田谷の洞窟にいってきました 密教地底大伽藍 IN大船
大船市常泉寺の田谷の洞窟へ行ってきました
日本にはほとんど例を見ない人工の地底伽藍、高橋一生さんとサンドイッチマンさんが
「帰れマンデー」で紹介していたあの洞窟でっす
さっそく、中に入ってみよ
洞窟内は10個ほどの部屋が通路でつながっていて、
洞窟の壁面や天井に仏像や梵字、仏画などが彫刻が彫られています
なんか、異世界に来たみた~い
いつつくられたのかしら?
鎌倉時代に洞窟の原型ができました。
ここは、鎌倉後家人、朝比奈三郎義秀(和田氏)の館があった場所で
義秀が洞窟奥に弁財天を勧請したのが始まりです
和田氏の滅亡後は、鎌倉時代は鶴岡25坊によって護持されていました
鶴岡25坊は真言宗なんで、中世は真言密教の修行洞窟として掘り進められて拡大していきました
彫刻はいつほられたの~?
洞内に入ってすぐの獅子・昇竜・降龍は鎌倉期の彫刻と言われているけど確証はないようです
洞窟の彫刻がどの時代にどれが作られたのか史料がないんです
関東大震災で燃えちゃったんだって
今のすがたになったのは?
天保の頃ではないかと考えられてます
江戸時代の学僧寂照(~1873)が長い間途絶えていた修験道場としての田谷の洞窟の整備をはじめました
寂照は、もと高野山の学僧(インテリ)で、定泉寺を統括していた三会寺の住職です
梵字曼荼羅には彼の学識が活かされてると考えられてます
寂照の時代に彫られたのが
曼荼羅の梵字・花鳥・西国・坂東・秩父・四国の霊場です
隣の人々だけではなく、江戸の人々からも喜捨があったみたいよ
広い地域の人々の熱意で田谷の伽藍が彫られていったのね
熱いなぁ
30年の星霜を閲する大工事でした
パンフレットによる洞窟内部は下記の通り
見て見て~
洞窟は実測可能なところが570m
実際には1000mにも及ぶ人工の大洞窟なんだって
ノミだけで掘ったんだよねえ
洞窟を穿つその姿はまさに菊池寛の「恩讐の彼方」そのもの!!!
まさに執念
洞内の彫刻ってどんなのだと思う?
彫刻も素人がカバンばって彫りました~的なユルかわではなく
本格的なプロのものなの!!
(写真は撮れないので、気になる方は公式サイトをググッてみて)
ううっ
オタ活というか~信仰心というか~
その情熱に目頭が熱くなる~
仏像以外に彫られたの
干支とか説話とかが彫られてました
仏教とは関係ないものが
あるのはなぜ?
庶民の霊場として
修行僧の道場としてだけではなく庶民の信仰の場でもあったんだよ
洞内には、庶民が奉納したといわれる「高砂」「金太郎」「鬼ババ」などの線画もあるの
これ何なのかしら?
これらの物語絵は神社に奉納する絵馬のようなものなんだって
長生きや子供の成長を願っての奉納だそうです
庶民にとって洞内は聖地そのもの
西国・坂東・秩父・四国の霊場にいったのと同じ御利益あるからね
、洞内の霊場を参拝するれば、有難い仏と結縁できる=極楽へ連れて行ってくれる・・・
近世の田谷の洞窟は修行僧だけでなく、広く庶民にも開かれていたんですね
庶民にとってコスパのいい尊き場なのでした
中世はどうだったのかな?・・・
『吾妻鏡』和田合戦をよんでみると
洞窟の所有者朝比奈三郎のでの獅子奮迅もむなしく
和田氏は敗北してしまい、三郎は敵の包囲網をかいくぐり安房国へ逃れたようです
しかし~定泉寺の伝承によれば
三郎は洞窟の奥を通って逃れたといわれてます
今でも洞窟の最奥部の厄除大師を安置する奥には人一人通れる穴が続いていて
田谷の御霊社に抜けると言われています
三郎の生存伝説に色を添える田谷の洞窟…
なんとも神秘的〜
洞窟内の温度は16度
とても涼しい~
天国のような気温でした
出口で余った蝋燭を返して終了~
TVで紹介されたので参拝者が増えたっていってました
一生さん効果ですね
御利益ある~
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カッパさんありがと~
楽しかったですね
参考図書 『田谷の洞窟』 吉田 孝 宗教工芸社
『吾妻鏡』第21