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バーバリンのつぶやき

三人の子どもを育て、いまや孫二人
そんな私の子育て談義

  ※文中の「Tトレ」はトイレトレーニングの略です

30年前のTトレ(おむつはほとんどが布でした)

1歳半くらいまでの「夏」Tトレを始め、その夏で終了するというパターンでした。
それは、1歳を過ぎると、おしっこの量も増え1枚だった布おむつが2枚になって、おむつ洗いが2倍になってしまうので困るのと、子どもがおしっこを溜められるようになるからです。
「夏」にという理由も、パンツ一つにさせておけるし、お漏らししても洗濯が少なくて済み、すぐ乾く…などが、Tトレに向いているからです。

まず、薄いパンツ一枚にします。
それまでに掴んでおいた、だいだいのおしっこ間隔で、(私の場合)オマルに、
遊び感覚で、誘います。
その頃はあまり抵抗がなく座ってくれます(中には嫌がる子もいますが、そんな時
は、決して無理しないで、また、チャンスをみて、別のアプローチでトライします。
このくらいの時は興味がころころ変わるので反応もよく変わりますから)

タイミングが合ってオマルにできた時は、もちろん、二ッコ二ッコで(親が)一緒に
成功を喜びます。
これのくり返しですが、私の場合、間隔の長い大便の方が、タイミングが合いやす
く、おしっこより早くできるようになりました。
そして頃合いを見計らってオマルからトイレへ。

失敗してもいい環境にしておくことも、こちらのストレスをなくす、大事なことです。
遊ぶところは、外、とか、べランダ、家の中でも畳でなく床の方…といったところで
しょうか。
おしっこが出るという感覚を掴むまで失敗します。でも「失敗は成功のもと」

失敗が「おしっこ出ちゃった」の感覚を覚えるきっかけになります。
(最近ですが、おしっこが、パンツから足を伝って流れるのがお漏らしですが、
その、足を流れる感覚がおしっこが出たということを感じるのに大事だという説を知りました)

こうして、夏の終わりには、あがっているというのが、この頃の大方の「おむつ外し」でした。<身体で覚える、いやいや期前のTトレ>


今のTトレ(ほとんどが紙おむつ)→おしっこをしても実質困らない

最近はTトレが遅くなり、自我の芽生える「いやいや期」に入ってからが多いようで、
昔と違った大変さがあるようです。
私も孫のTトレに関わり、考えさせられました。

この時期は<身体とこころで覚えていくTトレ>でしょうか。
自我を考慮しなくてはならないので、大方の、と括れない、それぞれ違ったTトレに
なると思います。
それぞれの子の個性によって違う「あがり方」を見つける、という感じでしょうか。

どうせ通る道です。過ぎてしまえば、だかがトイレのことです。そこを親子共々
辛い時間にしないで、明るく通り過ぎましょう!
というのが、私の提案です。
○○までになんとかしなきゃ、などとあがり時を決めてしまうと、それに縛られ
イライラしますから、止めにして。
「おしっこやウンチはトイレでするものなんだよ」「できるといいね、できたら私も
うれしいよ」と心を込めて伝えて、失敗しても、戻っても「この次はできるね」と
言い続けた方が叱るより効果的だし、親子の関係も悪くならないと思います。

自分の身に変えて考えてみれば(何事も)失敗を責められるより、許されて、次ね
と言われた方が、今度はがんぱろうという気になりますよね。
それに、この先、失敗を恐れて、進めない子になってもらっても困ります。


子どもの自我の在り様(個性)を知って、このタイプにはどんな投げかけが有効か
(その気になるか)を探ります。
本の主人公コース、お兄(姉)ちゃん(ぱぱ、まま)あこがれ模倣コース、実感
(お漏らし)コース、理論派コース…混合ミックスコースそしてオリジナルコース

トイレですることに成功したら、喜びを共有して「これが溜まったおしっこが出る
時の感じよ」と現場で解説してあげて。
「おしっこが溜まった」→「出そう」→「おしっこ!と知らせる」→「トイレへ」
の流れが身体に定着するまで、失敗を恐れず、繰り返し。

Tトレが始まったら、できたら、失敗(お漏らし)予防の紙おむつは、使わない方が
トレーニング期間が長引かないと、私は思います。



3年前、「赤ちゃんにおむつはいらない」という本を読みました。
(0歳から)おむつなし、を実践したお母さんたちの「おむつの洗濯が少なくなってよかったとかより、このことを通して、自分の子をじっくりみつめられて、すごく愛おしく感じることができたことが、とてもうれしい」という感想です。じっくりみていると、赤ちゃんのサインが読めるようになって、それがうれしく、楽しいと言っています。

自我の芽生えた我が子をどんな個性の子なのかじっくりみつめるチャンスかも。







前回の予防注射の話にもつながるのですが、
最近の衛生観念は行き過ぎだと思えてなりません。

「衛生的」であることは大事ですが、今のような、何でも抗菌、除菌、消毒では、
子育てで目指す「丈夫な身体」「おおらかで逞しい心」に逆行してしまわない
でしょうか。

五感教育研究所の高橋良寿先生から、「生物(人間)は自然の中で成長するように
プログラミングされている」ということや、五感などの潜在能力を育めないと、
それが身体にとってストレスになるという、脳の発達面からの理論的な話も聴きました。
研究所の方針に、
「自然の中の汚いものにも触れ、臭い匂いも、危険な匂いも(対応できるよう)体験すること」
(バイ菌やウイルスの種類を「免疫」が学習し、身体への侵入に対して働き、死滅させるのが「免疫力」である。無菌状態、臭いものを排除しようとする環境では免疫力も抵抗力も低下する)
と、あります。潜在能力の育みに関することです。

抗菌、除菌、消毒で身体を守る常在菌をも除いてしまい、かえって敏感で弱い身体にしてしまわないか、考えてみる必要があると思います。


また、私が特に気になるのは、心の育ちへの影響です。

子は自然児で生まれ、動けるようになれば、何でも舐めるし、触る、投げる、
走る、跳ねる…本能のままです。
ここに、この行き過ぎの衛生観念が入ってくると、大変です。
ただでさえ、住宅事情や環境で、飛んだり、跳ねたりも規制されることの多い上に
生活のあらゆる場面で、この見えない「菌」に対しての注意や規制がされます。
「触っちゃダメ」「入ってはダメ」「ーはダメ」「…否定が多くなります。
注意する側だって、いい気持ではいられず、親も子もストレスフルな日々を
重ねることになってしまうでしょう。


この果てしない無菌志向は人間社会を生き辛く、排他的にするばかりです。
子どもにとっては、本能や自我(自分を主張すること)の否定になってしま
わないかと心配です。

「人間は動物である」ということに立ち返ってみれば、親自身が縛りから解放され、
もっとおおらかに過ごせるのではないでしょうか。

※前回の「予防注射…」にコメントをくださった、あもさんのアトピー克服の
キーワードは「洗いすぎない」とのこと。もう少し詳しくお聞きして、機会を
みて、ここでお伝えしたいと考えています
元国立公衆衛生院室長の母里啓子(もりひろこ)先生のお話を聞きに行きました。


私の子育て時代(30年前くらい)までは、はしか、おたふくかぜ、水ぼうそう等ポピュラーな伝染病は子どもが小さいうちに罹らせました。
「うつっておいで」と罹っている子と遊ばせたものでした。
大人になると重くなることが多いけれど、生命力の強い子どものうちにできるだけ罹ってしまえば、しっかりと抗体ができて、それは一生ものです。


最近は、はしかも予防注射になって、昔のように罹らせようとしても、うつしてもらうことができない(罹っている子がいない)と困惑する母の悩みが、私には、切実に感じられます。


病気に罹る→治る→(繰り返し)抗体を増やす→だんだん病気に罹らなくなる→抵抗力のある丈夫な身体になる
と考えて過ごしてきた私にとって、いき過ぎた予防注射や薬、医療のあり方、特に年々増える子どもの予防接種、ワクチンには、疑問だらけでした。


そんな折、この講演を知ったのです。
聴いて本当によかった。多くの人に聴いてもらいたい!と思いました。


皆、子どもの健康(自身、家族も)を願っています。今、そのためにしていることが本当にそこへ向かう道につながっているか、よくよく確かめないと。
それぞれ違う体質を持っています。Aちゃんに良くても、Bちゃんには良くないということがあります。
「皆がしているから」「しろと言われたから」で進んでは危険です。そうした事故も起こっています。命に関わることですから、自分で(親が)しっかり確かめることが必要と思います。


インフルエンザの予防接種も、意味がないこと、またタミフルや解熱剤の危険性も知りました。
私自身は(家族も)インフルエンザの予防注射を受けたことがなく、罹った自覚もありません(医者に行かないので、解らない)
先生の話では、予防接種をしない時代、インフルエンザの症状が出ないで、調べてみると抗体ができている、元気な子どもが結構な割合でいたといいます。


人間の持つ自然治癒力を高めていくことに力を注いでいく方が、本当の健康に近づけるのではないでしょうか。


講演で聴いてきたことを、ここで私が正確にお伝えすることは、不可能です。
お話を聴く機会があったら是非聴いてみてください。もしくは図書館で本を借りてみては?
私も講演後すぐに図書館に予約を入れ、今、手元に母里啓子監修『今年はどうする?インフルエンザ 疑問だらけの予防注射と特効薬』があります(読みやすいです)。できるだけ早く読んで廻しますね。
私が子育て支援の場に居て、いつもすごいなと感じるのは、
最初、心配や不安でいっぱいの母たちが、徐々に逞しくなっていく姿です。

それは、子育てが、母の己育てになっているということなのでしょう。
是非是非、父にも子育て(己育て)に参加させてあげてください
(仕事に頑張ってくれているお父さんです。声かけは、○○すべき、ではなく、あなたを頼りにしているーといった形がいいと思います→余計なことかな)


子どもは一人一人違った個性を持って生まれます。
親は、自分と違った個性を育むためには、自身の人間の巾を広げざるを得ないのです。
虫が嫌いな母に虫大好きっ子、静かな母にじっとすることなく動きまわる子、活発な母におっとり静かタイプの子…これは勿論全て、父にも置き換えられるわけですが。

私も、長男が2~5歳くらいまで、やんちゃで、エネルギッシュでした。このパワーはきっと大きくなってのやる気とか、生きる力になるだろうと頭ではわかっているのですが、日々のお付き合いは、ほんとに大変で、母に泣いてこぼしたのを思い出します。でもお陰で鍛えられました。

鍛えられる、自分を変化させられる、が親の己育て、ではないでしょうか。
虫が結構かわいく思えたり、子どもを追いかけているうちにダイエットしてたり、車の名前が全部言える我が子を「すごいな」って思えたり…違う世界を見せてもらえます。
そんな視点で子どもを見ていると、子育ての大変さの裏にある、楽しさ、喜びが見つかるのでは?

実は、子どもってすごいのです。
大方の大人は生きていく中で、見栄や顕示欲や羨望…といった余分なものを身につけてしまい心の鏡を曇らせてしまいます。
曇りのない心の子どもは、本質を見抜く力を持っています。

子どもの声に耳を傾け、自分のありようを振り返る大人でありたいと思います。
そして、子が親に「いや」、「違う」と本音が言えて、親も間違ったら、突っ張らないで、「ごめんなさい」が言える、本音の付き合いができれば、そこに人との関係で一番大切な、信頼関係が育めます。
その関係は生まれたその瞬間から築いていくものだと思います。
最初の子育てが始まった時、母も新米で、とても不安です。
おっぱいは足りているかしら、どこか具合の悪いところはないかしら…
特に、「泣く」ということに神経を尖らせます。
子を持った時、誰もが通る道です。

私も第一子を産んだ時、泣いていると、おっぱいが足りないのだろうと、随分心配になりました。
本などによれば、だいたい3時間ごとぐらいの授乳となっているのに、1時間くらいで泣く、などざらでした。
でも、周りにいる、母や来てくれた助産師さんや先輩から、最初はおっぱいの道がつかないので、時間など関係なく飲ませていい、とかその子によって飲む力に差がある、授乳間隔も違う…等などアドバイスをもらいました。
また自分で動けない頃の赤ちゃんは泣くことが運動でもある、と考えることも教えられました。
そして、何より「泣く子は育つ」ということわざが私の気持ちをゆったりさせてくれました。

それから、話せない赤ちゃんの 泣くは大人の 泣くより多くの意味を持っていると実感していきました。
痛いから泣く、眠いから泣く、空腹で泣く、機嫌が悪く泣く、抱いて欲しいから泣く…などなど何より、泣きの第一声産声は「元気」の目安です。
こうしてみると大人の悲しい、つらい、せつない…泣きとは違うのではないかと思われます。

最近、この「泣く」にとても過敏な親御さんが多いと聞きます。
泣くとどうしたらいいかわからなくて、泣きやませようといろいろやってみても上手くいかず、自分を責めたり、何とかしようと揺さぶってしまったり(揺さぶられ症候群)

何故こうなるのかということを私なりに考えると、
一つは、赤ちゃんの泣くを、先程の大人の泣き(悲しい、つらい…)と受け取って、何とかしなくてはと必死になってしまう。親の極端な不安や動きは本能的な敏感さのある赤ちゃんに伝わって余計に泣くという悪循環に陥る ということはないでしょうか。

また、他所の子と比べることで不安になるということもあるでしょう。
これは泣くということだけではなく、あらゆることに当てはまることですが、比べて一喜一憂することは、いいことありません。
一人一人違うのです。隣の子は○○なのに何でうちの子はーというのは得るものがないとおもいます。

もう一つは、
泣くを受け入れない世間の流れを親御さんが感じて反応している場合です。
泣かせていると、お隣からクレームがきたり、何泣かせているんだという視線を感じたり、最悪なのは「通報されるから泣かせるな」と言われたり…

確かに許容量の狭くなっている社会です。でもそれは、地域がなくなって、人と人との繋がりが薄くなっているためで、人の本質はそれ程変わっていないはずです。隣の方であれば、こちらから「うるさくて、ご迷惑おかけします」など声をかけたり、先輩であれば、率直に「私も困っています」と相談したりしてみてください。親しくなっていくと、見守る側になってくれる人も少なくないと思います。

赤ちゃんは泣くもので、「泣く子は育つ」は昔から言い伝えられていることですから。