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バーバリンのつぶやき

三人の子どもを育て、いまや孫二人
そんな私の子育て談義

昨年(2013・5・5)に書いた記事「本日 こどもの日!」で、新聞から、子どもの現状や天野秀昭さんの「生きる実感を育んで」という文章を紹介しました。
本来の自分を出せずに仮面を何枚もつけて過ごしている子どもの実態をどう受け止め、話を聴いてほしい、自分を認めてほしい、という願いにどう応えていくのかが、大人の課題です。

今年5月5日は、東京新聞の社説で「開発教育」という言葉に出会いました。
その開発とは、内包するものを、そのまま引き出してあげること。一人ひとりが生まれ持つよいものを、見つけ、引き出し、伸ばしてあげること。それを教育のめざすところとする。

これは、明治の初め、初代文部大臣になる森有礼と教育者福沢諭吉の間であった [compulsory education]の訳語論争の際、福沢氏が主張した言葉で、森氏は国家に有用な人材となるべき学びという意味で「義務教育」という言葉を当てたとのこと。

今、「義務教育」が進み、『子どものため』といいながら、大人の都合の「強制教育」になってしまっているように私は感じています(早期教育はどうでしょうか)

社説は「子どもたちはこいのぼり、子どもたちはかざぐるま。大人は風になれればいい」
と結ばれています。

こいのぼりが大空高く泳ぐようにと、(大人が)風になることは、容易なことではありません。
大人も、共に学んでいく「己育て」、自己研さんが必要、ということですね。

その「己育て」には、国を創っていく一員としての役割をどう果すか、という課題も含まれると思います。
子どもが健やかに育つには、国のあり方が大きく関わっているからです。

大人は選挙権を持ち、次世代から託されている責任があります。特に現在その役割の大切さは、かつてない程、と感じます。


5月3日は憲法記念日。
今、平和への願いが軸になる憲法が変えられようとしています。

自分一人ではどうしようもないと諦めてしまっている人も多いと思いますが、
いろいろな動きをして下さっている人がいます。
気持ちのある方は、意を同じくする活動とつながってみてはどうでしょうか。
私は昨年末から「憲法9条にノ-ベル賞を」という活動に賛同し参加(署名ですが)しています。


一人ひとりの命、その持ち味が、尊重され生かされる社会は、大人にとっても幸せな社会です。
それには、「平和」は大前提ではないでしょうか。
随分御無沙汰しました。前回(1)の続きになります。

駒谷真美先生の「メディアと上手なつきあい方」は、
厚生労働省の調査発表した「ネット依存中高生52万人」という話から始まりました。

寝る時間以外ほとんど画面を見ている、さらには寝る時間にも及んでしまう。
そういった生活が、身体や心に与える悪影響は計りしれません。

赤ちゃんの時から多くのメディア機器に囲まれての生活が
当たり前の今の世です。
「中高生の問題」ーではありません。
ネットにハマらないようにするにはどうしたらいいのでしょう。

学童期からの子どものケータイやネットとの上手な付き合い方として、
フィルタリングなど器械的に制限して、保護者と一緒に使用する
→主体的には子どもが使うが、利用の様子を大人が見守る→…
など自ら節度ある使い方ができるようになるまで、
親(大人)の段階的な関わりが必要、という話がありました。

ネット上でのいじめ、犯罪、事件につながってしまう危険性を考えると
もっともだと強く思いますが、何と大変なことだろうとため息が出ます。
使わせなければいい、と思ってみても、現実には難しい。

私がこの講演でのキーポイントとして受け取ったことは、
実体験をいっぱい積んで、人間としての力を高めること、
その楽しさ、喜びを味わうこと(昔だったら当たり前であったことですが)

本ブログの「過ぎたるは及ばざるが如し」という記事の
『人間は五感などの潜在能力を育めないと、それが身体にとってのストレスになる』
(高橋良寿先生)という話につながります。


★先日1歳4カ月の孫を預かった時のこと。
家の前の道で、落ちている石を、わきのU字溝に投げ入れて遊んでいました。
大きめの石を入れた時、それを取り戻そうとしゃがんで手を伸ばしました。
(そのままいくと頭が重くて、U字溝に頭から突っこみそうで、
私が思わず止めようとした)その時、手を引っ込め、道に腹ばいになってから、
U字溝の中の石を取ったのです。

このように持っている潜在能力を発揮する場は大切で、いっぱい必要です。


★地域のログハウスに行きました。
1歳児~小学5年生ぐらいの男児女児(+大人)でいっぱいでした。
子どもたちは、登ったり降りたり駆けたり…皆、エネルギッシュで
疲れ知らずの元気さは、昔と変わりません。
大きい子が小さい子の面倒を見てくれる、一緒に遊んでくれる。
小さい子は親に言われるより言うことをききます。
関わり合うことでの「育ち合い」です。

大勢だと、使いたいものが使えないこともある。
けんかもして、順番、かわり番こ、半分こ…
人のことも考えて、待ったり譲ったり、ルールを決めたりすることを
学ぶチャンスでもあります。


実体験での楽しさ、喜び、共感、助け合い、大変を自力で越えていくこと、
達成感…を味わっていたら、ゲームやネットをやったとしても、
それだけにハマってしまうことはないだろうと思います。

実体験とは、特別なことではなく、普段の生活そのものです。
特に0歳~5歳ころの子どもは、親(大人)のあり方をそのまま吸収します。
自尊感情や思いやりという心の基礎が
生活の中での親御さんとのやりとりで育まれる、とても大事な時です。


ネットに限らず、世間や皆の<当たり前>を、
本来の望みと違う方に進んでいないか、
それぞれが常に見直していかなければならない時代だと思います。
新しい年を、これまでの学びの上に立って進みたい、という思いもあり、まず昨年の学びから。

昨年は講演を二つ聴きました。
駒谷真美先生(昭和女子大学院 人間教育学専攻準教授)「メディアと上手なつきあい方」
加藤繁美先生(山梨大学  教育人間科学部教授)「早期教育が生きる力を奪う」です。

自分の子育て期からの懸念、
メディア(テレビ、ゲーム機器、携帯 今は ネット、スマホ…)と早期教育(その低年齢化、多様化)
今も最大の関心事です。

加藤繁美先生のお話は、共感というよりもっと近い、私自身のおもいとたくさん重なるのを感じながら聴きました。
※加藤先生が「子どもへの責任」と題して、他で講演されたお話、私の思うことも絡めてお伝えします。

「生後10カ月ごろ同調、共感、要求が出始め、1歳半~3歳ころ、自我が拡大します。
こうしたい、これはイヤという自我(自己主張)は2歳児に強烈に出てきます。
<人生のなかで一番大事にされるとき> この自我を(大人が)とことん受け止めます。
うんと自己主張を大事にしてください」
「この芽を育てていくと、第二の自我、社会的知性が豊かに育っていきます」

「ただ、間違えていけないのは、たとえば『夕食食べたくない。ニンジンはキライ。僕はアイスクリームが食べたい』と子どもが言った時『そうね、あなたの自己主張だから、夕食は食べなくてもいいわ。アイスクリームを食べる?』というのは自我を受け流しているだけで、勝手に好きにやりなさい、ということ。子どもの声を受け止めてはいません(自己主張とわがままは違う)
受け止めるというのは、子どもが投げたボールをパチッととる努力をし、受け止めて切り返します。そして、子どもの自己主張する声よりもちょっと小さい声でゆっくり止めます」

「“ニンジン嫌いだったんだ”と言うと、子どもは自分の思いを受け止めてくれたことで、誇らしさを感じ、余裕が出てきます。その時に“ニンジンを食べると元気になり、目もよくなるよ”と。(子どもは)威張った手前、僕もこうしようかと思う。その時が成長です。
ニンジンを食べることが重要ではなく、大人の思いを受け止めて、子どもが意志決定をし、行動に移すことが大事です。内側から出る自我は子どもの知性になります」

この「ニンジン」の例え話の中で、私が大事なこと、と思うのは(私流の解釈ですが)

「~子どもの自己主張する声よりもちょっと小さい声でゆっくり~」
『ちょっと小さな声』は大人の心のゆとりがなくてはできません。
『ゆっくり』は子どもが大人の思いを受け止められるのを急かずにゆっくり、待つの意味もあるように思います
それと「ニンジンを食べることが重要ではなく、大人の思いを受け止めて、子どもが意志決定をし、行動に移すことが大事」
目指すは、子ども自らの意志決定に基づいた行動になるように、ということを頭の隅に置いておきたい言葉です。


講演では、<口頭詩>といって、語彙の少ない年齢の子どもが、生活の中のいろいろな場面で発した言葉の数々が、スクリーンいっぱい示されました。先生はその言葉の裏側(子どもの心)にどれだけ気付けるか、学べるか、大人が問われると。


『三つ子の魂百までも』ということわざが講演を聴きながら浮かんできました。
先生は、タイトルにあった「早期教育が~」ということについて、良し悪しといった直接的なお話はせず、人生の土台を創る、この最も大事な時期 何を育てるのかを考えて「ぶれないで」といい、楽しい語りで笑わせながら、あたたかい言葉溢れる講演を締めくくりました。



受け止めるというのは、親の(自分の)尺度ではなく、子どもの身になって考える、想像することだと私は改めて思いました。
大人は得てして、自分の考えや都合を前提に子どもの言葉を聴いてしまいがちです。
パチッと受け止められたとき(くれぐれも、受け止めたふり、でなく)子どもはわかってくれたと安心し信頼もするでしょう、そうなれば、こちらのおもいも聴いてくれて、良い関係ができます。
これは子どもに限らず、人と信頼関係を築くには同じですね。

受け止める力を養うのが、親の(大人の)己育てではないかなと、思います。
その己育ても、あせらず、気負い過ぎないで、「ゆっくり」で。
言葉の裏も受け止められたら、返す言葉は自然に出てくるように思います。


※駒谷先生の「メディアと上手なつきあい方」については、次回(2)に。
とうとう今年最後の月となりました。


私は仕事でもプライベートでも、沢山の幼い子ども&その母(父)と触れ合うことができます。
子どもたちの目を見張るほどに成長する姿を、母たちと楽しんだり、喜びあうことができる幸せ。
そして時を経るごとに逞しくなっていく母たちを見ることができる喜び。
今年もたくさんの笑顔が私の中にいっぱいです。感謝です。


一方で国の行く末に対しての危機感が深まった日々でした。
安倍政権を表して「今だけ、金だけ、自分だけ」といった人がいますが
言い得て妙と思います。
この政権が打ち出す政策(原発推進、憲法改正、TPP、秘密保護法…)、
これから進もうとしている道(戦争ができる国)どれもこれも
国民の望む平和で安全な暮らしとはかけ離れた、信じ難いものばかりです。
今、支持率が急落しているのも当然のことでしょう。
 

政治に遠かった私が、国に対して何とか声を上げなければと、今も試行錯誤しています。
きっかけは、3.11の原発事故でした。
放射能汚染は特に子どもが害を受けやすい
子育てする親御さんたちは大きな不安に見舞われました。
私も丁度その頃、孫を預かっていましたので、食べること、外で遊ぶこと…
全てに不安が付きまとい、異常な日常でした(今もいつも頭の中にあります)
まして福島の子どもたちはとんでもない状況にいます。
ところが国は為すべき事をせず、事態が解決もしないのに、まだ推進しようとしています。

初体験だった「デモ」にも数回参加しプラカードを持って歩きました。
署名もたくさんしました。パブリックコメントも、投稿も…
でも事態は悪化するばかりです。

無力感にも襲われますが、諦めるわけにはいきません。
今自分にできること、考えられる最善をやるっきゃないなって思っています。


地元の国会議員に願いを伝える方法が効果的とききました。
(選挙区民の投票が命綱なので)
私は、今回の特定秘密保護法案の廃案を願い、事務所に行って秘書の方と話し、願いを伝えました。
感じたこと、疑問、意見などメールで送り、やりとりしています。
最近は地元でない議員にも、お願いメールを送っています。
こんなこと考えたことも、やったこともなかった私が!まさしく想定外そのものですが。

でも考えてみたら、国民の幸せのために働いてもらう人たちなのです。そのために税金も収めているのですから、その働きをしない人に、もの申すことは当たり前のことなんですよね。

そして、感じることは、何も言わないから、国民と為政者の感覚はどんどんかけ離れてしまうのだということ。
私たちが、政治のことは難しいとか、解らないからとか、誰がやっても同じ、関心ない…
(私もずっとそうでした)とか言って、ほっておくと、大変な社会を生んでしまうということ。


政治家は、本来の使命である筈の「子どもたちが健やかに育つ、平和で安全な国」の実現のために働いてもらわなければ、困ります。
難しい言葉は要りません。ただその願いを伝え、使命を果たして欲しい、あなたを見ていますよ、と言えばいい。
今、まさに政治家の真の姿をみることができる時です。

「未来を考え、経済だけでない視点で、他を思いやる」政治家を選びたい、なっていただきたい。
多くの人の目で見極めていくことができたら、社会を変えることができると信じます。



いつもながらの長文、お付き合いいただき、ありがとうございます。
どうぞ来年もよろしく!

最近、幼稚園などでトイレを済ませた後、そのままにして
いってしまう子がいる、という話を聞きました。

便器を離れると自動的に水が流れるトイレに慣れている子は当然、
そうなるだろうなあ、と想像されますね。

今や(ご存知のように)公共のトイレは、(ドアを開けると便器の
ふたが開くのもあり)用足し後、お尻を洗って、乾かし、
手を洗うに蛇口をひねらず水が出て、それを乾かす温風ありと、
全く手を使わない式に変わってきています。

お年寄りや身体の不自由な人には必要でも、それ以外の人には、
特に子どもにとっては困りものだと私は思っています。

自分の後始末ができず他の人への配慮も(そういう意識も)
育てられないようでは困ります。


世の中見渡せば、あらゆるところに、人が手をかけず、
足や頭を使わずに事足りる、楽ちん・便利なものが溢れています。


楽・便利=いいこと、と言いきれません。
それが当たり前になると、「手間」「手作り」「手仕事」は、
すごく大変で面倒なことになっていきます。
そして、ほんのちょっとのことでも、大変と感じるようになるでしょう
=人間の弱体化


一事が万事、子どもは生まれた時からこの環境です。
これが当たり前として育ったら、どうなるのでしょう。


以前、五感教育センターの高橋先生のお話を紹介しました。
「人間は持てる能力を育まないと、それが身体にとっての
ストレスになる」
特に子ども時代、自然の中で、生活の中で、第二の脳といわれる
手や足をいっぱい使うことが大事だと。
手を使うことで、人間として最も大事な、思いやり、情緒の安定、
コミュニケーション力、等々を司る脳(前頭葉)が発達すると。

ストレスフルな現代の世の現象(いじめ、暴力、虐待、うつ、
ネット依存症、コミュニケーション力の低下…)の原因と
結び付けて考えずにはいられません。


望む望まないにかかわらず、世にあふれる便利グッズ。
反面の 不便=知恵を生む・自己能力開発 を意識しながら
上手に使っていければいいな、と思います。


子どもたちには是非、手間をかけてこそ得られる喜びの大きさを、
大変を乗り越えてこそ得られる自信を、体験させてください。
逞しく生きる知恵のある、心優しい人になって欲しいです。