墳活・黒姫山古墳 | ふるさとの四季を歩く〜マサの写真ブログ

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黒姫山古墳⬇️
 
 
「黒姫山」といえば、長野県の信濃富士・黒姫山を思い浮かべますが、ここは大阪府堺市にある黒姫山(古墳)です。
 

 

以下、説明板からの引用になります。

 

「東西114m、高さ11m強の墳丘をもつ西面の前方後円墳で、墳丘の濠と周庭帯(古墳を立派に見せるための区画)がとりまいています。古墳が造られた時は、墳丘の斜面には人間の頭大の河原石が敷きつめられており、二段になった平坦面には褐色の埴輪が一定の間隔で立て並べられていました。

遠くからは白い石の山に立て並べられた埴輪の赤い色が美しいコントラストを描いて見えたでしょう。」

 

 

「後円部の埋葬施設は昔に盗掘に会って破壊されていましたが、偶然に、前方部から竪穴式石室が発見され、昭和22年に故末永雅雄博士らの手により発掘調査が実施され、その結果、24領分の〔よろい〕・〔かぶと〕と、多数の鉄製武器が出土しました。(中略)」

 

 

「このように多量の〔よろい〕・〔かぶと〕と共に埋葬された人物は一体誰なのでしょうか。きめ手になる証拠がないだけに推測するしかありませんがこの辺りに勢力をもっていた丹比氏という豪族の首長であっただろうと考えられています。」

 

 

いま地図を鳥瞰して、黒姫山古墳が百舌鳥古墳群(仁徳天皇陵古墳)と古市古墳群(応神天皇陵古墳)の中間に位置していることに気付きました。

 

 

さらに黒姫山古墳の南に狭山池(日本一古いため池)があり、そこから流下する西除川と東除川に挟まれてもいます。

 

 

被葬者や当時の社会情勢のことなどわからないことはわからないとしつつも、その行間を補って5世紀の大阪平野の有り様を、自分なりにダイナミックに想像すれば、とてもワクワクします。それは研究者ではなく市井の考古学ファンの醍醐味です。創作やねじ曲げはアカンでしょうが。事実には素直に(笑)

 

 

これからも列島各地にあるいろいろな古墳を、実際に現地を歩いて見て回ろうと思います。

 

 
 
 
おしまい