いよいよ寅さん論も佳境に入ってまいりました。(いつまで続くねん;;;)

やさしさに包まれたなら・・・-寅さん


今回は
寅さんの一目惚れと片想いについて。


『男はつらいよ』でストーリーの核となるのが、柴又でのドタバタ、そして寅さんの恋です。


寅さんは一度女性に惚れると、とことん惚れまくります。見ている周りが恥ずかしくなってしまう程、一途に惚れこんでしまいます。

人の恋愛には的確でキザなアドバイスをする寅さんも、自分の恋愛に関しては全くの盲目状態。完全に周りが見えなくなり、ひたすらに相手の女性しか見えなくなってしまいます。

そういった、なりふり構わぬ寅さんの行動に、観ている私たちは大笑いするわけですが、この頃私は素直に笑えなくなってしまいました。逆に涙が出てしまいます。


相手を一途に想う寅さんですが、渡世人で明日をも知れぬ生活を送っている寅さんには、恋人を満足させるだけの甲斐性も、二人で愛を育む住まいも、家族を養う定職もありません。そこには、ただただ寅さんの純粋な愛があるだけです。

寅さんの真っ直ぐな恋心に、マドンナも嫌な気は起こしません。むしろ好意を持っている素振りすら見せます。しかし、あまりに身上が違いすぎるため寅さんが本気だと気づかない人や、単なる冗談だと思う人など、理由はそれぞれですが、結局みんな他の男性を恋人としてしまいます。

あわれ、寅さんはがっくりと肩を落とし、再び悲しみと共に放浪の旅へと出るのです。


寅さんの恋は、叶わぬ恋です。そもそも寅さんの身上を考えると、真っ当な恋なぞ出来ないことは寅さんが一番よく知っているはずです。つまり寅さんが恋をした時点でその恋は成就しないことが決まっている恋です。
それでも寅さんは全力でその女性を愛します。

私は、その寅さんの滑稽なほど純粋に一人の女性を愛する姿を見るたび、涙が止まらなくなります。

一体誰が寅さんを笑えるでしょう。なりふり構わず全力で恋をして、全力で失恋して、全力で落ち込んで。これ程まで悲しくも美しい恋は他にありますまい。


ある人はこう言うかもしれません。それは単なる夢見がちな片想いに過ぎないと。身の程を知らない自分勝手な恋心なのだと。

確かに寅さんの恋は相手の気持ちを無視した一方的な恋心なのかもしれません。けれど寅さんは相手の気持ちに合わせてこちらの気持ちをコントロール出来るような器用な人ではありません。自分が惚れた人を、とことん惚れ抜く。それが本当の恋なのではないでしょうか。

私も寅さんのように、全力で人を愛したい。ただひたすらにその人のことを想い、その人の喜ぶことをしてあげたいと願い、その人と過ごす時間を愛でたい。
もし、それで失恋したのなら、全力で落ち込み全力で泣く。決してその人のことを悪く思わず、独り悲しみを呑み込む。それはたしかに不器用な恋ですが、私はそんな寅さんのような恋が好きです。

まあ、一途な恋とは言いつつ、結局は40人以上の女性に片思いしてフラれているのは果たして一途と言えるのかはさておいて。。。



<『男はつらいよ』と歌舞伎の共通点>

『男はつらいよ』のお決まりパターンである、美人に一目惚れして、周りも呆れるくらいに惚れ、けれど相手に恋人が出来て失恋してしまい、落ち込んだ寅さんがまた放浪の旅に出るという展開は、子供の頃の私にとって、あまりにお決まりすぎて詰まらなく感じていました。

しかし、大人になって観ると、そこに歌舞伎や落語に通じる、日本独特の“様式美”を感じます。

「結構毛だらけ猫灰だらけ~」というセリフや、「やけのやんぱち日焼けのなすび~」なんてセリフは、いわゆる十八番であり、大見得こそないものの、キメ台詞は歌舞伎のそれを彷彿とさせます。寅さんがキメ台詞を言った時には思わず「よっ!待ってました!」なんて合いの手を入れたくなりますが、そういう感覚は小さいときから歌舞伎や落語に慣れ親しんでいる日本人独特の感性なのでしょうか。

ハリウッド映画のように、展開やストーリーがめまぐるしく動く、ジェットコースター・ムービーも楽しいですが、寅さんのように決まったプロットで笑わせる映画というのも、観ていて安心感があっていいものです。この感覚はちょっと西洋文化には見られない、日本独特の「侘びさび」に通じるものなんでしょうね。

もし、今度『男はつらいよ』を観られる機会がありましたら、ぜひ渥美清さん演じる寅さんのセリフの美しさにも注目してみて ください。


続く。
次回はいよいよ最終回です。寅さんとシェイクスピアの共通点について書きたいと思います。

<役と役者について>

寅さんといえば渥美清、渥美清といえば寅さんという風に、渥美清さんと寅さんのイメージはまるで同一人物のようになってしまっています。これだけ役のイメージが定着してしまった例も無いように思われます。

映画を観ていると、私たちはまるで寅さんが実在しているような感覚をおぼえます。それだけ寅さんと渥美清さんのイメージが重なっている証拠でしょう。
そこには、渥美清さんもかなり気を使われていたそうです。一説によりますと、プライベートを目撃されないように、撮影中は一切実家に戻らず、青山(?)の同潤会アパートに独りで暮らしていたとか。
共演者にも実家の連絡先を教えず、誰も渥美さんの家族を見たことがなかったというのですから、その徹底振りには怖さすら感じてしまいます。


ところで、実家や青山の家を教えなかったとはいえ、いくらなんでも渥美さんのプライベートがここまで秘密裏に出来るとは思えません。日本である以上、レストランとかスーパーとかにいれば、絶対にばれるはずですよね。

映画に詳しい人に聞くと、あくまでも噂ですが、渥美清さんは『男はつらいよ』の撮影期間以外は、一年のうちのかなりの期間フランスで過ごしていたそうなんです。

渥美さんは、初めは喜劇俳優としてデビューして以来、普通の俳優のように寅さん以外の作品にも出演していました。『八つ墓村』の金田一耕助役もやっていましたし、シリアスな役もこなしていました(『あゝ声なき友』など)。

しかし、ある時期から、寅さんになりきるため、他の作品には一切出演しなくなり、寅さんのイメージを壊さないようにするためにプライベートの渥美清の姿を出来るだけ見せないようにするため、日本を離れたというのです。あっぱれな役者魂です。


役者魂といえば、帝釈天の御前様役の笠智衆さんにも、すごいエピソードがあります。

笠智衆さんは、晩年は年齢による老衰に加え、ガンに犯されていたため、ほとんど寝たきりの状態で撮影に挑んでいました。

初めの方の作品では、御前様がとらやに来たり、旅に出たりと移動しているシーンも多いのですが、後半の作品になると、帝釈天の境内から見下ろすようにしているシーンが多くなったのに気づかれた方もいると思います。
実はこの境内は、笠智衆さんの自宅なのだそうです。

ガンでほとんど寝たきりの彼は、『男はつらいよ』の御前様役を撮影するために、わざわざ自宅に帝釈天の境内そっくりなセットを作り、撮影の時だけ起きて御前様役をこなし、そしてまた床に伏すという、すさまじい撮影をしていたのです。役者魂の執念を感じるエピソードですね。

そこまで打ち込める作品に出会えた渥美清さん、笠智衆さん。また、そんな役者に出会うことの出来た山田洋次監督。この作品は奇跡の出会いが作り上げたものなのですね。
名役者にそこまで思わせてしまう『男はつらいよ』という作品は、やはりすごいなあと感じるエピソードでした。


<様々なパロディ>

『男はつらいよ』には、往年の名作映画のシーンのパロディーが頻繁に現れます。それを探し出すのも楽しいです。

『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』のクライマックスシーン、飛行場で寅さんがマドンナ役の栗原小巻に恋敵との結婚を勧めるシーンは、『カサブランカ』のラストシーンのパロディーです。ちなみにタイトルは『007 ロシアより愛をこめて』のパロディーですね。
『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』では、建物の壁に寅さんの影が大きく映るシーンがあって、これは『第三の男』のパロディーですね。

また、寅さんが放浪の旅に出るシーンでさくらが「お兄ちゃ~ん!帰ってきて~!」と叫ぶシーンは西部劇『シェーン』の有名なセリフ「シェーン!カムバーック!」のパロディーです。
その他、探せば沢山見つかると思います。私もすべては見つけられていないでしょうから、これから探すのが楽しみです。
皆さんも、『男はつらいよ』を観る時は、どこかに名作映画のパロディーがないか探しながら観るのも楽しいと思います。



まだ続く;;
ぐひ~、お久しぶりの更新になってしまいました(・_・;)

GWは予定していた遠出がキャンセルになったため、家で本を読んだり映画を観たり、まあダラダラと過ごしていました。

その中でも今回は、
『男はつらいよ』シリーズを第1作目からまとめて観ていました。

『男はつらいよ』シリーズは、第1作が1969年という古い作品ですが、2年ほど前にHDリマスター版が発売になり、映像もかなりきれいになったため、第1作から順番に借りて観ました。といっても、さすがに全部は観れてませんが。。。


第1作目での寅さんは年齢が38歳という設定で、丁度私と同い年なのには驚きました。実にタイムリー(°∀°)b

それもあったせいか、寅さんを観ていてどうしても他人事に感じられず、つい寅さんを自分に重ねて観てしまいます。かなり感情移入が激しくなってしまいました。

私もかなり渡世人のような生き方をしてまいりましたので、作品の中で、おいちゃんが言った、

「おい、寅!おめえもいい歳していつまでも雪駄履きで恥ずかしいと思わねえのか!」

というセリフが身に沁みます。それを言っちゃあおしめぇよ。


改めて観るとこの作品の素晴らしさ、山田洋次監督の才能に愕然とするばかりです。この作品は、間違いなく後世に残る名作ですね。


けれど、意外に若い世代はこの作品を観ていない人が多いと思います。
私も若い時分はこの作品の面白さがイマイチ理解できませんでした。

しかし、観れば観るほどに味わい深い作品であることは間違いありません。
こんな素晴らしい作品を観ないのは非常に勿体ないと思い、また、少しでも『男はつらいよ』という作品が持つ世界への理解を深めてもらいたいという理由から、おせっかいながら私が少し解説をしたいと思いました。


・・・と、書いていたら超大作になってしまったので、テーマを決めて何回かに分けて書きます。
今回は”『男はつらいよ』の誕生について”



もともと、この作品は
ある作品のオマージュになっています。

原作者でもある山田洋次監督は、若い時心臓が悪く、何度も入退院を繰り返していたそうです。
自分はもう死んでしまうのだろうか、この先健康で暮らせるのだろうかと、病床に伏しながら不安に襲われていたことでしょう。そんな時、一本の映画に出会い、ものすごく衝撃を受けたそうです。

その映画が、


ジャック・タチ監督の『ぼくの伯父さん』

です。

山田氏はその作品を観て、大笑いしながら本当に元気をもらったそうです。
そして、自分もいつか、あの主人公ユロ伯父さんのような、皆を笑わせることの出来るキャラクターを生み出そうという想いを持ち、あの名キャラクター寅さんが誕生したのだそうです。


そういう訳なので、『男はつらいよ』シリーズでは、第1作目から寅さんの妹、さくらが早々に結婚し、早々に満男(みつお)という男の子を出産します。

1作目を観ていて、さくらのお見合い失敗から結婚、そして出産と、随分展開が早いなと思ってしまいますが、それもそのはず。山田氏は1作目を撮った時点で頭の中に『男はつらいよ ぼくの伯父さん』が構想にあり、そのために満男という甥を誕生させる必要があったのです。


しかし、第1作目から「ぼくの伯父さん」の構想があったにもかかわらず、念願の『男はつらいよ ぼくの伯父さん』を撮影そして上映出来たのが、なんとなんと!


20年後の1989年、作品にして第42作目だったのです!


んという道のりの長さでしょう!けれど、私は山田監督の描きたかった伯父さん像のためには仕方がなかったのだろうと思います。

ジャック・タチ版『ぼくの伯父さん』は、甥のジェラールがまだ幼い少年という設定ですが、『男はつらいよ』シリーズでの「ぼくの伯父さん」は、満男が浪人生で反抗期、初恋に悩む思春期の時期が選ばれました。


ジャック・タチ版『ぼくの伯父さん』では、
甥であるジェラールの、幼く無邪気な視点でユロ伯父さんを見つめます。
世間の枠にはまらず、資本社会に溶け込めず、けれど少年のようにピュアな心を持つユロ伯父さんが描かれます。

それに対して、山田氏版『ぼくの伯父さん』で描きたかった伯父さんは、少年から大人への階段を上りつつある男の視点から見た伯父さんです。


将来への漠然とした不安を持ちながら、自分が何をすべきか、どのように生きていくべきかと考え悩む時期は誰にでもあると思います。
浪人生の満男も、人生の大きな 岐路に立たされ、社会というものに自分がどう向き合ってよいか思い悩みます。

寅伯父さんのような自由気ままな人生に憧れを持ちはしますが、しかし、それは世間的に見て非常にリスクが高いことも十分に理解出来る年齢になっています。

生きていく上で一体何が大切なのだろうと思い悩む満男から見た寅さんの生き様は、満男が少年の時や、周りの大人たちが蔑んだ目で見ているのとは違う輝きを放って見えることでしょう。

そういった甥の視点から、一人の人間である寅さんを描きたかったために、山田監督は20年の歳月を費やしたのです。いや、すごいっすね( ̄ー ̄;


その2へ続く