料理通信の撮影秘話を読んで | BAR14Nの憂鬱なラテアート

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エスプレッソやラテアート、コーヒーの話

このブログってコーヒーのブログで、コーヒーのことしか基本的には書かないのだけど、たまには違うことを書いてみようかな。
料理通信のとあるコラムを読んで、色々考えたりしたことがあるので、頭の中を整理する意味で、ちょっと書いてみようと思う。そして、文章にできる限りまとめてみる。

コラムは、こちら。
『料理通信』2013年9月号「小さなキッチンでつくる、本格スイーツ」 表紙撮影秘話
http://r-tsushin.com/magazine/column_201309.html

「私の姿を見て、『ここまでしなければ一人前のパティシエになれないのか』と思うのでしょう、なかなかスタッフが続かなくて……。この店を辞めた後、パティシエの道をあきらめてしまう子もいます。はたして、私がやっていることは正しいんだろうか、間違っているんじゃないかと思えてしまうのです」

パティシエってすごく体力が必要だってことは前に聞いたことがあって、そして、体力以外の面でも相当大変っていうことも。問題はきっと人それぞれに抱えていて、人によって全然違うんだと思うけど、きっと辛くなって、パティシエをやめたくなることなんて多々あることなんだろうなって想像する。

でも、パティシエになりたい、続けたいという強い気持ちがあって、やめずに続けて行く人は、きっとたくさんいるんだろう。で、そういうパティシエにもきっと憧れの存在がいて、それは今のお店の師匠的存在の人だったり、料理通信のような雑誌に載ってる人だったりするんだろうと思う。

このコラムは、表紙の裏話であって、意図する読み方をぼくはしていないのかもしれないけど、きっとこのコラムを読んだ「一人前でないパティシエ」は、気付くだろう。憧れのあの人(もしくは師匠だったり…)も相当苦しんでるんだな、って。
苦しさを共有することって、どうなのかなと思うけど、何かそういう共有みたいなものをきっかけに、今まで気付かなかったことが急に見えてくるかもしれない。
きれいだなー、手にとりたいって思った表紙。それだけでは、撮影の背後にあった物語を語りはしないのだけど、その物語を背景としたものは、はっきりと目に見える。表紙に魅力を感じたら、きっとその魅力って、背景にあった物語があってこそのものかもしれない。そして、その魅力に気付くのは、プロだからってわけじゃない。

ちょっと表紙を見てみて!
http://r-tsushin.com/magazine/2013/09/
もうちょっと大きいほうが良いかもしれない。雑誌を手にとってみて!

私はこの時、「小さいことの尊さ」を必死に語っていました。
小さいから見えてくるものがある。
小さいから極められる質がある。
しかし、石井さんから返ってきた答えは、「小さくていいとはこれっぽちも思っていない」「今のサイズに全然満足していない」というものでした。
あぁ、石井さんって、そういうメンタリティで仕事してたんだ……。
これは説得できないかもしれない……。
近藤さん、小倉さん、ごめん。せっかく一緒に来てもらったけど、無理かも。


こういう引用した部分は表紙だけでは分からない。記事にするとしても、マイナスのメンタルの部分って取り上げにくいものだと思う。でも、良いことばかりじゃないんだって知ることって大切だよね。良いところだけだったら、人によっては憧れるばかりになってしまう。悪いところも知ることができると、「誰か」に憧れている人たちは、実はその「誰か」も自分たちと同じ問題に直面してるってことに気付くかもしれない。
誌面って限られたものだし、雑誌側が伝えたいメッセージもある。表に出て来ない(例えば、取材する側、される側の)想い、ドラマは当然のようにあるだろう。でも、そういうものがあることを、このコラムを読んだ人たちは知ってしまったよね。物語はきっと、表紙だけじゃなくて、誌面全てに隠されている。
もしかすると、雑誌を読んで、このお店に行きたいなって思うのは、何か物語が隠れているせいかもしれない。

あるよね、また来たいなってお店。雑誌に載ることのないお店でも。それって何か隠されている物語の存在があって、思うことなのかも。売ってる(例えば)小さいお菓子ひとつひとつに、きっと物語はあるんじゃないかな。お菓子だったら食べられるよね。物語なんて気付かなくても、美味しいかどうかはわかる(笑)でもその美味しさの裏には、隠れている物語があるのかも。