『生命の実相』第十巻 霊界篇下 第1章 -4 | 山人のブログ

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生命の實相

第10巻 霊界篇 下

谷口雅春 著

はしがき

霊界通信には全然真実性のない低級霊からの通信もあれば、崇高な真理を説く非常な高級霊からの通信もある。しかし高級霊からの通信は非常に少ないのである。なぜなら高級霊は地上の生活にあまり興味をもたないからである。本書の第九巻にのせたフランス霊媒家にあらわれたヴェッテリニや谷口清超氏訳の『天と地とを結ぶ電話』に現れたアガシャの霊のごときは高級霊であって、地上人類の最後の運命の予言までもしていて、現在までのその予言の大多数が的中しているのである。そしてその説くところは秩序整然、人間智の及ばないような深い真理を説いているのであるが、現象界の人類の運命の移り変わりや死後の霊の進化のごときはいずも差別界のことであるから、わたしは第九巻において「差別心より観たる霊界の消息」としてそれを紹介しておいたのである。

本巻における「平等心より観たる霊界の消息」は差別界の霊魂の位相の相違や現象的変化を超えて、すべての人類に平等に宿るところの神聖性に貫穿(かんせん)し、神性仏性を端的に把握しえた境地において、人間の実相を直視しての霊界通信である。この霊界通信を寄越(よこ)した霊魂は、よほどの高級霊であり、差別を超えて人間のすでに完全なる実相を説くのである。この霊はデンマークの青年劇作家マグナッセンにあらわれた彼の父の霊魂である。その父の霊魂がかかって来るとき、マグナッセンの手は自動して、自分の全然知らないピアノの曲を、プッチーニの「ラ・トスカ」や、ワグナーの「冬の暴風」や、ショパンの「ポロネーズ」を、自由自在に弾きこなすのであった。その強烈な霊的支配力をもってマグナッセンのペン持つ手を自動せしめて、霊界の消息と人間の実相とを説いたのがこの書の第一章「平等心より観たる霊界の消息」である。

本書の後半は、心霊の実験を知らぬ人のために、実験室の光景を客観的に描写したものである。この実験室において用いた霊媒は、時によって成績に高下があり、中にはこの霊媒を非難する人もあるが、わたしが実験した場合には会衆の精神雰囲気がよかったから非常に好成績を収めたのであって、他の場所で不成績だったとて、わたしが実験した場合の好成績を疑うのはまちがっている。霊媒の成績が実験場に集まる人々の雰囲気、天候、湿度等によっても左右せられることがあるのは霊媒とは、いわば感じやすい精巧なるオートメーション装置であるからである。(このことに関してはR・M・レスター原著、拙訳『霊界の妻は語る』を参照せられたい。)

以上のごとく、霊界の消息を、霊界通信の方法により、あるいは心霊実験により知ることは大切であるが、霊界には悟らずに苦しんでいる「(めい)(れい)」が多数にあり、読者の祖先の霊魂の中にもそのようにまだ悟っていない霊魂があるかもしれないのである。したがって、そのような霊魂を悟らしめて、霊界における祖先の霊魂の苦痛を解脱せしめてあげることは、子孫たるものの当然行なわなければならない義務であり、それを行なうことによって祖先の霊魂が救われる時、祖先と子孫とは霊的につながって一体であるという原理により、子孫が健康になったり、運命が好転することもありうるのである。したがってその理論と方法とを本書の後半に説いて読者の参考に供した。

昭和三十八年一月十日

著 者 し る す  

凡例

一、本文は文部省調査局国語課長白石大二編『当用漢字・現代かなづかい・送りがなのつけ方』(昭和三十五年版)に基本的に準拠したが、固有名詞はそのまま保存し、納得の行きかねる所は独自の考え方で改めたところもある。

二、頭注は『例解国語辞典』『中学国語新辞典』を参照し、さらに東京都港区立城南中学校国語科教諭河口暎氏の好意ある協力を得たことに感謝する。

三、本文は初版の『生命の實相』になるべく忠実ならんことを期したが新知識を補足した箇所もある。

四、『生命の實相』の原文は頭注なしにも意味がとれるように、処々に特殊の読み方の振り仮名がつけてあった。例えば、「容積(かさ)」とか「間隙(すき)」とか「陰影(かげ)」とかいう風にである。この場合、幼い読者が「容」を「か」と読み、「積」を「さ」と読む漢字だと間違っておぼえないように熟語の下にカッコして容積(かさ)(ようせき)、間隙(すき)(かんげき)、陰影(かげ)(いんえい)などのように漢字の読み方を示すことにした。

第10巻 目次

はしがき

凡  例

霊界篇 生命の行方<下>

第一章 平等心より観たる霊界の消息

霊魂と外国語…自動書記現象の光景…霊界の神秘…例の超時空性…テーブル通信の光景…人間の地上の使命…人間の本質…知恵と神秘…生命の本源…神性…法悦と奇跡…霊魂論者と無霊魂論者…心霊現象の起こる目的…心霊現象の欠陥…霊媒現象の解説…恍惚状態…霊言現象の機構…霊界通信の目的…霊媒が霊魂の思想を混信する…神懸りの音楽演奏…使命のための死期の訂正…霊魂自身自己の死の刹那を語る…人間は神の子…悪の非実在…霊魂自身自己の埋葬を語る…苦痛は非実在

第二章 個性生命の存続とその物質化

第三章 悟らぬ霊魂を救う道

第四章 幽明境を超える念の感応

引導を渡す…弥陀の四十八願…絶対他力…至心信楽…臨終の一念…肉体の無意識と霊魂の無意識…夢の現象…念の世界が現実に映る…まじない…物質無の説明…万教帰一

霊界篇 生命の行方(ゆくえ)

なんじのうちの神を生かせ――

あなたはもっと深切にならなければならない。

何事にももっと行き届いた愛をもたなければならない。

小さなことでも慎まねばならない。

あなたの性格上の欠点は

常にこれくらいのことはよかろうと

なんでもいい加減の所で済ましておく所にあるのだ。

ちょっとぐらいどうでもよい。

ちょっとぐらい(よご)れてもよい。

ちょっとぐらい(しわ)がよっていてもよい。

ちょっとぐらい乱暴でもよい。

わたしは、このちょっとぐらいが嫌いなのだ。

神は愛であるから、

神は深切であるから、

あなたがほんとに神を信ずるならば、

何をするにも、その仕事を愛しなければならぬ。

何をするにも、その仕事を深切にしなければならぬ。

行き届いた愛で仕事をするとき、

深切な心で仕事をするとき、

あなたの内にある神が生きてくる。

「ちょっとぐらいどうでもよい。」

毎日あなたはこう言って

あなたの内にある神を殺していはしないか。

――月刊『生長の家』巻頭の歌より――

第一章 平等心より観たる霊界の消息

デンマークの青年劇作者マグナッセンの作品は、一時同国コペンハーゲンの帝国劇場で好劇家の寵児となっていたのである。彼が一九一五年以来劇作を中絶してしまったことは、好劇家にとっては惜しいものの一つに数えられていた。しかし彼はただ沈黙を守っていたのではなかった。彼は伸びんがために沈黙を守っていたのであった。五年間眠れる獅子のように沈黙を守っていたマグナッセンが、いよいよ五幕劇を完成したという噂がパッとコペンハーゲンにひろがったのは一九二〇年のことである。ロイヤル・シアターでは喜んで彼の作を最初に上演するように作者と約束をした。好劇家たちの間には一大センセーションが喚び起こされた。

当時マグナッセンは自分の作の第五幕を中途まで書いていた。しかしそれが一種の不可抗力でその劇作を中止しなければならなくなった。彼は完成したい戯曲の草稿を机の上で眺めて泣きたいばかりあせったが、もうその台詞の一くだりも書き下ろすことができなくなってしまった。彼は病気にかかったのではなかった。劇作の能力が消失したのでもなかった。

ちょうど、一九二〇年の十一月初旬、劇作家マグナッセンは自分の机の前の椅子にかけて、日ならず完結するであろう自分の戯曲の草稿を前にして、原稿紙やペンやインキを自分の好みに従ってならべていた。

彼はその年の夏の大部分と秋とを、都会からのがれてユトランドの高原地方で過ごした。彼はそこで、生まれてかつてないほどの日光とすがすがしい空気とを吸い込んだ。彼は今非常な健康さと勇気と精力とにみちた感じで、書斎において捲土重来(けんどじゅうらい)の画策をめぐらしつつあるのであった。

マグナッセンは自作の戯曲中の人物を点検し、その会話を吟味しながら自分の戯曲ながら、かなりの出来栄えであると思った。

「これはモノになるぞ。五年間もずいぶん沈黙を守っていたものだ。」

と彼はふかぶかと()(いき)をついたが、この戯曲の出来栄えを考えるにつけても、未来の希望でツイ微笑(ほほえ)まれるのであった。

「ようよう自分自身になったような気がする。もう一奮発でこの作も完成して、舞台にのせることができるのだ。」

彼はずいぶんよい機嫌にならずにはいられなかった。「なぜあんなに五年間も自分は筆が渋滞していたのだったろう、自分は五年前のなつかしい筆力のゆたかな魂が自分の内に帰って来たような気がする。しかもいっそう若返ってだ。いよいよ新時代に直面するぞ。そうだ、新時代だ。」

彼はペンを取りあげて、机の前に屈み込むと、前額にその長い髪の毛がパラリと小うるさくかかるのを、左の手で払いのけながら、「そうだ、新時代だ、時代の歩みは自分の天分を人々が理会しうる方向に進んで来た。」

彼は劇中の対話を数行書きおろした。力強い台詞だと彼は自身で思った。しかしそれきり、もう筆が進まなかった。

顔をあげると窓のそとに向こう側の家の正面が見えるのである。その家の窓は閉まっている。

彼は覚えずホーッと深い()(いき)をついた。なぜこんなに愉快な気分の真っ最中にこんなに溜息が出るのか、彼はわからなかった。

彼は自己の心のうちで「新時代」と何者かがまたしてもささやくのを聞いた。

「新時代」その声は今まで考えていた彼自身の想念とはまったく別な「新時代」の意味をもっているのであった。

彼は窓外に見える家々の屋根の上に、カッキリと晴れ渡っている秋の空を見ながら自分自身に対して呟きかけた。

「新時代はたしかに来る。新しい曙の光は、地平線上に微笑みかけねばならないのだ。しかし、それはどこから来るのだ?政治家の演説からか、労働や、義務や、同情や、温情やを叫んでいる新聞紙の記事からか?そんなものから新時代は来るものか。しかし新時代は必ず来るに相違ない。なぜなら世界はその来ることを望んでいるからだ。」

彼はここまで呟くと、再び自分の書いた原稿に目を落とした。原稿を見つめる眼はやがて失望の色にかわった。

彼自身の作には何も内容がないように思われた。

「空虚だ!空虚だ!空虚だ!」彼はまた呟いた。「ただ過去の影ばかりだ。そこには新しい色も曙の微笑みもない。自分の書いたものはこの世界と同様に、俺自身と同様に生彩のない灰色をしたものではないか。」

「新時代!新時代なんて来ないのだ。世界戦争は終息しても、人類が予想したようなバラ色の曙は来なかった。われわれは待っている。しかし地平線上に出現しているものは、すべて灰色の雲ばかりではないか。新時代なんて嘘にすぎない。世界戦争中よりもそれはいっそう遙かに遠のいたように思われる。」

「俺は机に向かって創作をやりはじめていた。新時代とは、秋の空気と、自己保存の欲望と、俺にまだ残っていた若さとエネルギーとが、新時代の幻影を描いて見せてくれたにすぎなかったのではないか。が、現実を一瞥せよ、自分を幻滅の悲哀に突き落とすのは、ただの一瞥でよいのだ。今まで自分が無鉄砲にも明るい幻影をいだいて微笑んでいたとき、新時代を耳もとで囁いていた悪魔は、今は自分に(むか)ってグロテスクな表情で歯をむき出して笑っている。」

「新時代だ?ヘン、この俺が新しいって?俺の書いた戯曲が新しいって?自分の戯曲の中に現われているのはただ過去の影ではないか。過去の影が過去の楽しい言葉を語る――しかしそれはただの影にすぎないのだ。どこに新しさがあるのだ。」

マグナッセンはだんだん憂鬱になっていった。しかし彼はまもなく自分を慰めていた――どんな芸術家にも暗い時期が来るものだ。自己の作品がみじめに見えてそれを見ることが恐ろしいほどの時期が来ても、それは間もなく過ぎ去ってしまうのだ。彼らこの自分の煉獄的な苦しみの時期も遠からず過ぎ去ってくれるだろうと思い直した。しかし彼は心の底から依然として囁く不可思議な何物かの声を聞いた。「お前の考えていることは自慰にすぎない。お前は幻影を描いているにすぎないのだぞ。お前はまだ楽しそうに原稿紙の面にペンを(ふる)おうとするだろう。しかしそれだ何になるのだ。この世はひっきょう(〇〇〇〇〇〇〇〇〇)影に(〇〇)

すぎない(〇〇〇〇)いっそう真実なるものの(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)影にすぎない(〇〇〇〇〇〇)。」

こう囁く声は自分自身の考えとはまったくそぐわなかった。彼は気分をまぎらすために家を出た。

翌日、この二、三年間互いに遠ざかっていた一人の詩人がマグナッセンを尋ねて来た。この詩人は大分前からフランス語でフランスの出征軍人を題材にした詩作に(ふけ)っていたのであった。マグナッセンは母国語を無視したフランス語の詩など聞きたくなかった。

「母国語があるのに、なんだってフランス語で、外国の軍人を讃嘆しなければならないのだ。君は馬鹿だな!」

こういってマグナッセンは友だちを攻撃したこともあった。この詩人がマグナッセンに遠ざかるようになったのはそんな理由からであった。

今日彼が久方ぶりで訪ねて来たときにも、マグナッセンは彼に今後フランス語などで詩作しないで、母国語でやってもらいたいといった。

詩人はそれには直接答えなかった。彼は椅子にかけたまま空を見つめていた。

「僕は今度すばらしい体験を得た」と詩人はいった。「フランスの軍人と話して来たよ。」

「そんなことは珍しくもないね」とマグナッセンはの答えは(そっ)()なかった。

「そうさ、あたりまえなら。しかしその軍人は死んでいるんだ。死んでしまったフランスの出征軍人と話したんだからね。」

マグナッセンは相手を憐れむように肩を(そび)やかした。――

「これはまた!フランスの戦死軍人が墓から起き上がって、君の讃頌詩に感謝の意を表したとでもいうのかね」と彼はちゃかすようにいった。

しかし詩人はきわめてまじめそうに劇作家の顔を見ながら、

「僕が今日来たのは実はそのためなんだ。君は頭のよい思索家だ。君は、独自の考えをもっている。なんら迷信的思想にわずらわされてはいない。誰も君をごまかすことはできないと僕は信じている。そのために僕は今日来たんだ。僕が気が狂っているかどうか君の意見を聞きたいんだ。僕は実際、フランスの戦死軍人と話したんだ。」

「それをまじめに君がいうなら、むろん、君は気がちがっている。別に聡明な第三者の判断をまつまでもなく君は気がちがっているに相違ない」とマグナッセンの言葉は冷然とした審判(さば)(しんぱん)きぶりであった。

「君はなんの信仰ももたないんだね。」

「無いとも、信仰は僕には用事がない。」

詩人は取りつく島もないような表情をしてしばらく押しだまっていた。

やがて彼はことの経過をこの冷然たる劇作家の前に説明し出した――「僕は交霊会になんべんも出席したことがある。ある時その交霊会でフランスの戦死軍人の霊魂がテーブルの脚へ憑って来た。そして僕はその霊魂と対話したんだ。君はそんなことはありそうにないといって笑うだろう。笑うのが君としては当然だ。しかし僕は嘘をいっているのではない。テーブルの脚は文字を綴って話すことができるんだ。われわれの周囲には多くの霊魂たちがとりまいている。われわれが今まで迷信だと思って(けな)していた事実はかえって迷信ではなくて、実在する真実であったのだ。」

「へえ!」とマグナッセンは、その唇に悪意のある微笑をたたえながら答えた「それは君のフランスへの崇拝がテーブルの脚にまで進出してその脚がフランス語を綴ったり、フランス軍人の真似をするんだろうぜ。馬鹿馬鹿しい。」

マグナッセンの嘲笑にもかかわらず詩人は変に落ち着いていた――

「すべてを嘲笑に付してしまうことはなんでもない。こんな事実は、誰にでも一見馬鹿馬鹿しい出来事だと思える事実だから。だけど君は聡明な頭をもっている。そして幸いにして科学者ではない。で、僕がここでその事実を実験してみせたら君はなんというだろう。」

無神無霊魂論者のマグナッセンの答えはあくまで冷然としていた――

「僕自身が気が狂ったと思うまでさ。が、そんな馬鹿らしい話は、止しにしようじゃないか。」

しかし詩人はますます熱心になった。「いやいっさいを嘲弄し去る君に対して、実際を見せることはぜひ必要だ。現実的な君が超自然的現象の実際あることを知るのは、君にとって大いに参考になると思う。ちょうどよい!あそこにテーブルがある。」

劇作家は笑い出した。「あれは僕の祖父のテーブルさ。あのテーブルがダンスでもすると君は思っているのだろうか。」

「やってみせよう」と詩人は立ち上がった。

マグナッセンは書きかけた自分の原稿をチラリと見た。しかしちょうど、筆が渋っていたところなので、彼は結局こんな邪魔が這入ったことを幸いに思いながら、

「じゃ、僕の祖父のテーブルが、ダンスするのを見せてもらおうかね。メヌエット踊りをやってもらいたいもんだ。」

が、詩人はまじめくさってマグナッセンの顔を見つめていった。「君が今思っているように僕も始めは思っていたんだ。しかし今に君もまったく別の光で心霊現象を考えるようになるよ。」

「僕は死者の霊が、そんな馬鹿な真似をするということを、いつまでたっても信ずることはできないだろうよ。君が人体電気とか人体磁気とかヒステリア的な性質を多分にもっていて、その力でテーブルが動き出したとしたって、ただちにフランスの戦死軍人の霊魂がやって来てテーブルを動かしたなどと信ずることは僕には絶対にできないんだ。」マグナッセンの言葉は依然として冷嘲を帯びていた。

詩人は、かまわずにテーブルを部屋の真ん中へ引っ張り出した。そして二人はテーブルを間に対坐して、二人とも両手をテーブルの上に置いた。

二人は待っていたテーブルは動かないで三十分間過ぎた。

「おい君、君のフランス人はやって来ないよ」とマグナッセンは馬鹿らしくなっていった。

「ちょっと待ちたまえ。」

詩人がこう答えるとまもなくテーブルは傾き始めた。

「君がワザと動かすんだろう。」

「スピリットだ、僕じゃない」と詩人は答えた。スピリットとは霊界へいっている人間の魂のことである。

マグナッセンはたしかめるように詩人の手に触ってみた。彼の手はテーブルに付いているけれども、軽く触っているだけで、どうして、この古い重いテーブルを動かせるはずがない。しかもテーブルは依然として動くのだ。

「これはたしかに妙だ。」

詩人は空を見つめながら、低い押し消したような声でいった。「誰かこの机に来ているのなら答えてください。」

テーブルの脚は答えるもののように、三回床を蹴って音を立てた。

二人は互いに目を見かわした。詩人の瞳は勝ち誇ったような光が漂っていた。がマグナッセンの瞳には、「何を馬鹿な!」というような意味の微笑が浮かんでいるにすぎなかった。

テーブルはこのときいよいよ激しく交互に前後に傾きつづけた。詩人は心霊学上の述語で人間がテーブルと談話をはじめる方法を戯曲家に説明しはじめた。――

それは、テーブルの脚の一本が床を打って音をたてる、その音の数を符号とするので、数いくつ床を打てば、それは何字の符号だというふうにあらかじめ定めておくのである。例えばDは四つFは五つというふうにである。またこちらから疑問を出した場合には、三回つづけてテーブルの脚が床を打てば「イエス」、一回だけ床を打てば「ノー」という答えだというようにきめるのであった。

詩人はテーブルに対してあたかも生きた霊がいるかのように、こうした通話の条件を交渉しはじめた。

戯曲家は興味ある眼でそれをみまもった。彼にはおもしろい戯曲だとも思われた。

誰方(どなた)かこのテーブルに来ているのですか。」

こう詩人は低い陰気な墓のかなたからでも来るような特別な声を出して()いた。

「そうだ」とテーブルは三つ続けさまに床を蹴った。

「どなたです。お名前をおっしゃっていただけませんか?」

コトコトコトと床の上に数をきざむ。そしてP四文字に達したとき、それは止った。

「P!……その次を綴ってください」と詩人はいった。

テーブルはまたコトコトとやり出した。そして今度はOの文字符号の数までいったときハタと止った。

かようにして綴り出された文字は

“Polu”

という字であった。それはフランスの戦死軍人という意味であった。

「ソレ、例のフランス軍人がやって来た。」

と詩人はいった。

戯曲家マグナッセンには馬鹿馬鹿しくなった。彼はもう自分の感情をおさえていることができなくなって、

「なんだ、馬鹿な!」と吐き出すようにいった。あまりに愚劣な事実だと、彼はその時思ったのだ。

詩人はマグナッセンが「馬鹿な!」、と吐き出すようにいったのも聞こえぬらしく、

「何か君、このフランス人に向かって話してみたまえ、フランス人だから、フランス語の方がよい」といった。

マグナッセンは吹き出すように笑い出した。詩人のこのいいかたが、信じられそうもない荒唐無稽なことを、あまりクソまじめ(ヽヽヽヽヽ)な調子でいったからだ。

「フランス語が要るものか」と、彼は嘲笑するようにいった。「このフランス人は死んでいてしかも生きている。すなわちパリにある墓をぬけ出してコペンハーゲンくんだりまでやって来て、この僕のじいさんの遺物たるテーブルの下へ這い込んで話をしようというくらいなら、きっとデンマーク語がしゃべれるだろう。そう、なんなとしゃべれ、フランス人君!」

「君は神を瀆す者だ」と、詩人はまだクソまじめだ。

この時テーブルの脚は「しかり」というように三つ続けさまに床を打った。

「それ見給え。このフランス人も同感だ。この霊にはたしかにデンマーク語が解るのだ。」

詩人はテーブルの方へ向かった。「何かわれわれに話したいことがあるんですか?」

「しかり」とテーブルはいってから、慎重な脚どりで「われわれは死んだ時に(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)生活に入る(ヽヽヽヽヽ)」と綴った。

「なかなかシャレをいうぞ。このフランス人」とマグナッセンは起ち上がりながらいった。。

「何かほかにいいたいことはありませんか?」と詩人はきいた。

「ない」とテーブルは答える。

「別に対話としておもしろい対話でもない」とマグナッセンは部屋の中をグルグル歩きまわりながら、

「われわれは二人とも大馬鹿者だぞ!事実は認める。しかし、君は僕が、祖父のテーブルと一緒にダンスしたなんて、誰にもしゃべってはならないぞ。なんて馬鹿馬鹿しいことだ!」

「なにも馬鹿馬鹿しいことはないじゃないか。それは確かに真理だ。死んだ時にわれわれは(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)生活に入る(ヽヽヽヽヽ)のだ(ヽヽ)。」

「もうもうごめんだ!」。マグナッセンはもうクシャクシャしてたまらなかった。「死んだらわれわれはテーブルの脚の中へ這い込んで生活するのか。けっこうな未来世だ!ほかのことなら僕は信じもしよう。しかしこればかりはあまり馬鹿馬鹿しいことではないか。」

「ではこの現象を君はどう説明しようとするのだい。」

「そんなことは知らないよ。科学にききたまえ。人体電気とか、人体磁気とか、潜在意識とかいうものだ。」

「いや交霊現象だ。スピリット(霊魂)が来ているのだ。」

マグナッセンは詩人の胸に思わず掴みかかりながら、

「もし霊魂がテーブルの脚に這い込んで、この昼日中に、フランス語を綴るのが本当なら、霊魂なんて人間と同じ程度に愚劣なものじゃないか。」

「なんだって、霊魂が人間と同じ程度に愚劣であってはならないという理由はないじゃないか。」

「大いにあるよ。僕が霊界で、アブラハムの胸に横たわって、せっかくしずかに安息の生活に入ろうと思っているところへ、君が神通力を出してやって来て、またまた馬鹿なフランス軍人の讃頌詩を朗吟したりでもしようものなら、僕の霊界の安息は破られてしまうからだ。アッハ、ハハハ……」

「誰か知らんや」と知人が語尾に幾分反語(アイロニー)らしいものを含ませていった。

マグナッセンは心から大きな声を出して笑った。しかし彼は自身がテーブルの上に軽く手を触れている時にテーブルが始めに動き出した時の感じを思い出すと不思議に堪えなかった。それは仕掛けがあるわけでもなければ手品でもなかった。彼はテーブルがある神秘な個性をもった力で動かされていたということを許さねばならなかった。しかしそれはたとい何かの問題を示しているにしても、重々しい真実というよりも喜劇的なものに彼には思われるのだった。もう一度実験してみようという気にもなった。

今度は二人が両手をテーブルの上に触れて一分間もたたないうちに、テーブルはグルリと一廻りした。恐ろしい力で床の上を軋り歩いたかと思うと、マグナッセンの膝の上にソッとその脚をもたせかけた。

マグナッセンはなんとも名状しがたい感じに襲われた。そして答えをうながすかのように詩人の方へ眼をやった。

「今度は君にも得心がゆくだろう」と詩人はいった。「何か重大な現象が起こりそうだ。」こういってから、彼はテーブルに向かって、

「どなたですか?」ときいた。

テーブルは一秒間躊躇した。が、少しもまちがいなしに、力強いその脚音で、マグナッセンの父の名を綴った。

この時、戯曲家は何か妙な感じがえり元にながれるのを感じて、椅子から立ち上がった。

「そんなことがあってたまるか。あまりにも恐ろしいことだ」と彼は考えた。

「なぜだか知らないが、自分はこの時すべての現象が、突然たまらないほどイヤな感じにみたされた」。とマグナッセンは告白している。――彼はフランス軍人の霊を取り扱っている間は、たんにナグサミとしてははなはだ軽く取り扱っていることができたのだったが、テーブルが突然自身の父の名を綴ると、それを承認することを喜ばないまじめな重苦しい感じにおそわれるのであった。

「君は馬鹿だ」と、マグナッセンは詩人にいったが、その声には確信がなかった。「父は十二年前に死んだのだ。それがどうしてここへやって来られるのだ。そんなことは信じられない。どうして君はそんなことが信じられるんだ。もう僕は僕自身をいつまでも愚弄しているには耐えないよ。」

こういったものの、彼はやはりまた椅子に腰をおろしてテーブルの表面に掌を軽く置いていた。恐ろしいものが見たかったのか。

テーブルはただちにまた脚で音を数えはじめた。音は正確で、ハッキリしていた。

「わしはお前の父だ。愛する子よ」とそれは綴った。

戯曲家は、えりあし(ヽヽヽヽ)に氷のように冷たいものが流れるのを感じた。彼はもうテーブルに当てていた手をのけたいと思った。しかし詩人はささやいた。

「何を君の父が君にいおうとするのか。しばらく待ってみたまえ。」

テーブルは、同じような力強い確かな叩音(タップ)で次のように綴り出した。

「わしはお前の父だ。知れ、愛する子よ、神は活在ましますのだ。さようなら。」

マグナッセンはしばらく言葉を出すことができなかった。彼の手は力なく膝の上に落ちた。彼はすぐに起ち上がることができなかった。彼はそれほど深く感動していた。

しかし彼は自身の心を引き立てた。

「まだまだ実験がたりない。あまりに気ちがいじみている。あの愛する、生きていた時には偉大な音楽家だった父が、テーブルの脚の中にしのび入っているとは、どうしても思われないではないか。どうも嘘だ。テーブルは神のことを書いたが、父は神を知らなかったのだ。」

彼は非常に興奮して床の上をあちこちいったりきたりした。しかし、詩人はじっと坐ったままこの劇作家の行動をながめていたが、やがていった。

「不思議な感じがしなかったかね。神秘な珍しい現象ではないか?」

「何を馬鹿馬鹿しい!」とマグナッセンは、乱暴な調子でいったが、その声の調子は冴えていなかった。彼は実際神秘な感じに打たれていたが、それを白状することが嫌であったのだったと、あとで自身で書いている。

「暗示の作用か、想像の作用か、潜在意識の作用さ」と、彼は別な科学的名称を用いて、自分の感じをごまかそうとしたのであった。

「ではきくが、」と詩人は、どこまでも落ち着いていた。「君は暗示に感応するような男だろうか。自己暗示に(とりこ)になるような男だろうか。君は事実をみとめているのだ。ただ信ずることができないだけだ。」

この友人の落ち着いた態度が、いっそうマグナッセンをいらいらさせた。

「いい加減にしてくれよ」と、彼は叫んだ。「君は十二年前に死んだ僕の父が、僕の側にうろついていて、テーブルの脚の中から話をすると僕に信じさせたいんだろう。が、それには何も必然性がないじゃないか。君は偶然僕のところへやって来て、偶然フランス軍人の霊の話をしたにすぎないじゃないか。」

「誰が、僕がここへ今日偶然来たといったのだ?」

が、マグナッセンは引き(ゆが)んだ笑いを浮かべた。「神が僕のところへ予言者を送りたまうのであったならば、気狂いのデンマーク詩人やフランス軍人なんて者より、もっと立派な使いをよこしただろうよ。もう帰ってくれたまえ、僕は一人きりになりたいんだ。あまりに馬鹿馬鹿しい」とズケズケいった。

詩人は肩をそびやかして起ちあがった。

マグナッセンは椅子に倒れるように腰をおろすと、グッタリ掛けたまま動かなかった。彼は自身の愚劣さに腹立たしく興奮していた。それだのに、どこかにスイートの甘い感激が彼の心の奥底に残っていた。彼はいつの間にか先刻テーブルが綴り出したところの、「わしはお前の父だ。知れ、愛する子よ、神は(〇〇)()()ましますのだ(〇〇〇〇〇〇)。さようなら」という言葉を思い出していた。

それから後の、これも十一月のある日だった。マグナッセンは原稿の束をとり出して仕事をまた始めにかかった。書きかけた劇の筋がどうも思わしくまとまらないので、彼は空しく書いたり消したりしていた。

彼の心には、先日友人がやって来て、自分に実験して見せた心霊現象のことが思い出された。それは実に奇怪な現象だと思った。しかし思い出せば、何よりも噛むように心に悔いられるのは羞ずかしさの感じであった。道を歩いているときでも、あの時のことを思い浮かべると、血が頭に昇って来て冷や汗が脇の下から流れ出る思いであった。彼にとっては父の記憶は実に聖いものであった。その愛する父についてテーブルと話を交えるために、馬鹿な気狂いの詩人と一緒にテーブルの上に手を差しのべていた自分自身を思い出すと、とても彼はたまらなかった。それにまた彼は自分自身が、あの際、実際神秘なものに触れたような妙な感じに打たれて、えり首のところへ冷水でもブッかけられたでもしたように感じたことを思い出すと、「なんたる馬鹿だ!」と穴へでも這入って身を隠したいくらいな思いがするのであった。

晩秋の太陽は空からにこやかな光を送っていた。下界のすべてはいかにも嬉しそうに輝いていたが、この劇作家だけは机にもたれたまま憂愁にとざされて顔をあげえなかった。彼はどう考えてみても超自然現象を信ずるために、この自身がテーブルにしがみついていたことを考えると、いかにも馬鹿馬鹿しい幼稚な批判力のない自分だと、みずからが省みられてくやしいのだった。

しかしこのくやしさも、はずかしい経験も、芸術家の小さな一つの挿話(エオイソード)として忘れてしまわねばならないと彼は心を引き立たした。そして打ち沈んだ気をはらすために、窓の外に輝く晩秋の太陽に彩られた空を見たのである。陽炎(かげろう)のような秋の光は生き生きと踊っていた。彼は少しく勇気をとりもどした。そしてペン軸を取り上げると、ペン(さき)を紙にあてがったまま窓の外の太陽と青空とをぼんやりと眺めていた。

と、彼には自身の指先を何者かが引くような不思議な力を感じた。彼は思わずシッカリとペン軸をにぎりしめた。しかし指先を引き摺ろうとするような不思議な感じは止まなかった。彼は思わずうつ向いて原稿紙をながめた。今度は痙攣するかのように、指先が自身の力でなしにペン軸を固く握った。

「書け、今!」と何者かが自身の指に命ずるような恰好(かっこう)であった。

しかし彼は思想がまとまらなかった。なおしばらく紙にペン(さき)を押しつけたままでいた。するとそろそろペン(さき)が紙面の上を自動的にすべり出した。妙な形が紙の上に描かれはじめたのである。

マグナッセンは驚いて、自分の意思を用いないで自動する自分の指先を見つめながら、この新しい神経的発作に自分でもあきれていた。彼はしばらくすればこの発作も沈静するだろうと思いながら、指の動きが自然に止むのを待っていたが、なかなか止みそうもなくて、指先を引っ張る不思議な力はいよいよ強くなり、指先に握ったペン尖はしばらくやたらに唐草模様のようなものを描いていたが、突然花文字でEと書いた。やがてペンは小文字のgという字を書く。次には、e、次にはd、次には再びe、するとペンはくるりと処をかえて大きな読みやすい筆跡で Egede(イージード) と自署したのであった。

マグナッセンはまたしても、えり首のところへ冷水をあびせられたような感じと共に、前額から冷汗の流れ出るのを感じた。

「これはなんだろう」と、彼はみずから呟いた「自分の手は Egede と書いたんだがイージードとはなんだろう。自分にはわからない。それは自分の頭のなかにはない何か(ヽヽ)だ。」

彼はこの時はじめて、心霊現象に名前だけは聞いていた自動書記 (automatic writing) という一種の現象を思い出して、微笑まずにはいられなかった。

「テーブルと一緒にダンスさえした俺じゃないか。自動書記もやりかねない」と、彼はつぶやいた。彼は当時近着の新聞によって、自分の愛読していた作家コナン・ドイル氏が、ある日書斎の机に向かっていると突然自動書記現象がはじまって、これによって霊界にいる人たちと通信をはじめたという記事を読んだことがあるのを思い出した。その時彼は霊界通信なんていうことを信じなかったけれども、ちょっと興味あることに思った。コナン・ドイルはいろいろ神秘的な物語を書いたから、そんな神秘的な現象を起こすのも彼らしいことだと思ったのだった。

マグナッセンはコナン・ドイルのことを思い出したので、いくぶん自尊の念を回復した。そして一時羞恥の念を忘れてしまった。実際、世界には賢者や偉人だといわれている人で心霊現象を起こす人があるからだ。

「この自動書記現象は興味ある実際現象であって、詩人の潜在意識の働きによって起こるものなのだろう。」

彼はこう解釈した。この解釈は彼にとって、最もみとめるに都合のよい解釈であったのだ。実際作家とか芸術家とかいうものは、潜在意識とかインスピレーションとかいって、ひそかに内部から彼に筆を推し進めさす神秘な力についての体験をもっているものであった。また、科学者などでも、昼のうちに一所懸命に考えても解釈のつかなかった難問が、夜中ふと目ざめると、その解釈が突然頭に思い浮かぶというようなことはザラにある。これは別に、超自然現象というものではなく、誰にでもある自然現象だと彼は思った。彼はまた、自身がホッフディング教授について大学で哲学を習ったときにも、このことは教えられたことを思い出した。

マグナッセンはこれを思い出すと、自動書記現象をもう潜在意識の作用にきめてしまった。それで彼はもうこの現象をはずかしいとは思わなかった。彼はペンにインキを含ませて紙にあてながら、現在意識の発見しない何事かを潜在意識が教えてくれるかもしれないと期待しながらみまもった。

マグナッセンの手はまたしても何者かに引きずられるかのように動き出した。それは彼にとって不思議な感じであった。それは彼が読んだ話に出て来る巫女などによくある無我または無意識の状態ではなかった。彼は普通の意識をもって、むしろムシャクシャ気持ちを苛立たせながら、すべてのことを明瞭に意識してるのだし、生理的には朝飯をうんとたべて間がないので、釈迦やキリストが修行のために断食したのちのようにふらふらした状態ではなかったのだ。

が、彼の手は容赦なくひとりでに動いて、「愛らしきイージード」と全然自分の意識になんの関係もないことを大文字に書くのだった。

マグナッセンの好奇心は高まった。彼は「愛らしきイージード」を見たことも聞いたこともなかった。ペンはこの次に何を書くだろうか?彼は紙に再びペンを押しつけた

手先は再び引きずられるかのように動いて、大きな読みやすい字で、

「わたしはイージードです。あなたを愛する者です」と書きあらわした。

マグナッセンはまたしても背中に冷水を浴びせられたように感じた。自分の踏んでいる大地が沈んでいくような気がした。

「誰だ。ここにいるのは?」と彼は本能的に言葉が出た。

「わたしはイージードです。ここにいます。あなたのお顔が見えています。わたしは愛しています」こう彼の手は書きつづけた。

彼は額から汗のにじみ出るのを感じながら、覚えずあたりを見廻した。

部屋にはむろん誰もそこにはいなかった。窓の外には太陽が街をあかあかと照らしていた。青空には悠々と雲が浮かんで、彼自身がしずかに机に向かっているほかに何もなかった。

マグナッセンは再びペンを紙に当てながら、われにもあらず囁いた。――

「イージードって誰です。僕は君を知っているか。」

ペンは書いた――「わたしはあなたのお友だちです。わたしはあなたを知っています。」「僕の方は君を知っているのかい」と彼は低音(こごえ)でいった。

ペンは書いた――「あなたはわたしをご存知じゃありません。わたしは愛らしいイージードです。わたしはあなたを愛する者です。」

マグナッセンはこんな現象にかかわっているのが羞ずかしいと感じはしたが、もう止めることができなかった。自分自身の書いた、妙な記述に気分をすっかり掻きみだされて烈しく問いかけた。

「君は一体誰なんだ。」

「子供です」とペンは書いた。

「幾歳の子供だ。」

「八歳です。」

マグナッセンは、一瞬唇に微笑をうかべた。それは神秘現象でもあれば、喜劇だとも思えるのだった。「潜在意識が不思議なことをするといっても、とても変なことを考えついたものだ」と彼は考えながら、

「君の親はなんというのだ」ときく。

「それはいえません」とペンは答える。

「いってくれないのかい。」

「いってはならないのです。わたしは愛らしいイージード、愛らしいイージードです。」

「いつ君は死んだのだい。」

「それはいえません。」

「何かほかにもっといいたいことがあるかい。」

「ええ。」

「いってごらん。」

「わたしは愛らしいイージード。愛らしいイージードよ。」

こう書いてイージードは去ってしまった。もう彼のペンは死んだように動かなかった。マグナッセンは椅子に背をぐったりもたせかけながら考えた。

「いよいよ自分は気狂いになったのかな。気狂いでないにしても少なくとも神経病だ。」

彼は部屋の中をぐるりと一ぺん見廻した。それからまた起ち上がると、床の上をアチコチ二、三回往復する。鏡をのぞき込む。窓を開けて外を眺める。また閉める。椅子に掛ける。起ち上がる。それから彼は自分の両手を頭にあげてまた考えてみるのだった。

彼はそうしているうちに、しだいに心が落ち着いてきた。彼は「イージード」と幾回も自分のペンが書いた時の手の動きかたが、全然自分の書くときとは異っていたことを思い出した。どうもそれは潜在意識にしても変なところがあるように思われた。

「も一度書いてみよう。」こう彼は、今度は子供が新しい玩具にたわむれる時のような、好奇心と歓びとでペンをとって紙にあてた。

ペンは再びしずかに紙の上を滑る。そして、きわめてていねいな書体で「イージード」と再び書くのだ。

「小さきイージードさん。何か僕にいいたいことはありませんか。」

と彼はいくぶんやはり馬鹿げて恥ずかしかったが、きわめて親しい気持ちを経験しながら問うのだった。

「愛らしきイージードさん」こうペンは書いたまま動かなくなった。マグナッセンは期待を裏切られたような不快を感じた。

しかししばらくすると、彼は指先が前よりも強い力で引きずられるのを感じた。ペンは大きく動いて速力を増すかと思うと、そこには「父」という字が描き出された。

彼の手はとまった。ぐっと首根っこを突かれるような感じで彼は前こごみになった。

「肩に力を入れたからだ」と彼は思った。と、ペンはその瞬間また動いて、

「わたしは父だ。お前の父だ。わたしは生きていて、お前を見ることができている。愛する子よ、わたしは生きている」と書いた。

首根っ子にかかっていた重味が一時に軽くなったように感じると、ペンは動かなくなった。

マグナッセンは、深い深い吐息を続けさまにした。彼は理屈を考えているような余裕はなかった。彼は突然またある衝動にかられながらペンを原稿紙に押しあてた。一つ深い吐息をすると、彼は首根っ子にまた押し付けられるような重みを感じた。ペンはまた何か書き始めた。

「わたしはお前の父だ」と、ペンは自動して書くのだ。「わたしはここにいる。わたしは生きている。お前はわたしの若いときの筆跡を知っているはずだ。誰もこの筆跡は真似ることはできない。書いているのはわたしだ。お前はわたしの愛する子だ。わたしは生きている――そして永遠に死を知らない――このことをわたしはお前に知らせるためにやって来たのだ。お前も死ぬということは無い、誰も本当は死にはしないのだ。わが愛する子よ。わたしはたくさん書きたいことがある。しかしお前はまだそれに耐えないだろう。考えることを止めてわたしの言葉に傾聴せよ。わたしがお前に話そうとすることは、すばらしい輝く真理だ。わたしは生きている。お前も決して死ぬことはない。お前が死んだときそれは新しい生命に入るのだ。誰も死なない。そして永遠に生きて神を見うる「生」に入るのだ。――

「わが子よ、わが愛する子よ。わたしは、稲妻のように空間を天(かけ)って、お前の許へやって来て、お前の首根っ子のところに今いるのだ。そしてお前とともに書いているのだ!神は生きていますのだ!わが親愛なる子よ、わが子よ、わたしは稲妻のように空間を天翔ってお前の耳許へ来て、お前の思想に人間が死なないという真理を囁き込むのだ。――

「このためにわたしは、今日お前のところへやって来たのだ。すべてこれらの奇妙な今日起こった出来事をお前は今みとめている。この現象が何を意味するか、お前はやがて真理を知るだろう。わたしはやがて、それをお前に語るときが来る。わが生涯の最も善き友であったわが子よ、わがいとし子よ。お前に話しかけているのはお前の父だよ。お前の手をもって書いているのはお前の父だよ。お前の目は今涙ぐんで来た。心臓がふるえている。わがいとし子よ、わたしに微笑みの顔を見せておくれ。わたしは今幸福感のうちに去ろうとするのだ。またお前のところへ帰って来るよ。しかし、今はこれ以上はお前の肉体の精力が耐えきれない。またやって来るよ。われわれは決して別れてしまうということはないのだ。わが子よなんじの父はもう()くよ、お前の微笑みの顔を見せよ。さようなら。」

こう書くとペンはマグナッセンの指からすべり落ちた。寂寞(せきばく)が部屋一ぱいに満ちているように思われた、と彼はその時のことを回想していっている。

彼は目の前に自身の手で書いた父の手紙、しかも小さな特徴まで寸分生前の父とはちがわない、父そのままの筆跡の手紙が机の上に置かれていた。彼は手紙をとりあげてしらべでもするように注意深く看まもった。

やがて彼はそれを繰り返し読んだ。繰り返し繰り返しているうちに彼は泣けてきた。

「自分の心臓はいつにない懐かしさにつつまれて(ふる)えていた」と、彼はその時の感情を説明している。「ああこの手紙、十二年前に死んだ父から受け取った手紙!」

それは実に信じられない不思議な事実であったが、事実は事実と認めるのほかはなかった。彼は事実を見た、手で触った。事実!しかし彼はまだ信じなかった。

マグナッセンは、目の前に自分の手そのものが書いた霊界の父からの手紙、誰も真似ることのできない寸分違わぬ、父自身の特徴ある筆跡の手紙を繰り返し読んでいると、なんとなきなつかしさがこみ上げてきて一時は泣けてきたが、しだいに自己をとり戻してくるにつれて、批判的な反省心が起こって来た。彼はその現象に、どうしても確然たる解釈を下すことができないのでまた憂鬱に押しつぶれそうになった。

彼は、父そのままの筆跡で手紙を書いた自分の手の自動作用が、覚めている自分の作用でも、いわゆる、潜在意識でもないことをみとめていた。彼は自身の手を自動的に動かして書くべく強いているところのものが一種の神秘的な力であることをみとめてはいた。それは彼にはハッキリわかっていたのだった。ほかに説明のしようが彼にはなかった。「自分は机に向かって静かに坐っていたのだった。心はハッキリしていた。それどころか、神秘的だとか超自然的だとかの説明を避けることができるところの、自己欺瞞とか自己暗示とかの要素が少しでもあれば、それをつかまえて、トッチメてやろうとさえ用意していたのだ」と彼は後に告白している。しかし彼はどうもこれを神秘力と信じたくなかった。また信じることができなかった。すべての事実は信じうるにしてはあまりに奇怪な信じがたきもののように思われた。彼はこの奇怪な現象に、納得のできるような自然的な説明を与えることが絶対に不可能であることを感じながら、まずは憂鬱な気分にとざされるのであった。

彼のこの憂鬱な気分は、「父より」と称して彼の手自身が書きつづった手紙にあらわれている、厳かな神聖な感じには心打たれずにはいられなかったにもかかわらず、それに対して本当に信ずることができないという矛盾からきていた。この現象をいかに説明する道があるのであろう。彼はどうしても科学的な解釈が欲しかったのだ。

しかし、それは無駄であった。説明のしようがもしあれば、それは彼自身が気狂いになって幻覚を見ているとでもいうほかはなかった。しかし狂人であれば、自分の狂乱状態についてこうしていろいろと反省したり詮索したりするはずはないではないかと彼はまた考えずにはいられなかった。

「では自分が狂人でないとしたら、この現象は一体どう解釈するものだろうか?この現象の真実性を信ずるほかはないのではないか」とまた彼は考えるのであった。「父は死んだのちも存続(ながら)(そんぞく)えている、そして自分のところへ来て自分の手をつかって自分への手紙を書いたんだ」と。しかしそれを信ずれば、彼の父の霊魂がテーブルの脚に宿って彼に話しかけたということをも信ぜねばならなかった。それは彼の父についての神聖な記憶を汚すかのように思われるのであった。……こんな苦悶と反省と疑惑の日が幾日かつづいた。

それから後のある日、彼は数日の疑惑と苦悶とから起ち上がった。仕事をはじめねばならぬ。この考えは彼を勇気づけた。彼は先日までせっかく第五幕を書き続けていた戯曲を完成せしめようとして例のテーブルに向かってペンをとった。しかし彼はペンをとると不思議に何も書けなかった。妙な倦怠感が彼を襲って、ペンをとるまでの勇気や高揚した気持がすっかり消えてしまった。急に目に睡む気が来たように瞬いてあくびが出た。なぜこんなに仕事に気乗りがしないのであろうか。ただの一分間でも惜しいほどに仕事が急がれるこの芝居の上演季節に、もう数日を無駄に過ごして来たことが彼にはまたとなく惜しく思われた。

彼は気を引き立ててまたペンをとった。ペンが紙の上に行くとまた彼の手に妙なある操る力が外から加わった。彼には誰かが来て自分の頸ねっこを引っつかんだようにも思われた。と、彼をとらえていた倦怠の感が急に消えた。前の日の時のような緊張が心によみがえってくるのを覚えた。彼のペンはいやでも応でも無理強いに彼の手を動かして次のようにしたためた。――

「愛するわが子よ。

「わしはまた来たよ。お前はしばらく休養してまた勇気を回復した。お前の疑いも、もうほとんど全部なくなったようだ。お前はこのわしというものをたんに神経作用だとも、とるにたらぬ詰まらない一時的現象だとも思わなくなったようだ。しかしねえお前、お前はわしを誤解している。わしはお前の父だよ。お前の父がお前の頸のぼんのくぼ(ヽヽヽヽヽ)のところに作用してお前の手にペンをぐっと握らせているのだ。どうだわかるか、このわしの力がわかるか。このペンを押しつけて弾きかえす音を聞け。お前はお前だけでこんな書き方ができると思うか。お前の潜在意識にこんなことができると思うか、なんでもよい、ほかの機械的動力でこんなことができると思うか?――

「否々、わが子よ。わしはお前の父なのだ。わしはお前の手の中に座を占めている。わしは十二年前と同様に、この世に生きていたときのように強健で真実な存在だよ。お前はいま大きく目を見ひらいて、部屋の周囲を凝視している。それだのにお前の手はこの手紙を書いておる。お前は頸と手の指とに強い痛みを感じている。どうだ、お前がわしを信じないならばわしの力を見せようか。ほら、こんなに文字が太く書け出してきた。お前の腕は重いだろう。これがわかるか、ねえお前。」

ここまで書いてきたとき、マグナッセンの握っているペン軸がぽきりと折れてしまった。マグナッセンは仰天して魂もそぞろだった。彼は生まれて以来のはじめての経験にぶっつかったのだった。この現象は真実で疑いようがなかった。彼の膝はおののき、冷たい風がえり元から背筋へながれ込むように思われた。彼はそれでも別のペン軸をとり出して、それを手にした。ペンが紙に触れるとそれは次のように書き出した。

「どうだわかったろう!わしは、お前の握っているペン軸を折ってみせた。もしお前がわしをそれでも信じないならば、こんなことぐらいは三番叟だ。しかし、お前は信じている。わしはお前の心の恐怖を見た。お前の背筋から流れ込む戦慄をも見た。わたしはお前にただわしの力を見せればそれで足りたのだ。ねえわが子よ、わしは部屋の中をほっつきあるいてテーブルの脚を持ち上げ、自分の子供の腕の中で泣きくずれるようなセンチメンタルなガス体ではないんだよ。わしは霊だ。有力な霊だ。わしはお前の父の霊だ。しかしこの世にいたときにお前が懐かしがっていたお前の父という肉体にやどっていたころのあの繊弱(かよわ)(せんじゃく)い霊魂だったときとは、千倍も偉大な、千倍も強力な霊魂になっている。

「わしはお前のデスクを粉砕し、お前のテーブルを、木っ端微塵にしてしまうこともできるのだ。わしを、救いをもとめて地上の親戚知己の周囲を、悲しげに飛びまわるべく来た弱い霊魂だと思うのは滑稽だ。それは見当違いだ。お前が想像したり空想したところとはすっかり異うぞ。わしがお前へ来たのはこの事実についての奥義を語らんがためなのだ。

「こういえば、ほかの人間に語ってはならない霊界の神秘を話してくれると、お前は信じているようだ。ねえ、そうだろう。わたしはお前の考えを読むことができるのだ。お前は霊に質してたずねるにはおよばない。なぜって霊はお前自身の考えをお前が意識するよりも前に知っているからだ。わしは少しも霊界の秘密についてはお前に漏らすことはできない。またどんな霊でも人間には霊界の秘密を漏らすものではないのだ。また人間に話してやっても霊界の秘密を理解するものではないのだ。人間の頭脳ではその神秘はわかるものではないのだ。

「だがお前の手にお前自身のものでない一つの力を現に感じている。そしてこの刹那、お前はそれがわしだということを知っている。わしは声でもありありと聞こえそうなほどのしっかりした素材で、しかも大文字で書いている。わしはお前のペンを通じて話すのだ。わしの書き方があまりに早いのでペンが紙に引っかかる。お前はこの奇跡をただあきれて諦視(ていし)している。

「わが愛する子よ。わしはお前の父である。わしがお前を訪れるのは、地上に残した愛する子供に別れを惜しんで嘆くために来るのではないのである。またお前の方がこの父を求めているから来たのでもないのである。なぜって、お前にはわしは必要でないからだ。わしがお前を愛するのは、わしがお前の父であるのと、わしが霊であるからだ。わしがおまえと別れていても嘆かないのは、わしはいつでもお前の魂のうちに、お前の思想のうちに自由に這入り込むことができるからだ。わしはお前の心のどんな奥底の秘密でも知っている。お前の生涯中一度でもお前の心をかすめた考えならわしの知らないものは一つもないのだ。かくのごとき霊妙な性能をもっているのが霊の本性である。それをわしはお前に教えずにはいられないのだ。まだまだ教えることがたくさんある。お前はふつうの人々よりも多く真理を知るようになるだろう。わしはお前がわしの思想で考え、わしの思想で書くことができるように教えるつもりだ。

「このまえ、お前のところへ来たときに、わしは稲妻のように空中を飛来して、お前の思想の中に坐し、お前の手をもって書かしめているといったね。あれは本当だ。それは人間の霊魂の一種の特性であって、数百万マイルを一秒のうちに飛来し、その同じ秒のうちにもとの座に帰ることができるのだ。わしは東京にいるかわいい芸者の頬をちょいと撫でておいて、次の一秒の後にお前の祖父のテーブルの脚のところへ来て音をたてることもできるのだ。こういえばいかにも神秘めかしく聞こえるでもあろうが、同時に興味深くもお前は思っている。お前の唇に微笑みがのぼったのをわしは見ている。真理は荘厳にしてまた愚かしきものである――しかしこれは真理だ。この事柄について、わしはお前が今まで夢想だにしたことのないことをお前に教える。人間の霊は永遠である。霊は時間と空間とを超越している。霊はこの世の肉体を捨てて永遠の世界に移され、そこにて神をまのあたりに見るのである。お前はまだ理解しえないにしても、今このことを知らなければならぬ。なぜならわれらは皆逝かねばならぬからだ。これは始めであり、終わりである。わが子よ、神は実在する。そして人間の霊は永遠で神聖であるのだ。

「今日は、わしは大分お前の頭をこんがらかせたが、それでも、わしはわしの知っていることの百万分の一も話していないのだ。わしが話したあとでゆっくり考え直してみるがよい。お前はお前自身を気が狂ったと思うだろう。しかし明日までにわしはわしの力の証拠を見せよう。お前は今まで夢想だもしなかった。いな、夢想だもできなかったたましいのおののきと歓びとを感ずるだろう。

「この手紙を終わるに先だって、なぜわしがお前のところへ来たか、なぜお前の心を用意しておくために祖父のテーブルの脚を動かしてフランスの戦死軍人と名乗ってあらわれて以来、なかば馬鹿げた神秘現象をあらわしたか話しておきたいと思う。あれはわしであったのだ。本当にあれはわしであったのだ。霊はテーブルの脚にでも作用することができる。やがてその理由と方法とをお前はしるときが来るであろう。

「わしは今お前の父として来、お前の父としてお前の頸のぼんのくぼ(ヽヽヽヽヽ)を引っつかんでいる。それはお前の感ずるとおりだ。わしはデスクに向かったお前を支配し、書けとお前に命じたのだ。しかしわが子よ。わしは子供に執着して地上を訪れたごときセンチメンタルな霊ではないのだ。わしが来たのはお前を人間にするためなのだ。今よりのち(〇〇〇〇〇)お前はわしがなせよと命ずる(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)ことのほか何もできない(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)今よりのち(〇〇〇〇〇)お前はわしのものである(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)お前はわしに従うほかはないのだ(〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)。……

「わが愛する子よ、わしがお前に語ろうとするところのものを聞け。わしは死んではいないのだ。わしは霊界に生きている。そして神をまのあたり見たんだよ。いま、お前の父は人の霊魂と神とについての真理を語るために来たのだ。わが愛する子よ。お前はわしの語る不思議な怪奇な驚異すべき事実の意味をつかんだであろうか。お前の父は許されてお前のところに来り、お前のハートに対して呼びかける。この愚かなる父は、地上にながらえている間は生命の本質を知らなかった。それで今許しを得て、自分が生前にわが愛子に教えることができなかったものをお前に教えるためにここに来たのだ。小さき、心狂えるこの音楽家たりし父は、今お前のハートに対して呼びかける。そして神の祝福の微笑(〇〇〇〇〇〇〇)について話すことを許されたのだ。

「そうだ、わが子よ。この言葉は全世界に新時代を画すべき言葉だろう。神の祝福の微笑(〇〇〇〇〇〇〇)!この言葉は人々をして歓喜の涙に泣き濡れた眼をあげしめ合掌を天に向けて、新しい曙の光――神の祝福の微笑み――を拝ましめる言葉なのだ。わが親しき愛する子よ、地上におけるわがすべてよ、今、お前の目は涙にぬれている。泣け、わが愛子、神はお前のハートの中で微笑したまうであろう。人の聖涙は神の微笑だよ。

「わが語るところを聞け、わが子よ。なんじのハートを歓びでおののかし、行きてお前の老母にキスを与えよ。彼女の子は神の祝福の微笑みについて学びつつあるのだ。なんじの兄弟と妹とを抱いて喜べ。なぜなら、父は神の祝福の微笑みについて人類に教えるためにお前のところに訪れたからだ。

「いまお前は泣いている。お前のハートは波打っている。わしはそれを見、それを知る。泣けわが愛子よ、そしてわしに対して朗らかに笑え。お前のハートをおののかせよ。なぜならいまこの時間はお前の生涯の日のうちで最も偉大なる日であるからだ。

「いま、わしは去ろうとしている。わしが去ったあとで、お前は疑うであろう。そしてまた例の憂鬱がお前をとらえるであろう。しかし今よりのちのお前は、根本において幸福をうしなうことはないのだ。お前は疑うのも無理はない。生涯にはじめて経験したこの神秘な事実は、なかなか理解しにくいことであるからだ。しかしお前は今日を忘れることはできないであろう。わしが神の聖なる微笑みについてお前に語ったときに、お前のハートの底でお前が感じたその聖悦を忘れることができないであろう。『神の祝福の微笑み』――こうお前のハートがお前のうちで囁くとき、お前の眼は歓びにまどろみ、いうにいえない聖悦でおののくであろう。人間の眼が聖悦でまどろむとき、神は彼らに対して祝福の微笑みを投げかけたまう。

では、今こそさようならだ。

お前の父より」