​​​​​富士の山麓へ~建久年頼朝の巻狩りと曽我兄弟の伝承を巡って~

 

 

 

 

富士山の山麓に行ってきました。

 

富士宮市の北部一帯で、建久3年に頼朝が大規模な巻狩を行いました。

巻狩とは、単なる狩猟イベントではありません。

軍事統率権を持つ武士の棟梁のみが行えるイベントで、頼朝が平家・平泉を制し事実上武家のトップになったことを天下に示すセレモニーだったんです。

遊興てきなものではなく、政治的は意味合いの濃ゆいイベントだったんですね。

だから、頼朝に主催の巻狩りは建久3年の三原野・那須野・富士野の一度しか行われておりません。

吾妻鏡でも、建久3年は読んでいて楽しい(編集者の力が入ってる分)章です。

 

しかし、頼朝にとって重要な意味をもつ富士野で行われた巻狩では、想定外の事件が数々起こります。

工藤景光が鹿を射損ねて病死したり、曽我兄弟の仇討ちが行われたり、頼家が鹿を射てたり(次期棟梁として山の神の祝福される)、人穴に入ったり(山の神の怒りに触れる話) それらが何を意味するのか意味深です。

 

 

巻狩りと狩りの違い  

巻狩りは軍事訓練をかねてます。馬で獲物を追えるように狩場の空間を整え、勢子で獲物を追い立てさせて、射る。武芸を競う場でもある。遊興などではなく、頼朝の軍事力を示すものとして、政治的に行われました

狩りは、生活のために獲物を捕らえる行為です。基本一人です。

 

行われた場所の意味

三原野・那須野・富士野、この場所は、鎌倉殿の権威の及ぶ関東の境界で行われました。

最高の獲物

武士達にとって、栄誉ある獲物は鹿!山の神の加護を示していました。(なので工藤景光は病死、頼朝が頼家が鹿を射たことを喜んだ)

 

山の神

記紀に登場する神とは違います。殺生します。武士の神。

 

 

富士野めぐり 白糸~上井出~狩宿を歩く

 

富士野を計画ではサイクリングする予定でしたが雨のため断念、歩いて巡ることになりました。

トホㇹネガティブ

時間の関係上、今回の範囲を白糸~上井出~狩宿に絞ることになりました。

ショボン真顔

散策の行程は時間にして3時間くらい。

巻狩りが行われた富士野には、頼朝や御家人たちの宿舎や伝承が点在しています。

今回は、曽我兄弟に関わる伝承の地を中心に巡ってみることにしました。

 

曽我兄弟の物語とは?

曽我兄弟はおじの工藤祐経に父(河津祐泰)を殺された兄弟(曽我祐成・時致)が頼朝の巻狩で復讐するというもの。

後妻の子に手を出した祐隆が元凶です。家督をめぐるいざこざが先妻の子とのあいだで発展していきます。

先妻の孫祐親が「本来継ぐはずの土地」を後妻の子の孫工藤祐経から取り戻そうと画策します。

祐親の娘を祐経にあてがい油断させておいて、祐経の単身赴任中に娘と本拠地を強引に取り戻しまったのです。

故郷に帰ってみたら、すべておじに奪われていた工藤祐経。

怒った祐経は、祐泰(祐親の子)は射殺ころしてしまいます。

今度は、父を殺された祐成・時到が祐経を富士の巻狩で暗殺するという仇討の物語です。

一族間のいざこざがうんだ悲劇といったところでしょうか?

一族の関係づを家系図でみるとこんな感じになります。

 

 

白糸

世界遺産の構成資産ということもあって、管理が行き届いてます。

富士宮からバスもでています。

1時間に1〜2本発車してます。

ここから散策のスタートしました

 

 

白糸の滝(国指定の名称・天然記念物  世界遺産「富士山」の構成資産)。

 

この上にいかなる姫やおわすらん

おだまき流す白糸の滝

という和歌をよんだという伝承がある(頼朝に仮託しての作?)

雨が上がって少しだけ虹も見えました。見事な滝です。

空気が美味しい〜ニコニコ

 

音止の滝

曽我兄弟が仇討ちの相談をしていると、ゴーゴーという滝の音がうるさくて互いの声が聞き取れません。

「心なしの滝だな」とため息をつくと不思議にも音がやみ、兄弟は密談することができたといいます。

兄弟に「心なし」と言われたことに傷ついたのか、今でと静かです。

糸の滝の一部です。

 

曽我兄弟の隠れ岩

 

曽我兄弟が仇討ちの相談をしていた所。

工藤祐経の宿舎の近くで隠れていたんですね。大胆だな~。

白糸から歩いて5分くらいのところです。

 伝説が場所と結びつけられて面白いスポットです。


工藤祐経の墓

このあたりが祐経の宿舎があった場所。

兄弟にとっては、父の仇だけど、祐経目線で考えると単身赴任から戻ったら不動産と妻(祐親の娘)を取られていたわけで、そりゃ怒るよね〜。

どっちもどっちじゃん。

仕返しが暗殺というのが中世らしいな〜。(真似しないでください)

 

 

 

上井出へ向かう

白糸から兄弟が祀られているという上井戸へ向かいます。

緩やかな下り坂を30分くらい歩きます。

兄弟を祀った神社というのは、上井出の八幡宮だけでなく、井之頭の鷲鷹八幡宮もあります。

兄弟が死んだとき、鷲鷹がやってきて大事な臓器をくわえて飛び去り、そこに葬ったと伝えられています。

富士野に丁重に祀られているなんて曽我兄弟って、東国(頼朝)を祟ったのかしん。

ほら、祀られる人って悪霊化してるじゃない?

興味津々。

 

 

曽我八幡宮

1197年頼朝が畠山重忠に命じて、曽我兄弟を祀らせたのがはじまりとされています。

ここは仁田忠常の宿舎の近くであり、兄十郎祐成が打たれたところなんです。

重忠がつくらせたという兄弟の木造があるんですよ。(中は見れなかったです~)

 

 

曾我兄弟の霊地

曾我八幡宮の近くに供養塔がある。

近世につくられたもの。

曾我兄弟って人気のあったんだね。

 

宿狩へ向かう

さらにあるいて30分くらい。

なんもないので不安になる。

ナビを信じて歩く。

 

刈宿の下馬桜と井出家

巻狩りの時、頼朝の宿舎「富士野御旅館」が置かれたといいます。

頼朝の宿舎の他に御家人の宿舎も立ち並び、その建設に北条時政も関与しました。

敷地には頼朝が馬をつないだという桜がありましたよ。

 

 

富士宮市内へ

バスは少ないので、バスで行く人は確認してね~

土日は、さらに本数が減ります。

下馬桜から市内へは20分くらい。

 

 

富士宮の浅間大社本宮

 

富士山本宮浅間大社では、毎年5月に流鏑馬が行われます。

この流鏑馬は頼朝のが富士の巻狩りで奉納した時に始まったんだって。

 

 

以上、巻富士野から富士宮まで巻狩、曽我兄弟の伝説を中心に巡ってきました。

☂のため、計画の半分ほどしか見ることができませんでした。無念ネガティブ

いつか続きを したいです。

 

 

富士宮と言えば焼きそば

 

歩いてお腹がへったのでB級グルメ食べます。

鰹節がきいて美味しいです。

富士宮焼きそばの缶詰もありました。非常食にもなるんですね~

地元愛深いです。