バラ色の日々 -3ページ目

バラ色の日々

生きていれば尽きるものはありません。

ブログの更新が空く空く・・・。


最近はありがたいことに彼氏もできまして、
加えて自分の好きなことに向かって頑張ろうという努力を
ようやく具体的に行動に移すことができました。

そんな中2月末が会社の期末だったのですが、
なんとか年間目標を達成することができました。

自分の未熟さやうまくいかないことを目の当たりにして
デスクでもトイレでも号泣しながらの達成でした。
きれいな達成の仕方ではなかったし、迷惑もかけた。

でも、お客さんに
「絶対に達成してください」
と言われた言葉を思い返しながら、
なんとか最後で踏ん張った感じです。

けして楽ではないことばかりだけど、
4月という節目を迎える前に、3月末までに、
しっかり自分が納得できる形、
後悔しない、満足できる状態を
作っていかねば女がすたる。
と思っております。

まだまだ途中段階で、
3月が正念場ではありますが、
自分で自分を褒められるように
駆け抜けていきたい所存です。

なんて偉そうに言ってはおりますが、
怠け者だったゆえに
今しわ寄せがきているという大前提があります。

3月が正念場なのも、必然的なことではなく、
もっと早く行動に移していれば、
なにも今一気に踏ん張りどころを迎えずとも
計画的に、スムーズに終わらせることが
できたのでありましょう。

ここ二か月くらい、モチベーションが恐ろしく下がっていて
とても胸を張っていられるような状態ではなかった。

反省もあるけど、
うだうだ反省するよりも
今やれることを頑張って
今後後悔しなくていいように
結果をだすべく尽力します。

色よい結果が出たらまた詳しく書くことにします。
とにかく今は色よい結果を出すための努力!


【明日から、きれいなかかとで歩いてく。】


material shop:) redの画像 プリ画像




私は飛び込み営業が嫌いだった。
リクルート代理店の多くは、新人に最初の一か月だけ飛び込み営業をさせて、
二か月目からはテレアポ営業に切り替える中、
私はずっと飛び込み営業をしていた。
上司は、「うちの伝統だから」とだけ言った。

代理店合同での新人研修では、ほか代理店の同期がどんどん数字を上げていた。
みんなが10万だの20万だのと利益額を発表する中、
私は「0です」と言わなければならなかった。情けなかった。

別に飛び込み営業でも受注することはできるだろうけど、
その時の私にはとても可能性の低いものに感じられた。
数字と一緒に、私の自信も小さく消えていってしまいそうだった。


私の飛び込みエリアは渋谷区だった。
言いようのない焦りに苛まれながら、
旅行鞄みたいな大きさの営業鞄を抱え、
渋谷の街を歩き回っていた。
行き交う人の中には、私の大きな鞄に体をぶつけて、疎ましそうな顔をする人もいた。

道玄坂のアスファルトはでこぼこしていて、
すり減ったヒールの先がよくつっかかった。
坂を上るごとに、足が鉛のように重くなった。
私のかかとは日々日々固くなった。
私は風呂上がりに足裏を眺めては、
かわいくない足、
とため息をついた。

とあるビルの前を、ずっと素通りしていた。
大きなビルで、飛び込みするのに気が引けた。
どうせ名刺なんてくれないだろうと思った。
入れなかった理由はそれだけじゃない。就職活動のことを思い出していたのだ。

化粧品を愛してやまない私は、そのビルに入っている会社に応募して、
そこで2回ほど面接をした。
面接の前にも、メイク講座に行ったり、
コミュニケーションスペースを使ったりと何度か足を運んでいた。
コミュニケーションスペースでは、キラキラした女子大生が化粧したり
ネイルをしたり髪を巻いたりしていて、こんなスペースもあるんだ、と素直に驚いた。

結局二次面接で落ちてしまった私は、
もう一度足を運ぶのがなんとなく気まずかった。

でも、どんな形であれ関われるなら嬉しい。
勇気が出たら、飛び込んでみよう。

そう思って、通り過ぎていた。
坂を上りながら、かかとがじんじんした。

ある日、ビルの前を通って「よし、行ってみよう」と思った。
エレベーターのボタンを押すとき、どきどきした。

入口のところには、商談が終わったのだろう、
スーツ姿の男性が3人ほどいた。
男性は私のことをちらりと見たが、すぐほかの男性の方に向き直り、談笑していた。
商談相手と話しているのだから仕方のないことなのだが、
やはり相手にされないのでは、と一瞬不安になった。

講座や説明会で見たことのある女性がコミュニケーションスペースのところにいて、
私は急いで話しかけた。
社名と名前を伝え、突然の訪問を詫び、以前お世話になったことを伝えた。

メイク講座が楽しかったこと、
コミュニケーションスペースのオープンさに感動したこと、
面接で落ちてしまったこと。

女性は大きな瞳にどこか申し訳なさそうな色を滲ませながら、
しっかりと私の話を聞いてくれた。


「今飛び込み営業中で、名刺を交換させてほしい、
 御社には入れなかったけど、何らかの形でお手伝いできたら」
と伝えると、女性はまずお礼を言ってくれた。
でも、自社で採用していく方針だから力にはなれないかも、
と正直に現状を教えてくれた。

それでも名刺交換させていただけたらうれしい、と粘ると、
「私のでよければ」と女性は名刺を取りに戻ってくれた。
その間、入口の所で棒立ちしている私を、先ほどの男性が怪訝そうに見ていた。

女性が名刺を取って戻ってきたとき、ちょうど男性達が出ていくところだった。
エレベーター前で彼らが挨拶している間、私は壁際に寄り、
女性は奥のほうに立って待っていた。

女性の固い面持を見て、
もしかしたら飛び込み営業に名刺を渡すことは推奨されていないのかもしれない、
と思った。
男性たちが立ち去った後、女性は私に丁寧に名刺を渡してくれた。

きれいな名前だなと思った。

受け取りながら、今は私の力が足りないけど、いつか力になりたい、と強く感じた。

その日の帰り、私は足裏用のやすりを買った。
足裏の固くなった部分をこすり、厚くなってしまったかかとを整えた。
一通り処理して、指先でかかとをなでると、
ざらつきがあるものの、やわらかくなっていた。

そのまま、私は布団をかぶった。
布団と触れ合う私のかかとは、羽のように軽かった。

 


【いなくなる、その日まで】



今年の年越しは、おばあちゃんと手をつなぎながら年越しした。

大学時代、飲み会オールで年越ししている友人や彼氏がすごく楽しそうで、
死ぬほどうらやましかった。
私も一度大勢で除夜の鐘を聞きがら、初詣に行きたかった。
海や山で日の出を見て、わいわい騒いでみたかった。
なんで私はあの輪の中に入れないんだろう、と思った。

でももし万が一、おじいちゃんとおばあちゃんに何かが起きたとき、
一緒に年を越せなかったという後悔だけはしたくなくて、
年末年始も一切お酒を飲まない実家に、必ず帰った。

小学校のとき、おばあちゃんが余命宣告を受ける夢を見たことがある。
病室のベッドでさみしげに笑うおばあちゃんを見て、
「どうしよう、まだ全然孝行してないのに、
もうあれもできない、これもしてあげられない」
と焼きつくような後悔に駆られ飛び起きたことを、今でもよく覚えている。

高校生のとき、おじいちゃんが庭にパンジーを植えるのを手伝ったことがある。
日が沈み始めるころ、シャベルで土をすくいながら、
やさしく土をかけてあげなきゃいけないよ、と言われたとき
無性に泣けてきて、我ながら戸惑った。
こんなわけもわからず泣いている顔を見せてはいけないと
下を向いたままひたすら土をかけていた。

おじいちゃんやおばあちゃんの死を考えるたび、
ノルウェイの森の
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
という言葉を思い出す。

もしおじいちゃんやおばあちゃんがアルツハイマーになって、
もし「どちら様ですか」と言われた時、
もし暴言を吐かれたとき、
耐えられる自信もない。

こんな風に思うと、
大好きだ大切だと言いながら、
自分のことばかり考えているんじゃないかと感じることがある。

私は本当に相手のことを思って行動していたのだろうか、と。

自分が痛い思いをしたくないから、
自分が傷つきたくないから、
少しでも未来の苦しみを軽くしようと行動してるんじゃないかと。

でも、私が実家に帰って
おじいちゃんやおばあちゃんの肩を揉むとき、
おいしいおいしいとごはんを食べるとき、
手をつないで一緒に散歩に行くとき、
布団を敷いてあげるとき、
洗い物をして洗濯物をたたむとき、
おじいちゃんやおばあちゃんは、そんなことは気にしていない。

私が元気でやっているのか、
ちゃんとお嫁に行けるのか、
これから笑って暮らしていけるか、
そんなことばかり気にしている。


祖父母がいなくなるその日まで、
私の知り合い全員がどんなパーティーを開こうと、
どんなに愛しい人が一緒にいようと囁こうと、
年末年始は絶対に家に帰ろう。