日常の話です。
先日おススメしたブーブーざっくり解説の更新がありました、囚人のジレンマという動画です。
詳しい説明は動画を見ていただくのがわかりやすいのでざっくり言いますと、捕まった人間が仲間を裏切って自白するか黙秘するかどちらが得か?という話です。
二人とも黙秘なら各人懲役二年
一人が自白、一人が黙秘なら自白した方は釈放、黙秘の方が懲役十年、
二人とも自白なら各人懲役五年
さてどうするか?という話です。相手が裏切る可能性を恐れ、また釈放になる可能性もあるため、多くは二人とも自白の懲役五年となるようです。
この冷静に見れば二人にとって最悪の結果なのに自分の利益を考えて選んでしまう行為をナッシュ均衡(きんこう)というそうです。
一番二人にとって得である、計算上の一番良い選択をパレート最適というそうです。
この本来ならパレート最適を選ぶべきなのにナッシュ均衡となってしまうジレンマ。
これは私が人間が不完全だと常々思っていることの根元にあるものと同じなのではないかと考えました。
人間はこれだけ頭がいいのに、最高の幸せをいつまでも見つけられない不思議な生き物です。
すべての人が各職業において最高の生産性を目指して働き、その利益を全体のものとして回収して均等に分配することが出来れば、最高の利益率になります。共産主義ですが、これが成り立たないのは歴史が証明しています。
必ずサボる人が出るのです。そしてそれを取り締まらなければいけなくなり、恐怖政治となる。
サボらなければいいんです。でもサボる。頭では懲役二年が二人にとって最適とわかっていても、もしかしたら無罪になるかもと思い裏切るナッシュ均衡となる。
大昔の北京原人というのは、今の私たちの先祖ではないらしいのですが、脳の容量は当時の私たちの先祖よりよっぽど大きかったらしいです。ですが絶滅した。一説には私たちの先祖の方が好戦的で攻撃的だったので攻め滅ぼしたという話があります。
人間はもう少し頭が良くなれば全人類にとっての最適解を選べるようになるのかも、と思っていました。
ですが私たちは元々、人を攻撃して相手の取り分を減らし、少しでも得をしたいという生き物だったのかも知れません。
根元がそこなので、どれだけ進化したように見えても北京原人にはなれないのかも知れません。
なんだか未来のない話になってしまいましたが、それでもパレート最適というものを考えていくことは無駄ではないと思いたい。
まずは何が最善かを見極め、それを我慢で実行できるようになりたいと思うし、なることを目指し続けていきたいと思います。
それこそが幸せへの道につながるのではないでしょうか。
なんか宗教の勧誘のようになりましたw