泉旻藏(いずみいくぞう)のブログ

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韓国国定歴史教科書は、本来は初学者のための韓国史入門の役割を果たすべき社会的役割をもっているはずである。


しかし、読んでみてわかることだが、全体的に歴史の流れがつかみづらく、とくに古代史は流れがつかみづらい。それには理由がいくつかありそうだが、ひとつには時代区分が整理されていないためであろう。


ひとつの流れとしては、旧石器時代→新石器時代→青銅器時代→鉄器時代、という考古学的時代区分が一応採用されており、それぞれ、

*旧石器時代…約70万年前から

*新石器時代…氷河期の終わるころから(紀元前6000年頃から)

*青銅器時代…遼東半島では紀元前10世紀から、朝鮮半島では紀元前7世紀から

*鉄器時代…紀元前4世紀から

ということになっている。


それと並行して、文献からくる時代区分があり、それによれば、古朝鮮時代→三国時代→統一新羅時代・南北国時代、という流れになっている。


「古朝鮮時代」に関しては、韓国史では13世紀の檀君説話を「歴史的事実」として採用しているところから、紀元前2333年から開始することとなっている。そこから紀元前108年までの2225年間を「古朝鮮時代」と位置づけているようだ。ところが、「檀君神話は長い歳月を経て伝承され記録に残されたものである。…しかしこの記録は青銅器文化を背景にした古朝鮮の成立という歴史的事実を反映しているのである」という記述があるところから、考古学的時代区分とはうまく整合しないのである。考古学的には「新石器時代」に属するはずだが、「青銅器文化を背景にした」ことになっているわけである。そこは、誰がみても支離滅裂な状況にある。


古朝鮮時代は、一応次の3つの時代に分かれるようである。

*檀君朝鮮…紀元前2333年から紀元前12世紀ころまで、または紀元前194年まで

*(箕子朝鮮…紀元前12世紀ころから紀元前194年まで)

*衛氏朝鮮…紀元前194年から紀元前108年まで


ここには神様もおり、中国人もいて、実のところ「古朝鮮」などと一括できるものなのかという疑問は生ずるのだが、そのあとの「三国時代」への移行も実はよくわからない。「ただ、何となく、いつの間にか三国時代になってしまっている」という印象を受けるのである。


というのも、紀元前108年に漢の武帝が衛満の朝鮮国を滅ぼして楽浪郡等を設置したことをきちんと教えていないからである。


つまり、「古朝鮮が滅亡すると、漢は古朝鮮の一部地域に郡県を設置し支配しようとしたが、地域土着民の強力な反発にあう。しかしその勢力もやがて衰退し、高句麗の攻撃を受け消滅してしまう(313)」とあるように、紀元前108年から紀元後313年までの約420年間を一文で済ませてしまっているからである。ここは、いわば「歴史の空白」になっている。


通常、三国時代のはじまりは、高句麗によって楽浪郡の滅ぼされた313年から、中国の史書に初めて百済・新羅が登場する346年・356年あたりまで、すなわち4世紀前半に求められるであろう。ただし、この時代にあっても高句麗の本拠は中国の丸都城にあるわけだから、いまだ朝鮮半島の政権とはいえない。高句麗の平壌遷都すなわち427年から、朝鮮史における本格的な三国時代が開始したとはいえそうである。とはいえ、この時点でもまだ半島南端の伽耶諸国(任那)があり、済州島も依然「耽羅」という独立国なのである。いわゆる「三国の抗争」は伽耶滅亡の562年以降に激化し、耽羅は新羅一統時代を通じて独立を保つ。この複雑な時代を「三国時代」の名で呼称することは、本来的には困難さをともなうものと考えられる。「五国時代」とか、「四国時代」と称しても間違いではあるまい。伽耶と耽羅は、初めから「三国」から除外されているわけであるが、果たしてそれでよいのだろうか。


とりあえず、旧来の言い習わされた呼称である「三国時代」を採用するとして、以上述べたような事象を正確に説明していくためにも、三国時代のはじまり(4世紀前半)については、明確に記しておかなければならないはずである。しかし、例の「歴史の空白」のために313年以前についても、しばしば「三国時代」と拡張解釈されることが多いのである。これは、魏志韓伝などにみえる小国分立の状況と矛盾する。したがって、「歴史の空白」の時期に関しては「楽浪郡時代」あるいは「楽浪三韓時代」「小国分立時代」といった、きちんとした時代名称をあたえるべきではないだろうか。4世紀前半を境にして、半島は激動期に入るわけである。