいろいろあったけれど、いまではもう見る影もないと…ばあさんの繰言はこのばあさんだけには限らない、誰しも年を老いてあほになる。たき火のそばにしゃがみ込んで、綿くずのように思い出を投げ込んでは、やがて燃え上がり灰となるように、美しいものはいつかは消える。このばあさんには限らない」と言う詩から来ているの。



ただロダンはこの作品で美しさや若さの持つはかなさや虚しさを強調しようとしたわけじゃなく、醜いと思われているものを美に変える芸術家の創造性を表そうとしていて、この作品に関連して「芸術においては、個性的なものだけが美しい。個性とは美しかろうと醜かろうと、何らかの自然なありさまの強烈な真実なのだ…芸術家の名にふさわしい者にとっては、自然の中にあるものは全て美しい」とロダンは語っているわ。




ロダンと言えばカミーユクローデル。カミーユクローデルといえばロダン。そんな偏ったイメージのある私は、ロダンがカミーユクローデルじゃなくもう一人の女性、ローズと共に暮らしていたけれど晩年になるまで、ローズの亡くなる16日前まで結婚しなかったとか、ロダンの最期の言葉が「パリに残した若い方の妻に逢いたい」だった事とか、優柔不断なロダンの本心(ロダンの真実)を考えると今までの様々な作品にどんな気持ちで取り組んでいたのかを想像すると、このカイラという老婆の銅像がぐっと奥が深くなるのよね。





自然なありさまの強烈な真実とは全て美しい。




もし自分の真実を映し出す鏡があり、その前に立てと言われたら、たいていの人はその前には立てないと思うわ。


だからたいていの人は「美」を間違った方向に追求してしまう。



ありのままの自分を受け入れる事が、あらゆるものに対しての美しさに繋がること。



私は思いきって立つわよ。
自分の真実を映し出す鏡の前に。
自分の人生を創る芸術家として。
自分の人生は自分でしか創れないのだから。





そしてこう言うの。




変わらない愛を
変わらない美しさを
変わらない明るさを
変わらない究極の愛を
美しくあれ
かならず
美貌は気にするな
美しくあれ





La vraie beauté
本当の美しさ




雲の上-image




8/19は離婚記念日


離婚届を提出したのは2011年8月19日。


あの時はきつかったなぁ。
あの時は辛かったなぁ。
あの時はいっぱい泣いたなぁ。


病気で仕事を休めと宣告されたこともあり、当時はお先真っ暗な感じだったわね。
家を出て行ったときの、あの辛い気持ちは忘れない。
家族から娘たちから、引き離された時のあの感じは本当に忘れない。
私が家を出てから時々遊びに来る娘たちを、別れるとき見えなくなるまで泣きながら、ずっとずっと娘たちを見ていたあの時の気持ちも忘れない。



私にとって大切なものの優先順位はどこなのか。
今だからこそ。
だからこそ。




厳しくても楽しい毎日。
ようやく少し乗り越えたと言うことで、自分でお祝いしたわ。



お祝いは自分のご褒美に、美術館に行ってから一人焼肉をしたわよ。
ゆるゆると絵を見て公園を散策し、そして焼肉!
いつも焼肉は焼いて食べさせてばかりで、まともに食べられないから十分堪能したわ。
「いつもは乗ってるんだなぁ」とJRの電車をぼーっと眺めながら、ゆっくりしたわよ。




充実した自分の時間
自分を満たすものは、まず自分の中にある。



私がどんなになっても、明るく前向きに正々堂々と生きていくこと。
それが自分にとって、結果「良かった」と思える人生でありますよう。



自分の心に自由であることが、娘たちや関わる人たちへの自由に繋がると思っているの。
好き勝手とかじゃなくて。



娘たちに「母は良い人生だった」と思われるような人生を。
楽しく明るく前向きに。





ふぅ。





離婚して丸二年





今ではお金が無くても、娘たちと笑う毎日を過ごし仕事も充実。病気のせいか少し疲れやすいけれど、体調を心配してくれるパートナーもいるわ。






今が一番幸せ。
離婚して良かった。




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我が家にある慈母観音菩薩


この観音様との出会いは二年前、偽りの自分が死んだ夏。


二年前の出来事をそんな風に解釈できるようになるまで、ずいぶん時間がかかったわね。



意識と無意識の間に立たされて何が何だかわからなかった時、一番怖かったのは「朝起きたら自分を失って狂っていたらどうしよう」と思っていたわ。


散々神さま廻りをしていた時、無意識のまま、神社を巡ったり手入れのない小さい神社では草むしりをしていたりして、一番願ったのは「自分はどうなってもいいから、娘たちだけは救って欲しい」ただそれだけだったわ。


そんな中引き寄せられるように入った、銀座の骨董品屋で出会った母子観音。
買うかどうかは散々悩んだけれど、でも当時すがるような思いで買ったことには間違いはないわ。


この観音様には見守られ、そして愛する事の本当の意味と、私が愛するべきものはどこなのかを教えてもらったわ。



公務員の妻と言う役割は、自分にとってとてつもなく大きく歪んだ枠で、自分の力を最大限にしてねじ曲げ続けて、枠に居続けようとして結局は感情の器が壊れた。私には合っていなかった。





感情の器が壊れた。
でもそこには、自分と繋がった新しい自分と、古くから何者かと話せる古い自分に出会った。



私は夏生まれで、二年前の夏にねじ曲げ歪んだ偽りの「私」が死んで、自分と繋がった「私」と「わたし」が産まれた。





夏は私にとって、特別な季節





あるシャーマンから言われたのは、当時私が起こっていることは「神の仕業」で、今までの不要なものを全て清算させられるとか。


当時は娘たちと離れて、かなりショックだったけれど、いつのまにか私の所に戻って来た。
十分苦しんで悲しんだけれど、その何倍も強くなって戻って来たわ。


起こった事全て偶然であっても、全ては必然なんだと思うのよね。




私も今ではその神や霊や魂の力を、使う仕事を時々させてもらっているけれど、実はあまり信じていないの。





ただ


古くから神や霊は存在していて、それは人間の脳の奥深さに繋がっており、意識から無意識の先には深くて広い宇宙と繋がり、そこには「清涼池」があり、そこに到達すると大抵の人は同じ事を言うわ。



それは到達した人にしかわからない。




私がそこに到達したかどうかはわからないけれど、二年前に死んだときにはたくさんたくさん言われたわね。




それが私の深層心理であり、それが人間の本質なのかもしれない。



人間の脳は自分の想像を超える想像力があり、そこには神や霊など目に見えないものの力を使って、心をあらゆるもの全てを豊かにする。



当時必ず最後に言われた、あるもうひとつの言葉があるの。
死んだ私に、産まれた私に向けての言葉。



いまでも忘れない。
当時崖から突き落とされたような状態の私へ




「祝福あれ!祝福あれ!祝福あれ!」




今は愛するもの全てに。




そして

偽りの自分、さようなら。





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誕生日


鏡に映る、目の下の皺も

寝ても寝てもなかなか取れない目の下のクマも

頬に模様の様に出来ているシミも

こぼれそうでこぼれおちない、身体についた柔らかすぎる贅肉も


みんなみんな、ひっくるめて


これまでに身につけた心の強さも

心の奥にじっと留めている情熱も

情や情けも

今の私の優しさも厳しさも

わたしの本当の弱さも


すべてひっくるめて




43歳




自分を偽らず
自分に勝とうとせず
自分に負けず


見上げず
うつむくことなく


ただ、まっすぐに生きていく。


ポジティブな主張をし
おごらず誇りを持って

そして心は上向き加減で笑って行くわよ。


今までより確実に、幸せの右肩上がり43歳


まだまだぐんぐん伸びるわよ。



頑張っている私に



おめでとうわたし
ありがとうみんな



これからもわたしたちを
これからも私を



関わって行くみんなに
よろしくなのです。




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