久々の自分史シリーズ・・・再開です(笑
さて、事件とは・・・
事件とまでいうのは、大袈裟かもしれないが、自分には一大事・・。
派遣社員として、就業6カ月目にして、解雇通知が届く。
繁忙期が過ぎ、大半の派遣社員が契約解除となった。
派遣社員なので当然なのだが、一年という契約期間だったので、話が違う・・・。
次は高知へ行けと言う。聞けば、3交代で、簿給・・・
サーフィンやりたい放題かも!?という下心はあったが、Barの開店資金を貯められるような内容ではなかったので、派遣社員の登録を解除。数か月後、日本ではトップクラスの派遣会社であったが、倒産した・・。
というわけで、失業者に転落、この半年の収入はホームレス時代の借金返済に充て、完済できた・・。
が、しかし、これでもう、自分の中で就職という選択肢は消えた・・・。
もう、自力で資金を作るしかない。恥ずかしい話だが、この時、貯金ゼロ、車はあるが、親に勘当され、ホームレス、信用ゼロ・・・今の自分に何が残っているというのか・・。
もうやけくそ!?になって、封印していたサーフィンをする為、高知県の中村市のとあるビーチに住みついた。
毎日サーフィン・・・あんなに好きだったサーフィンが全然楽しくない・・というか、楽しめない。社会に馴染めない自分に不安が募る。遊んでいても、心を解放出来ずにいるから、楽しくない。
夜は炭で毎晩、1人BBQ・・・と酒。
月が太平洋に写り込み、ロマンチックで綺麗な光景が、逆に虚しさを煽る・・・。
生産性のない毎日・・・。
高知へ来て、2週間が過ぎていた。
何がいけなかったのか、過去の自分を振り返るいい機会だったのかも知れない。
小学生中学年位の時の自分の夢を思い出した・・・。
『カ―・デザイナー・・・』
本来なら、デザイン専門学校へ進み、メーカーへ就職しないと出来ない職業。
そうや!これや!!これなら出来るかも!?ニーズはあるのか!?
やってみないと解らない・・・やってみよう!
という事で、車の模型専門のビルダーを目指す事にした・・。
工房がないので、松山は北条の知人宅へ転がり込んで、一部屋占領し、工房を構えた。
法人登記はしなかったが、個人で、『モデル・プロダクト・アーツ』という名前で名乗りを挙げた。
実は、Barで働いていて、ようやく落ち着いた頃、昼間に趣味で模型を製作するようになっていた。
この時は、海外脱出を計画し、成功して定年したら日本に戻って、とあるコンセプト・カフェを細々と経営しようと思っていた。
車好きが講じて、沢山の自動車模型を製作して、閉店した回転すしの店舗を使って、次々に懐かしい名車が流れて来る。
それを、爺さん達が集まって、ワイワイ懐かしい話やら自慢話を繰り広げる・・・そんな光景を思い浮かべながら、製作していた時期があった。鉄カフェの車版(笑
都会だったら、今でもイケるビジネス・モデルだと思う(笑 し、今でも諦めてはいない。でも、ネタバラシしちゃった(汗
まずは、模型そのものよりも、模型を並べて眺める為のショーケースを商品化する事にした。
↑興味がある人は拡大してね(笑
上の写真の2枚は、DDFという日本のジオラマメーカーの商品で、中国で30台だけ生産されたもの。
それを、直径1.6mmの極細冷陰極管という、蛍光灯の超ミニサイズの照明を5本取り付け、A/Cアダプターで駆動させるという改造品を製作。
この貴重なモデルを僕の手によって4台が、照明付きに改造された。今も日本のどこかで、飾られているはずだ。
そして、下の2枚は、MDFボードを使用してゼロから製作した、1/18サイズを3台収容出来るショーケース。
モ―ターショーをイメージして、フロアー下にも照明を仕込んだ。フロア、天井照明、間接照明等も、それぞれ手前左側のボリュームで独立して明るさを調整出来るようにした。
これが、大ヒット!飛ぶように売れた・・・。
何十台作ったか、もう覚えていないけど・・・。
順調だった。だけど、開店資金を造る事など、気が遠くなるような話だった。
そこへ、思いもしない人から、僕の夢を現実へと導く電話が掛かって来ようなどと、考えもしなかった・・・。
『プルルルル・・・』
続く・・・
