大和郡山といえば金魚ですね

大和郡山の金魚養殖は、幕末に下級武士の内職的なものに始まり、明治になって周辺農家が加わり大量生産時代を迎えたという。そして戦後のピーク時(昭和40年代)には全国の6割を占めたことがあるが、今は他産地の台頭や需要源で縮小傾向のようだ

こ難しい話はさておき、ここのところ自然や風景の投稿多めなので、今日は、城下町の面影残る大和郡山の街角ウォッチャーのレポートである
































金魚すくいには否定的である。いきものをなぐさみにしたらあかんやろという考えからだ
ところがある時、金魚すくい好きの知人に誘われやってみたらおもしろかった。その知人が好きだったせいかも知れない


おしまい