再び、文化伝播論について。以下は、中学校用の国史教科書。
三国(百済、高句麗、新羅)は、互いに対立し競争する中で活発に文化を交流させた。中国とも交流しつつ独自の美術を発展させる一方で、海を渡って日本に文化を伝え、彼らの文化の基礎を固めた。百済では阿直岐(あじつき)と王仁(わんいん)が日本に渡って儒学を教え、段楊爾(たんやんい)、高安茂(こうあんむ)らも学問を教えた。聖王の時代には仏教を伝えてやり、百済と高句麗の僧侶も多数、日本の仏教界を指導した。儒学や仏教以外にも、美術、音楽、歴史、医学や農業などさまざまな技術を教えた。ことに曇徴(たむじん)は紙、筆、墨、硯(すずり)の作り方を初めて日本人に伝え、法隆寺の壁画も残した。日本が飛鳥文化を興し、古代王朝へと発展することができたのは、三国の文化が伝えられたからである。
細かい点で間違いが多いのは以前指摘した通りだが、結局は「海を渡って日本に文化を伝え、彼らの文化の基礎を固めた」の部分、そして最後の一文「日本が飛鳥文化を興し、古代王朝へと発展することができたのは、三国の文化が伝えられたからである」と言いたいのである。これが、日本人にとってはひじょうに不快な代物であることは言うまでもない。ここで言及されているのは、韓国史の話題ではなく、むしろ日本史、それも「貶められた日本史」の話題になっていることも指摘した。もっと言えば、歴史教育ではなくてむしろ韓国優位の政治宣伝にすぎないものである。
日本人としては、縄文文化や弥生文化もまた愛着をもって語る「われわれの歴史」であって、心底誇らしいものである。「誇り」というのは、結局「われわれにつながっている感覚」であろう。ことに、採集段階にあって世界に例をみない高度な建築や日本列島という自然環境をフルに利用した生活、土器装飾や土偶にみる美的センスの前衛性など、縄文文化の豊かさは現代日本人を魅了する。金属を知らない時代ではあるが、しかし、それゆえにこそ原日本人の素晴らしさが光るのである。
こういう感覚は、もしかしたら韓国人はわからないかもしれない。何せ、「半万年前から自前の国家がある」「殷の時代以前から金属器を知っていた」という虚偽の記載が誇りなのであるから。もし5000年前から大帝国があったなら、確かに「スゴイ」のかもしれないが、それを「誇り」と思う感覚はよく理解できないのである。そんなものは、現代の韓国人の生活には何らつながっていないのではないかという気がするのである。
道具に改良を重ねてきた旧石器時代や縄文時代があるからこそ現代生活があるというふうに、われわれは考える。外国人からみれば決して「偉大」ではないかもしれないが、日本人からみれば「われわれの歴史」なのである。何もことさら飛鳥文化だけが素晴らしいのではない。旧石器時代や縄文時代は確かに文字のなかった時代ではあるが、そこにおける高度な知恵の数々はわれわれに多くの啓示をあたえるものである、われわれの先祖でもあり、日本列島の住人としては大先輩にあたる縄文人のライフスタイルには今もって学ぶことが多い。韓国人の文化伝播論(文化施恵論)では、ことさら旧石器・縄文・弥生のわれわれにつながる文化そのものが馬鹿にされた気持ちになるのである。
日本人からすれば、そもそも「三国文化」は韓国文化なのかという発想がある。これらはどうみたって中国文化なのではないだろうか。「中国とも交流しつつ独自の美術を発展させる」とあるが、それは楽浪郡・帯方郡があって、直接中国から支配されたからではないかと思うわけである。そして、それを「独自」というなら、どう独自なのかを具体的に書かないと到底「三国文化」などとは言えないわけである。
韓国史としては、本来的には「三国文化」(そんなものがあると仮定しての話だが)の三国のそれぞれの特徴がどのように統一新羅の文化に継承されたかを描写していかなくてはならないはずだが、そこについては研究が進んでいないらしく、教科書にはそこは何ら言及されていない。文化というものは、日本人にとっては他の影響も受けながら連綿とつづくものだが、韓国人にとってはその時代その時代ごとの突発的なできごとであり、また、他者に対して自慢するもののようである。そういう発想が、裏付けのない、馬鹿げたウリジナル史観につながるのであろう。
結局のところ、「三国文化」もまた現代の韓国文化や韓国人の生活とは全然つながっていないのではないかと思われるのである。