以前に大ナゴヤ大学に関する個人的な思いを経験から書きました。


http://ameblo.jp/baptism/entry-10177014509.html


その続きです。


阪神大震災から14年が経ちました。


その前後には、オウム真理教の事件が勃発していました。


自分のアルバイトしていた青山のお店近く(ウラ)で、幹部の刺殺事件が起きたり、当時は

テロとも言われるような、JRの変電所が動かなくなるような事件が発生していました。


そして僕にも、「生かされた」経験があります。


決定的だったのが、「地下鉄サリン事件」


そう、その事件で、本当は僕も被害にあっていたかもしれないのです。


当時は就職活動中。


仲間達と、元シャインズでキャリアデザインスクール我究館の館長であった杉村太郎さんと

前夜に湘南海岸に出かけ、深夜に「海で叫ぶプロジェクト」をやって、志望する企業への

一発内定を誓い、歌を歌ったり、エチュードという「台本のない演劇」をやったり

「告白タイム」ごっこ(本気もあった!)をやったりして帰ってきた後でした。


表参道駅近くの吉野家へ、女の子で「行った事がない!」と言っていたメンバーが多くて、

じゃあ、オープンを待って吉野家で食べて帰ろうという事になりました。


オープンが7時だったと思います。


それで食べて、みんなで帰ることに。


駅で別れたり、散りじりになりました。


そして、私は、伊藤くんという友達の家に行こうということになり、ルートはまさに

あのルート(霞ヶ関方面)でした。


しかし、朝方はラッシュなので、山の手線を経由する方で帰ろうという事になり、

切符を買う段階で逆側コースを選択することになりました。


結局は眠くなり、ボケボケになったのでお互い別れることに。

そのまま代々木上原経由で家に帰ることにしました。

伊藤くんは山の手線経由で帰りました。


そして爆睡。


しばらくして・・・。


電話がバンバン鳴っている。


「何?」


と思って電話に出たところ、伊藤くんからでした。


「テレビ見て!」


眠気眼でテレビをつけてみると、サリン事件の大惨事の報道が・・・。


表参道で地下鉄に乗ったタイミングで同じ電車でした。


あの時、「外回りで行こう」という選択をしなければ、今頃・・・。


その時に思ったのが、「生かされた命」だということ。


「いつか何かに役に立ちたい。」


そう思っているところに、前のブログで書いた、「阪神大震災で、遊ぶ場をなくした

子供達のために一日限りの夢の場所をつくろう」というボランティア話が舞い込み、

鈍行列車で向かうことになったのです。


その思いを今も大事にして、これからまずは大ナゴヤ大学の実現に向けて

取り組んでいこうと思います。