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我が家にある慈母観音菩薩


この観音様との出会いは二年前、偽りの自分が死んだ夏。


二年前の出来事をそんな風に解釈できるようになるまで、ずいぶん時間がかかったわね。



意識と無意識の間に立たされて何が何だかわからなかった時、一番怖かったのは「朝起きたら自分を失って狂っていたらどうしよう」と思っていたわ。


散々神さま廻りをしていた時、無意識のまま、神社を巡ったり手入れのない小さい神社では草むしりをしていたりして、一番願ったのは「自分はどうなってもいいから、娘たちだけは救って欲しい」ただそれだけだったわ。


そんな中引き寄せられるように入った、銀座の骨董品屋で出会った母子観音。
買うかどうかは散々悩んだけれど、でも当時すがるような思いで買ったことには間違いはないわ。


この観音様には見守られ、そして愛する事の本当の意味と、私が愛するべきものはどこなのかを教えてもらったわ。



公務員の妻と言う役割は、自分にとってとてつもなく大きく歪んだ枠で、自分の力を最大限にしてねじ曲げ続けて、枠に居続けようとして結局は感情の器が壊れた。私には合っていなかった。





感情の器が壊れた。
でもそこには、自分と繋がった新しい自分と、古くから何者かと話せる古い自分に出会った。



私は夏生まれで、二年前の夏にねじ曲げ歪んだ偽りの「私」が死んで、自分と繋がった「私」と「わたし」が産まれた。





夏は私にとって、特別な季節





あるシャーマンから言われたのは、当時私が起こっていることは「神の仕業」で、今までの不要なものを全て清算させられるとか。


当時は娘たちと離れて、かなりショックだったけれど、いつのまにか私の所に戻って来た。
十分苦しんで悲しんだけれど、その何倍も強くなって戻って来たわ。


起こった事全て偶然であっても、全ては必然なんだと思うのよね。




私も今ではその神や霊や魂の力を、使う仕事を時々させてもらっているけれど、実はあまり信じていないの。





ただ


古くから神や霊は存在していて、それは人間の脳の奥深さに繋がっており、意識から無意識の先には深くて広い宇宙と繋がり、そこには「清涼池」があり、そこに到達すると大抵の人は同じ事を言うわ。



それは到達した人にしかわからない。




私がそこに到達したかどうかはわからないけれど、二年前に死んだときにはたくさんたくさん言われたわね。




それが私の深層心理であり、それが人間の本質なのかもしれない。



人間の脳は自分の想像を超える想像力があり、そこには神や霊など目に見えないものの力を使って、心をあらゆるもの全てを豊かにする。



当時必ず最後に言われた、あるもうひとつの言葉があるの。
死んだ私に、産まれた私に向けての言葉。



いまでも忘れない。
当時崖から突き落とされたような状態の私へ




「祝福あれ!祝福あれ!祝福あれ!」




今は愛するもの全てに。




そして

偽りの自分、さようなら。