加納町志賀、もてなしと効率の狭間で | 神戸加納町「BAR志賀」と昼の顔(中毒性日記Blog版)

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​台風直撃はないにしろ、9月はいろいろ天候が不安定だ。

自宅近くのコンビニには駐車場も広くガソリンスタンドもあるので、店からの帰り深々夜に覗くことがある。そこのアルバイトは深夜でも3人体制で(夜中に遊びに来ているバイト仲間もいるのか、もしくは商品の搬入時間か)、従業員の数よりお客さんの数が少ない時には思い切り私語を続けるし、バックヤードから店内に笑いが響き渡る。まぁ不愉快なんだけどこれがコンビニエンスとの天秤で仕方なく何も言わないが、その内の一人がレジで僕を見つけるとお決まりの「いらっしゃいませこんばんわぁ〜」と発し息継ぎもしないで一通りをマニュアルトークしながら、さも私は(この子は女子である)できるバイトだと言わんばかりで「ありがとうございましたまたどうぞお越しください」と言うや否や、すぐにバイト同士の笑いに戻る。できればこの子に当たりたくないと思っている52歳がいることを彼女は知らない。

さて水曜日。神戸の地震の時もそうだったけど、何があっても街に出る人はあるし酒を飲む人も居なくはならないものだ。そう考えると今日という日もまた、人で溢れるか全く来ないかで気持ちが変わるわけでもなく、ここに居場所があるという喜びに店主は浸る。家のような店だからそれは想定の範囲であり(毎日パーティーしている家はない)、常に不安と危機感がないとこんな店は務まらないし続かない。要はそれらを、お客に感じさせる店と見せない店の違いである。まぁつまり今は、静かである。

お客を迎えるホスピタリティ、それを接客に於けるもてなしと捉える狭義はとても曖昧だ。飲食店には清掃、下ごしらえ、仕込み、要するに開店準備というものの中で、店に立つ側の「効率」や「楽」を来訪者に感じさせてはならない。「こうした方がお客様をお待たせすることにならない」と言いながら、実はそこに立つ者(迎え入れる側)の「楽」を優先にしている店は多い。それは口にする物だけのことではなく、椅子やトイレ、動線に至るまで、店側の効率に則って考えられている店(最初はそうじゃなかったが変わった店)は居心地が悪く見抜かれる。興醒め、現実に引き戻される物がそこにあることも避けたい。
バーに時計がないのはその最たる例だ。

ただし店に立つ者は今何時と聞かれたら、

そうねだいたいねで済ませてはならない。