離婚記念日に行った、国立西洋美術館。
私の大好きな場所。
作品をぼんやりと見るのが大好き。
日本の絵も風情があって好きだけど、西洋の絵は歴史が古いから、西洋美術館の絵や彫刻は奥が深くてロマンティックで、ドラマティックなものが多いから大好き。
西洋美術館でまず目を引くのはこれ。
入口にどーんとあるわ。
いつもぽかーんと口を開けて見てしまうのよね。
La Porte de l'enfer by August Rodin
「地獄の門」 ロダン作
ダンテの叙事詩「神曲」をテーマに製作され、神曲の地獄編に登場する地獄への入口の門。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
地獄の門の銘文は、門自身が一人称で語りかける形となっていて、いわば門の自己紹介であると同時に地獄の紹介。上部真ん中の「考える人」はダンテをロダン自身を表しているとも言われているわ。
この地獄の門は未完であり、世界に7つあるうちの一つ。
「神曲」を読んでないのでわからないけれど、この門くぐりたくなわぁ…といつも思いながら、ぽかーんと見てしまうのよね。
さて
今回は小企画のピカソが気になって行ったわよ。
ビュフォンという「博物誌」の挿絵本をピカソが描いていて、ピカソの動物の絵がいっぱい。
「博物誌」だから、当時写真みたいにちゃんと描かなきゃならないんだろうけど、なんか味わい深くていい絵だったわ。
鳥の羽のひとつひとつが猫の毛のいっぽんいっぽんが丁寧に丁寧に描かれていたわ。
あと特別展のル・コルビュジェの絵に、抽象画の奥深さを感じてきたわ。
絵の事はよくわからないけど、とにかくただの楽器の絵でも深い。
本当によく分からないけれど相当なセンスよ。
すごかったわ。
常設展の中でとりわけ目を引いたのがこれ。
一番気になった作品。
Celle qui fut la belle heaulmiere by August Rodin
美しかりきオーミエール ロダン作
肉は垂れ下がり手足は骨と皮ばかりになって、しわくちゃのお婆さんの銅像なのだけれど、それがまた小さい銅像の割にはすごい迫力。
この銅像はもともと「老婆」と言うタイトルだったようで、カイラというイタリア人のお婆さんがモデルになったんだけど、ロダンはカイラにポーズをとらせ時間をかけて丹念に観察しながら、老醜をさらす姿を過酷なまでに迫真的に創られているわ。
ちなみにこの老婆は最初に書いた「地獄の門」にも誕生から青春を経て衰退に至る人間の生命のはかなさを象徴するものとして浮彫されているの。
この後につけられたタイトル「美しかりしオーミエール」はフランソワ・ヴィヨンの詩(おそらく遺言詩集「老婆の繰言」からきているんだろうけど)の想から来たもので、その詩は簡単に言えばフランソワ・ヴィヨンが「俺は兜屋のばあさんが繰言を言っているのを聞いたけれど、そのばあさんは、女盛りの昔が懐かしいと言っていた。昔は顔も綺麗でスタイルも抜群、どんなオトコもイチコロでオトコでいろいろあったけれど、いまではもう見る影もないと…ばあさんの繰言はこのばあさんだけには限らない、誰しも年を老いてあほになる。たき火のそばにしゃがみ込んで、綿くずのように思い出を投げ込んでは、やがて燃え上がり灰となるように、美しいものはいつかは消える。このばあさんには限らない」と言う詩から来ているの。
ただロダンはこの作品で美しさや若さの持つはかなさや虚しさを強調しようとしたわけじゃなく、醜いと思われているものを美に変える芸術家の創造性を表そうとしていて、この作品に関連して「芸術においては、個性的なものだけが美しい。個性とは美しかろうと醜かろうと、何らかの自然なありさまの強烈な真実なのだ…芸術家の名にふさわしい者にとっては、自然の中にあるものは全て美しい」とロダンは語っているわ。
ロダンと言えばカミーユクローデル。カミーユクローデルといえばロダン。そんな偏ったイメージのある私は、ロダンがカミーユクローデルじゃなくもう一人の女性、ローズと共に暮らしていたけれど晩年になるまで、ローズの亡くなる16日前まで結婚しなかったとか、ロダンの最期の言葉が「パリに残した若い方の妻に逢いたい」だった事とか、優柔不断なロダンの本心(ロダンの真実)を考えると今までの様々な作品にどんな気持ちで取り組んでいたのかを想像すると、このカイラという老婆の銅像がぐっと奥が深くなるのよね。
自然なありさまの強烈な真実とは全て美しい。
もし自分の真実を映し出す鏡があり、その前に立てと言われたら、たいていの人はその前には立てないと思うわ。
だからたいていの人は「美」を間違った方向に追求してしまう。
ありのままの自分を受け入れる事が、あらゆるものに対しての美しさに繋がること。
私は思いきって立つわよ。
自分の真実を映し出す鏡の前に。
自分の人生を創る芸術家として。
自分の人生は自分でしか創れないのだから。
そしてこう言うの。
変わらない愛を
変わらない美しさを
変わらない明るさを
変わらない究極の愛を
美しくあれ
かならず
美貌は気にするな
美しくあれ
La vraie beauté
本当の美しさ
私の大好きな場所。
作品をぼんやりと見るのが大好き。
日本の絵も風情があって好きだけど、西洋の絵は歴史が古いから、西洋美術館の絵や彫刻は奥が深くてロマンティックで、ドラマティックなものが多いから大好き。
西洋美術館でまず目を引くのはこれ。
入口にどーんとあるわ。
いつもぽかーんと口を開けて見てしまうのよね。
La Porte de l'enfer by August Rodin
「地獄の門」 ロダン作
ダンテの叙事詩「神曲」をテーマに製作され、神曲の地獄編に登場する地獄への入口の門。
「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」
地獄の門の銘文は、門自身が一人称で語りかける形となっていて、いわば門の自己紹介であると同時に地獄の紹介。上部真ん中の「考える人」はダンテをロダン自身を表しているとも言われているわ。
この地獄の門は未完であり、世界に7つあるうちの一つ。
「神曲」を読んでないのでわからないけれど、この門くぐりたくなわぁ…といつも思いながら、ぽかーんと見てしまうのよね。
さて
今回は小企画のピカソが気になって行ったわよ。
ビュフォンという「博物誌」の挿絵本をピカソが描いていて、ピカソの動物の絵がいっぱい。
「博物誌」だから、当時写真みたいにちゃんと描かなきゃならないんだろうけど、なんか味わい深くていい絵だったわ。
鳥の羽のひとつひとつが猫の毛のいっぽんいっぽんが丁寧に丁寧に描かれていたわ。
あと特別展のル・コルビュジェの絵に、抽象画の奥深さを感じてきたわ。
絵の事はよくわからないけど、とにかくただの楽器の絵でも深い。
本当によく分からないけれど相当なセンスよ。
すごかったわ。
常設展の中でとりわけ目を引いたのがこれ。
一番気になった作品。
Celle qui fut la belle heaulmiere by August Rodin
美しかりきオーミエール ロダン作
肉は垂れ下がり手足は骨と皮ばかりになって、しわくちゃのお婆さんの銅像なのだけれど、それがまた小さい銅像の割にはすごい迫力。
この銅像はもともと「老婆」と言うタイトルだったようで、カイラというイタリア人のお婆さんがモデルになったんだけど、ロダンはカイラにポーズをとらせ時間をかけて丹念に観察しながら、老醜をさらす姿を過酷なまでに迫真的に創られているわ。
ちなみにこの老婆は最初に書いた「地獄の門」にも誕生から青春を経て衰退に至る人間の生命のはかなさを象徴するものとして浮彫されているの。
この後につけられたタイトル「美しかりしオーミエール」はフランソワ・ヴィヨンの詩(おそらく遺言詩集「老婆の繰言」からきているんだろうけど)の想から来たもので、その詩は簡単に言えばフランソワ・ヴィヨンが「俺は兜屋のばあさんが繰言を言っているのを聞いたけれど、そのばあさんは、女盛りの昔が懐かしいと言っていた。昔は顔も綺麗でスタイルも抜群、どんなオトコもイチコロでオトコでいろいろあったけれど、いまではもう見る影もないと…ばあさんの繰言はこのばあさんだけには限らない、誰しも年を老いてあほになる。たき火のそばにしゃがみ込んで、綿くずのように思い出を投げ込んでは、やがて燃え上がり灰となるように、美しいものはいつかは消える。このばあさんには限らない」と言う詩から来ているの。
ただロダンはこの作品で美しさや若さの持つはかなさや虚しさを強調しようとしたわけじゃなく、醜いと思われているものを美に変える芸術家の創造性を表そうとしていて、この作品に関連して「芸術においては、個性的なものだけが美しい。個性とは美しかろうと醜かろうと、何らかの自然なありさまの強烈な真実なのだ…芸術家の名にふさわしい者にとっては、自然の中にあるものは全て美しい」とロダンは語っているわ。
ロダンと言えばカミーユクローデル。カミーユクローデルといえばロダン。そんな偏ったイメージのある私は、ロダンがカミーユクローデルじゃなくもう一人の女性、ローズと共に暮らしていたけれど晩年になるまで、ローズの亡くなる16日前まで結婚しなかったとか、ロダンの最期の言葉が「パリに残した若い方の妻に逢いたい」だった事とか、優柔不断なロダンの本心(ロダンの真実)を考えると今までの様々な作品にどんな気持ちで取り組んでいたのかを想像すると、このカイラという老婆の銅像がぐっと奥が深くなるのよね。
自然なありさまの強烈な真実とは全て美しい。
もし自分の真実を映し出す鏡があり、その前に立てと言われたら、たいていの人はその前には立てないと思うわ。
だからたいていの人は「美」を間違った方向に追求してしまう。
ありのままの自分を受け入れる事が、あらゆるものに対しての美しさに繋がること。
私は思いきって立つわよ。
自分の真実を映し出す鏡の前に。
自分の人生を創る芸術家として。
自分の人生は自分でしか創れないのだから。
そしてこう言うの。
変わらない愛を
変わらない美しさを
変わらない明るさを
変わらない究極の愛を
美しくあれ
かならず
美貌は気にするな
美しくあれ
La vraie beauté
本当の美しさ

