百年泥 第158回芥川賞受賞


私はチェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水に遭遇した。橋の下に逆巻く川の流れの泥から百年の記憶が蘇る! かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。流れゆくのは――あったかもしれない人生、群れみだれる人びと……


今日ご紹介するのは、現在も作品の舞台となったインド、チェンナイに在住する石井遊佳氏の芥川賞受賞作品です。

主人公は多重債務返済のため、南インドのチェンナイで日本語教師として働く女性。

彼女が現地に暮らしはじめてまもなく100年に一度の洪水が襲い、アダイヤール川が氾濫して川底にあった100年分の泥が流出します。

洪水後、川にかかる橋の端から端までつもった泥の山は強烈な異臭を放っていますが、地元の人々はそこから行方不明者や故人を引きずり出し、何事もなかったように会話を交わします。

ウイスキーボトル、人魚のミイラ、大阪万博記念硬貨など、雑多な品々も出てきて、その度主人公の教え子の過去やインドの因習の内実が語られていきます。

過去と現在、生者と死者、現実と幻想、その全てが、百年もの時間をかけて溜まった泥の中に存在し、こうして揃って現れる混沌とした世界。

インドを舞台とした仏教的な世界観に入り込んでしまう、そんな作品でした。