薔薇ラのザレゴト FX版

薔薇ラのザレゴト FX版

お気楽にFXのこととFXに関係ないことをつらつら書いてます。チャートを載せてきっちり記事更新…てのは珍しく、iPhoneでつぶやくように記事更新するのが常。

Amebaでブログを始めよう!
先日、私の友人4人が別々のところで
別々の大きな決断をしました。
ものすごく大きな決断です。

天晴!って思いました。

話を聞いていると
4人が4人とも自らにとって間違いのない決断をしていました。
普通、迷うと思うのですが
あっさり 決めています。

それぞれすごく大きな決断なので
迷いがあったと思います。
でも、その迷いを感じさせない
一種の潔さが出てました。4人が4人とも。

よって
その決断による結果については
それぞれが各々へいいものをもたらしています。

かなり嬉しかったです。

実は私もそこそこ大きな決断を5月頃しています。
そして、これ、4人と時期がほぼシンクロしています。

ホント、すごいなぁと思いました。

ちなみに
私の決断っていうのは、内容詳しくは
自分の家族とその4人にしか話していません。
多分たまたまだと思うのですが
それでも
4人が4人とも私の決断の内容を詳しく聞いてくれて
快く肯定してくれました。

そして、その決断はどうやら間違いなかったかもしれない結果が
出始めています。

私がこの件で言いたいのは
シンクロの大切さです。

私はトレードでもシンクロを大切にしてます。
どういう形で、っていうのはなかなか言葉にしにくいのですが
要は
このチャートならいきそうだ、とか
いやきびしいだろ、とか
そういうのです。
あとは、今日は自分的に日柄が悪いから
トレードやめとこ、とか。

大概当たります。

なんで当たるのかはわかりません。
そして当たらないことが多いときはトレードはしちゃダメです。

前にもう一つのブログで書いたかもしれないのですが
ある映画のセリフの中にこんなのがあります。

くもりのないまなこで見たら、或いは、真実がみえるかもしれぬ。

何の映画か知ってる人は知っているでしょうが。

私が決断した時には
自分のそれまでの意思を180度変えて決めました。
考えを180度変えることっていうのは
頑固で石頭な私には
珍しいことだと思います。
でもそれくらいクリアに自分のやるべきことが見えました。
考えを正反対の方向に変えた方がいいと。
実行するにあたって、一番そうすることを反対をしていた家族までもが
あっさりOKを出しました。

多分、友人たちも曇りのない眼で見つめて決めたのだと思います。

そして、今気づいたのですが
友人と私5人とも同じ年です。

すごいシンクロです。

私の決断はやっぱりよかったんだと思います。


今週はボラがすごかったですが
週の前半だけ激しくトレードしました。
週の後半はチャートに自分がシンクロしなかったので
やめといたのですが
結果、マイルールでは後半はうまくいかない内容だったので
気持ちにしたがって正解でした。



iPhoneからの投稿
よく思うのですが
競争にさらされていないところでは
よどみが起きるのではないかと。

ミクロ経済学の分野では
競争経済の反対が規制下の経済になります。
資本主義が前提で
自由に何の規制もなく競争させたら
どんなことになるかって考えて
問題が起こるならば規制しましょうって話になります。

私はいろんな業界を経験していろいろ見てきましたが
全体的によどんでいる業界、世界っていうのは
大概
大きな規制があり公的な資金が投入されてしているところです。

ほとんど規制がなく
寡占
(競争相手が極端に少なく数社だけでほとんどの取引がされている状態)
もなく
競争にさらされているところは
安定性なるものがなく
よって健全な形で金銭が出入りし
その金銭に対するありがたみも感じやすいところです。

しかし公的な資金が投入されている規制産業や
競争が激しくない産業では
黙っていてもお金は入ってくるので
例えば金銭には感謝の一つの形という側面もありますが
その性格には到底気づかず
感謝を忘れふんぞりかえる人続出になります。

例えば弁護士とか医師とかは
その職業になるのに難しい国家資格を取らなければならず、
大きな規制がかけられているため
サービスを供給する人の数が少なくて競争になりにくく
人としておかしな人が割合として多く発生します。

少し前までの郵便ゆうちょ事業などはわかりやすい例で
民営化はるか前は、
窓口の職員は大概高圧的な上から目線の人たちばかりでした。
が、しかし民営化になる少し前から
宅配便事業が伸びてきて競争が激しくなり
金融業界も再編が進み銀行や保険会社のサービスが手厚くなってきたのに伴い
努力する必要が出てきて窓口の人の態度も軟化していき、
今では他の同じような業者と
さほど変わりないレベルにまで来ています。

また、最近までよく騒がれていた生活保護支給のことについても
同じようなことが言えます。
生活保護の支給額がそこそこ高く
アルバイトで働いて小額しかもらえないのであれば
生活保護もらった方が得だという話になり
働けても働かない人が増えるという論議がされていました。
全部が全部そうとは言えませんが一理ある理論で。
ほとんど何もしなくてもお金が入ってくると
或る意味これもふんぞりかえるのと同じことが起こりまして。
自分で稼ぐにはどうすればいいかという知恵・生産性の向上・進化が
働きにくくなってしまい
同時にお金の価値、お金ってどういうものかっていうことを考える機会が
奪われやすくなってくると思います。
すこし努力をすれば抜けだせる人も
努力をしなくなり、魂の向上がなくなります。

働くとはなんぞやっていう議論にまで発展しそうですが。。。

トレードは
資金管理に始まり資金管理に終わると私は思ってますが
この一番キモである資金管理について
ほとんどの人が上手くいかずにものすごい多くの人が退場するというのは
サラリーマンからトレーダーになる人が多いためだと思ってて
サラリーマンというか、
月毎にお金もらって生活している人といえばいいのか
そういう人たちは私含めて
お金のことを理解していないのではないでしょうか。
ちょっと我慢してあまり面白くない作業をしていれば
簡単に毎月決まった額が手元に入ってきますのでね。

だから資金管理に失敗し
無駄にマイナスをつくったりするのではないかと。

お金の本当の価値ってなんだろうとトコトン考えてみることは
この豊かな時代はなかなかチャンスがないかもしれないですね。

自分のところに入ってくるお金が
払っている人の懐からどういう経路を通って自分のところにくるのか
また利用しようとしている物品やサービスの本当の価値
これは自分が受ける満足度っていうものですが
それは、どれくらいの大きさなのか
本当に必要なものなのか、似たような別のもので代用はできないのか
あるいはまったく違うモノ・サービスにとって代わることもできないのか
その満足度とつけられた価格にギャップがある場合、それはなんなのか
そもそもどうしてそのような価格がつけられているのか、その根拠はなんなのか

更にグローバルな視点では
通貨の差や国力の差にまで及びます。
市場で取引される両替レートと
事実上の価値、例えばどんなレベルのランチが
現地通貨でいくらで買えるか、
日本で同レベルのものはいくらで売っているか、
ここを考えると単に両替レートでははかりきれない
通貨自体の価値、力と言えるのかな、それが見えてきます。
また自分が労働市場でいくらで売れるのかもかなり興味深く
語学含めた自分と同じスキルではるかに安い労働力が
世界中にたくさん存在していることに気づくと
うかうかしていられない感覚になります。

そういうことって、しかしながら、
まあ普通考えないですよね。

トレードがうまくいきやすい人っていくつかパターンがあると思うのですが
そのパターンのひとつに
自営で仕事をしてそれなりの結果を出したことがある人
というかたちがあると思います。
この人たちは
収入っていうのは不安定であるというのが当たり前なので
トレードの勝ち負けには安定性がないことを芯から理解しているのではないかと。
そういう人たちは
お金ってものがどういうものか分かっているし
特にお金に関してかなりの苦労もしてそこから沢山のことを学んで実践しているし
結果として人としても大成している人も多いです。



iPhoneからの投稿
結局、うちの柴犬はあれからすぐ他界しました。
皆に生前から幸せだと言われ
今は幸せだったと言われ
自分でもワンコの幸せそうな顔ばかりが思い出され
幸せだったのかもしれないと断定し始めています。

それよりも
ワンコの幸せそうな顔ばかりを思い出す私が
幸せなのかもしれないと思います。

昨日はなんと東京から知らせを聞いた友人が新幹線で駆けつけました。
かなりびっくりしました。

その友人とはいろいろあり
間10年の空白がありますが
20年も友人をしています。

私の友人の中では珍しく
辛酸を相当なめた人生を送っていて
どうしてそんなにトラブルが後を絶たないのかと思うくらいですが
なんだかんだとへこたれずにやってます。

いや、今へこたれてると言ってましたが
あのフットワークの軽さ、そこは健在なので
あまり心配していません。
へこたれはそう遠くないうちに解消するかと。

そして昨日3年ぶりに会って
自分がこの友人と同類であったことを
思い出しました。

それで自分を取り戻しました。
悲しみから抜け出しました。
そして自分が長いトンネルから
抜け出していることを確信しました。

友人は昔と変わらず一喝しました。
変わらないけど
こんなに効く一喝だったかとびっくりしました。
でも友人が言うには
逆に私も友人には相当ズバズバ言って説教したらしく。^_^;

やつは結局新幹線飛び乗って一喝しにきたようで。
爆笑!

目が覚めました。

ペットを失った悲しみだけでなく
私が今一番頭を悩ませている
ずーーーーーっと、それこそ30年くらい気になってた
でも見ないようにしてごまかしている
しかしこの10日ほどで顕在化した問題を
旦那さん以外に初めて人に話したその内容を
一言で片付けていきました。

同類の友人で
かつ別々のレールで同じようなことを学び
遠く離れたところにいながら
酷くシンクロしている友人だから出来ることです。

友人も私もそのシンクロに
自分たちの因縁というか腐れ縁というかを
認知しています。

このところいろいろな問題がクリアになって
片付いていってますが
片付くことで結局そこのコアな問題に行き着いた
あるいは原点回帰した感じで。
少し前に記事に書いた闘争も
結局ここに起因します。

このこと、いい加減そろそろ何とかしなければならない領域で
メス入れの時期に来たということですね。

ワンコが他界するついでに置土産したのが
友人が3年ぶりに会いに駆けつけてくれる、ってことで
その友人がいよいよ執刀の背中を押すことになるわけです。



iPhoneからの投稿
ペットの死にまさに直面しようとしてます。
危篤です。
いつ何どき、という状態です。
つい2~3日前まで楽しそうに散歩してたのが
嘘のようです。

たくさんの楽しい思い出があります。
一緒の時間は10ヶ月ですが
もっと一緒にいたような感じしています。

彼女は隣市で出会いました。
首輪をつけずに放浪している柴犬でした。
保護してあちこちに届けを出しましたが飼い主現れず
結局うちの子になりました。

朝の散歩は私の担当で
2回くらい行けなかった時はありますが
ほぼ毎日連れて行ってました。

散歩で知り合いもかなり増えました。
犬がどれ程すごいものか、飼ってみて初めてわかりました。
本当にびっくりしました。

もうすぐ旅立ってしまう彼女。
ペットとの別れはもう10回近く経験してますが
毎回、これだけは慣れないなあと思っています。

静かに安らかに旅立って欲しいと願います。



iPhoneからの投稿
今週立て続けに環境の変化があり
しかも急にどかどかと変化が押し寄せて
よくその変化についていけたと思うのですが…

必要に迫られ毎日4時半に起床してます^_^;
当然寝るのは22時前です。うーん、肌にやさしい♪
それ以前も5時過ぎくらいに起きていたので
40分くらい早まっただけですがね。

それと、運動のメニューを強化してて
現在は前からやってた筋トレに加え
ダラダラ汗をかくようなダンス的運動を週2~3程度
もうダメってとこまでやることにしてますが
結果やたら食い、やたら眠気が襲ってきます。
今日は筋肉痛でなかなか起きられませんでした。

週半ばのゴミ出し時、早朝出勤する友達が車の窓開けて
「ちょっと痩せたんじゃない?食べないとダメだよー」
と忠告。

いやいや、食いまくってるんですけどー;;;;

近いうちに遊ぶ予定なので
その時に忠告撤回してくれるとは思うんですが。

健康法っていうのは人それぞれ合う合わないがあるので
この内容に賛否両論あるとおもいますが
私にはさほど無理のない内容です。

芳しくないことが少しずつ解消していってます。
健康も良化していること実感してます。

いろいろ本を読んで理解したのですが
例えばトレードも健康に悪影響を及ぼします。
パソコンをじーっと見つめている行為により
脳が委縮するようです。

昔からよく
「テレビを観てばかりいるとバカになる」
と言われましたが
科学的根拠はあるようです。

眼球が動かないことによって
脳の委縮が促される、という説です。


また、ストレスに因っても相当脳細胞は破壊されるようです。
例えばウツになったときも
健忘のような症状が現れたり
解決方法が見つからず
ずっとマイナス思考のスパイラルに留まってしまったり。

ウツまでいかなくとも
ストレスがついてまわるような精神的な疲れを感じてると
思考は悲観的な状態になったりしますね。
寝不足のときも私はそうなります。

脳が生産的に働かなくなるんでしょうね。

ある本によれば
ストレスによって脳の扁桃体が暴走し
その暴走で脳の海馬が委縮するそうで。
海馬っていうのは認知とか記憶とかつかさどってるらしく
一時記憶の面で支障が出るとか。

わかるなぁ。

私も何年か前に病気を患って寝たきりに近い状態にいた時は
あれ、おそらくウツだったっぽくて
その後、モノ覚えが極端に悪くなりました。
(一時記憶を長期記憶に変えていくときに苦労しました)

例えばトレードにおいても
他の人に聞いた手法でポジるっていうことが
うまくできなかったことありました。
シグナルの見落としを相当やったです。

あのときは随分苦しい思いをしましたが今なら分かります。
何故そんなことになっていたか。


で、運動、特に有酸素運動と
精神的な疲労および脳の委縮(脳神経の減少)との関係ですが。

心拍数を少し上げて20分以上続ける有酸素運動を
継続的にやると2週間くらいで効果が出てくるそうです。
人によりますが。
どうも脳細胞が蘇生されるらしいです。

ドーパミンとかエンドルフィンなどなど
前向きな考えになるいくつもの脳内物質が
運動で生成され、悲観思考スパイラルのストップに
大きな影響を及ぼすようです。

例えばウツとか発達障害とかいった
脳神経の働きに支障が出ている病気の患者さん複数に
一定量の有酸素運動を定期的に続けてもらうと
薬を投与してもらうときよりも
回復は顕著でより多くの人に回復が見られたらしいです。

脳神経を患ってる病気は様々なものがありますが
いろんな病気においておしなべて回復に効果があるとか。
お金をかけないで治療ができるってことですね。


病気になる程の脳の委縮までいかなくとも
脳の働きが鈍くなる精神的疲労に対し
運動は同様に効果があります。

確かに自分の人生を振り返ると
あの時はいろいろうまくいっていたというときは決まって
ある程度負荷がかかる定期的な運動を
無理なく続けることができていたときです。

恐らく脳の状態が好ましい状態であったので
「引き寄せの法則」も良い状態で働いていたかと(笑)

そういう時は気持ちは安定的であって
決して興奮状態が続いているときではない感じがします。
うまくいったぜと鼻息荒い時は
すぐにうまくいかなくなる、自分を見ているとそういう気がします。
鼻息荒いってことが、交感神経が働き過ぎていることでもある
のではないかと思います。

トレードでも
あまりに利が乗ってちょっと大きな金額の利確したしばらく後
負け続けて嫌になる状態になったことがありました。
この負けトレードは1000通貨でやったので
2000円とか3000円とかのマイナスで済みましたが。

あの時は1000通貨にしておいてホントによかったと思いました。

気持ちが安定的な状態であるとトレードもうまくいきます。




iPhoneからの投稿
恐らくついこの間までの私もそうだったと思うナンセンスな行動。

人と自分を比べること。

私の方がアレを持ってるとか
私の方がアレができるとか
私の方がもっとよりアレであるとか。

そういうことに安心すること。

つまりそれって、価値観が相対で決まることです。
どんだけ不安定な価値観でしょう?
これ、自分の人生が他人任せであるということです。

覚えているのは
1年前くらいまでは私も間違いなくそうだったということで。
でもそのとき、もう既にナンセンスだともしっかり認識しつつあって。

異音を感じるように
そういう自分を見ていたですね。
その異音が強くなってきてたのを覚えてます。

その異音の存在を
なおざりにしないでよかったと
今では思います。

先日、都内近郊で生活している友人に会って
あ、と微かに感じた余裕のなさに
都会暮らしの競争社会を思い出したのでした。

都会は、単位面積あたりの人がべらぼうに多い分
本当にものすごい見栄張り合戦ですのでね。
見栄を張ったところで知れてるわけで
実際はその競争に乗ってしまうとただただ疲れるだけです。

FBなどでまだ投稿をさかんにしている連中は
アラフォーのリア充合戦もあるわけで
中年のそれは時折見苦しかったりします。
天然で楽しんでるだけならいいのですがね。

FB友はリアルな生活での友人のみで
キャラ知ってての投稿なので
こりゃリア充自慢やなーとか理解しやすい場合は
結構イタかったりします。

都内近郊の前出の友人は
一戸建て購入とそれ以前の購入マンションの残債で億に届く債務
その上
犬猫複数と幼児な息子2人で核家族
実家は片方だけが健在で
近くに住んでいるわけでもなく、また裕福なわけでもなく
家族で毎週そこそこ遊び歩いていて
結果さほど身体は強いわけではない中
仕事を続けることを余儀無くされてるわけで
このまま仕事を続けていくことに
相当悩みがあるようです。
腕はありますがね。

FBの投稿は華々しいですが
会ってみて実は余裕がないことが分かりました。
若い時にちょっと苦労していた二人なのですが
それから学んでいるわけではなく
どうやら反動としての今の浪費生活のように思いました。

都会の悪魔に飲まれてしまったかなと。

等身大とか身の丈とかいう言葉がありますが
コレって言うほど実現簡単ではないです。

つまり
欲や執着を捨てること。
今現在が幸せであると実感すること。
今の自分の状態が完璧だと思うこと。
問題があったとしても
話題のネタくらいに思ってしまうこと。
変なプライドは一切捨てること。

他にももっとやることがあるかもしれません。

この辺りのこと
一切合切実現させて
やっと等身大になれるわけで。
優越感も劣等感もないゼロの状態になることです。

でも、実のところ身の丈が実現できて
そこから本当に豊かな人生が始まり
凄いことがドンドン転がってくるものなのですよね。
やっと最近理解してきています。

そうはいっても私もすぐに悪魔のささやきに流されてしまうので
ここで悟ったと決して思わずに
地面に足をつけて
自分の人生を楽しみたい次第。

私もそう小さくない問題は抱えてますが
それはいくらでも小さい問題にできることで
それは自分の心がけ次第。
問題が存在するから自分がきちんと学んで
軌道修正を積み重ねることによって
人生が豊かになっていくのですね。
ピンチはチャンス、ありがたいという姿勢、貫きたく。

内田さんがブログで再三言っていること
ようやく分かりかけてきたような気がします。
まだまだこれからですがね。

FXやってく上でめっちゃ重要な観点ですのでね。

そういえば、爆発的に流行りましたね。

Let It Go. Let It Go.
ありの ままの    ~♪


iPhoneからの投稿
しばらくは一人だったです。
先日記事にした闘争のことですが。
私一人対複数な図式ですね。
一人であることは特に気にしていませんでした。
人生そんなもんじゃありません?
孤独な状態で挑むことなんて
日常茶飯事だと私は思います。

ただあるときから、いや、いつの間にか応援してくれる人が増え、
結局、複数対複数の図式に。

そこが結果「すかす」ってことになりました。

一人のときは
自分のことだけ考えていればいいんですよね。
最終決着点は自分の希望するところだけ見ていればよかった。

だけど
複数対複数になってから
事情は変わってきました。

今の私は自分のためだけに闘争してません。
他に同様なことで苦しむ人が少なくないのが現実。
ここで仁王立ちしている私の脳裏で
他の人たちの叫びを感じていることに
最近気がついてしまいました。

自分が闘争で「すかし」ているのは気づいていたのですが、
その「すかし」はそういうことのようです。

そして、どうもこの闘争が存在すること自体が
前例を作ったことになるようです。

もしかしたら決着次第では
あることの歴史を変えることになるかもしれません。

そして人類の歴史の中では、
ほんの小さな目に見えるかどうかわからないくらいの一部分ではあるけど
歴史の流れを押し進める力に加わりそうな内容。

そこまでイメージが湧いてきて
ああ、そうなんだーと肝に落ちました。

私がこの闘争の結果、つまり勝ち負けに
そんなにこだわっていないのは何故かが分かったんです。
闘争が大きくなって前例になること
これが私の本当の目的だったのかもしれません。


いろいろ事情あり、具体的なことは書きません。
客観視すればかなりデカイ話です。

そして決着はどうなるかわかりません。

私は、
人類の叡智の結集が
自分という個体を通して
人類の歴史を刻んでいくというイメージを
感じていようと思います。
それが私の役目なので。

こういう役目に位置づけていただいたこと
感謝しますという言葉だけでは言い表せません。




iPhoneからの投稿
生きてると色々ございます。

その昔若かった頃も色々あったはずなのですが
今起こることはその頃のことと桁違いに
大きかったり厄介だったりする内容が多く
しかもダメージは
桁違いに少なかったりして
自分の耐性が格段に上がっていることを
そういう時に確認できたりするのです。

昔もある程度のキッタハッタはあったんですが
今のキッタハッタはホンマに闘争で
生きるか死ぬかまではいかなくても
再起可能か不可能かレベルに近いものがあり
ちょっと大がかりです。

私が仕掛けたわけではなく
喧嘩を売られたわけですが
そして買うつもりなかったのが
押し売りに入られ脅されたようなもんで
でも切れない鎌で脅されても
子供のママゴトにしか見えないわけで
どんなに安い喧嘩でも安かろう悪かろうで
買うつもりないんです。
だから
買ったようなふりして
すかしてやることにしたです。

がっぷりヨツで取り組むのはアホらしです。
そんな安かろう悪かろうの押し売り喧嘩が
再起可能か不可能かの試合だなんて
世の中って意外とあっさりしてるのね、と思いました。

まあ、売られた喧嘩をすかすのですから
向こうは負けたことになり結果こっちが勝つのですが
勝ちながらこっちが再起不能になることもあるわけです。

でもその時は別の方法編み出すので
どうせうまいこと流転するのが自分の人生だからと
心配せず。

押し売りでも
なかなか巡り合えない闘争なので
やっぱりツイてるんだなと運の良さを実感すること
言うまでもなく。


よく言いますよね。
神様はその人が乗り越えられる試練しか与えない、と。
私はそこに付け加えたい解釈を持っていて

試練と思っているものは
その言葉がイメージさせるような「苦痛をともなう困難」でも何でもないもので
前々から欲しかったモノで突然もらったような
すっごく嬉しいプレゼントなのでした、実は。

というオチ。

みんなそうだと思うんですよね。
試練に見えるものの中に
前から自分が望んでいたものが入っているのは。




iPhoneからの投稿
その後、落ち着かない時期に突入し、
またしばらくブログ留守にしましたm(_ _)m

今も落ち着いているとは言えない時期ですが。

ところでトレードって
ギャンブルかギャンブルでないかと議論されること
よくあると思います。

私はギャンブルだと思ってます。

私は、トレードだけに関わらず
人生そのものがギャンブルだと思ってるので。

だって勝負事ばかりなんですもん。
人生はいつだって。

最近気づいたことです。
母のことですが
もう70歳過ぎているのですけど
激しく進化しているのでびっくりしました。
会社員として60歳過ぎてからもしばらく働いていて
それと並行して力を注いでいたことがありました。
退職してからは
並行してやっていたことの方へ注力したのですが
もともと持っていた能力なのかどうなのか
いろんな能力が開花しています。

そして一番すごいと思ったことは
間違いなく昔だったら敵対した部類の人たちと
きっちり付き合うことができるようになってて
さらに
その部類の人たちから可愛がられていて
あらゆる人たちからの人望が厚い人になっていたことです。

単に好きなことを追求していっただけなんですが
いやーすごいなと。

会社員という枠がはずれて
自由なポジションになって
そして余生ってこともあるのでしょうか
余計なこだわりやら欲やらが削ぎ落とされて
すごい進化を遂げることとなったのかと。

私はなかなか親を超えることが
できないようです(笑)

私はこれからもギャンブラーとして
自身をより一層昇華させてくつもりですが
母の最近の大きな進化は
大いに参考にさせてもらおうかと思っています。



iPhoneからの投稿
最近ブログ書く時間が少し取れるようになってきました。
こういうチャンスに記事量産です(^皿^)


先週の雇用統計は見事でしたが
今朝の窓開けで激しいイッテコイの日足ができました。
ドル円で参戦しながら
私は103.15辺りに一旦戻ってくるのは今週かな、
と思っていたのですが
金曜日のうちにそこまで戻っていて
今朝6時のオープンで102円手前まできたので
おやおやおやと思いました。
これじゃあ今週のうちに102円台でクローズする日も
出てくるだろうな、
いや、やっぱり102円後半の大抵抗は
踏み固めないと嫌なんだろうなと…

105円はまだ遠そうですね。
←これポジショントークです。
米ドル建ての口座もあるもんでー(^_^;



iPhoneからの投稿