ベルサイユのばら 聖地巡り7 アニばら編 蛍の現場2
前回、蛍の現場をブローニャの森と推察
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二人の足取には、地形や太陽の方角などに矛盾も多くて、リアル地図に重ねるのは困難だった。
出崎さんは、7月12日を屋敷ではなく蛍のいる森林へと二人を導きたかったんじゃないかな・・・
なぜ、アニばらは7月12日を屋敷ではなく野外にしたのかしら?
蛍がいたのかしら?
このシーンをお父さん・お母さんと観ていて固まった少女たちも多かったと思う。
「え?」思うけど
サワサワナイトに比肩するロマンチックな演出「蛍」に胸アツ~
なぜなんでしょう?
てなわけで
「蛍」について深読みしてみました
ホタル
フランスの蛍
AIによるとフランスの蛍は下記の通り
· Lampyris noctiluca:、光るのはメス。でも翅が退化しており飛べない。オスは飛べるけど光らない。
· Phosphaenus hemipterus:小型のホタル。飛べるけど地面近くで発光する。
· Luciola lusitanica:水辺で発光する。南ヨーロッパに広く分布。
え?
地面で光ってる
ってなわけで、蛍もリアルではなく演出だったんだ~
日本の蛍
日本の蛍の初見は『日本書紀』というから、日本人にとってなじみが深い虫だったんですね~。
「彼地多有蛍火之光神」
そう、古代人にっとて蛍は神。
柳田国男は「日本人は夜深く光を放ってくるホタルには精霊のやどるものとして見るならわしがあり・・・」と言ってる。
日本人にとってどこかホタルは神秘性をおびた虫・・・
蛍・・・
火垂る・・・
星垂る・・・
ああ・・・なんかロマンチック~
日本の文学にはた~くさん蛍がでてきます。
どこにて?
例えば、和歌
王朝人は恋心と蛍の光を結びふけているの
めちゃステキな歌なののでみてみよ
1恋焦がれる 蛍の光は恋の炎
(花山天皇)
鳴く声も聞こえない虫だが、愛おしく感じるものは、忍ぶ想いに燃える蛍なのだ。
アンドレ心の呟き
ちょっとお遊び
アニばらと王朝文学『源氏物語』の和歌を重ねてみよ
鳴く声を聞こえぬ虫の思いだに 人の消つには消ゆものかは
(『源氏物語』第二十五帖 蛍の巻)
鳴き声さえ立てない蛍の明かりは人が消そうとしても消えるものではありません。
まして私のあなたへの恋の火はどうしようもなく燃えているのです
アンドレの恋の炎が消せないのは承知の事実
むしろ苦しめば苦しむほど深まるらしい(オープニング)
愛することを止められたら、楽になれる~
こゑはせで身をのみこがす蛍こそ いふよりまさる思なるらめ
(『源氏物語』第二十五帖 蛍の巻)
声を出すこともなく自分の身をしずかに焦がす蛍のほうが
声に出す(あなた)よりより深い想いを抱いているのだはないかしら
我が恋は 水に燃えたつ蛍々 物言はで笑止の蛍 『閑吟集』(室町時代の小歌集)
我が恋は、水辺で燃え立つ蛍のよう。物も言えない哀れ(可哀そうな)な蛍よ。
「水に」「見ずに」は掛詞
好きな人の顔を見ることもできず、好きとも言えず、ただじっと耐え忍んで思い続ける辛い恋
これってアンドレやん
まあ、顔は見れるけど・・・
気の利く従者として
友達として
そっと寄り添う
恋の光が恋する相手には届かない悲しみが
この和泉式部の和歌を実践しているのがまさにアニばらの蛍の現場なのよ~
蛍がちらほらと現れて
二人を包み込んでいく・・・
ご覧あれ!
アンドレの想いが蛍となってオスカル様を包む
きゃ~
素晴らしい和泉式部!!
グッジョブ出崎さん!!
4 死んでしまった恋しい人の魂
もみぢ葉の過ぎて去にきと蛍なすほのかに聞きて
父の成敗でオスカル様の告白もなくリア充が封印されたのは
報われない恋の切なさや儚さにフォーカスを当てたと考えれば納得がいく。
蛍の光はリアルでは触れられない
蛍の恋は儚く美しく・・・この世の恋ではないんだね。
蛍の恋がリア充がになるのは
2人が生と死の境界にあった7月12日であった。
蛍は亡き人の魂でもある
アニばらの二人は、静かで烈しい。
一瞬の恋ために生きて出会う
それは繊細な日本人が尊いと感じていた恋の姿・・・
キュンとくるわけだ
原作とは違う恋心の表現
どちらも捨てがたいですね