今週の真田丸と秀忠の遅刻 | 易ブログ  八卦見の一分

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今週の真田丸は上田合戦でした。

真田昌幸・信繁親子は徳川秀忠軍3万8千を撃退。
これが原因で秀忠は関ヶ原に遅参、家康は激怒し、
秀忠の廃嫡も考えたという。

ところで、西軍は秀忠の3万8千の大軍を待って合戦を仕掛ければ
もっと楽に勝てたんじゃないの?という謎があります。

家康も迷ったようですが、顧問占い師の閑室元佶が9月15日を
開運ラッキーデーとご託宣したので
家康は15日に運命を託して、決戦したということです。

占いに運命を託したのは家康だけではなく、当時の武将の多くは
卜占で出陣の是非を決断しています。
武田信玄も川中島出陣を卜占で決断した記録が残っています。

つるかめつるかめ