目の前に広がるは、雲と森。

本来ならば浅間山が見える絶景らしい。




朝から曇り空のおかげで2日目の夏休みの予定変更。

「景色はまたの機会にして」と、夫から勧められたのはなんと富岡製糸場。


「まさかの提案、やった〜」


富岡製糸場は、かねてより訪れたかった場所なのだ。


140年以上経った建物は、世界遺産となり現在も保存されている。

建造物は、木骨煉瓦造で当時そのままの姿で静かにそこに佇んでいた。これが1世紀半近く経ち今もここにあるという不思議。そしてなんと驚くべきことにこの製糸場は昭和62年まで経営されていたという。

つい最近ではないか。







私が生まれた時には 既に亡くなっていた祖母。

この祖母が若かりし頃、製糸場で工女さんをしたことがあると

聞いていた。この祖母に製糸場から贈られたという箪笥が未だ家に置いてある。

この箪笥は既に100年ほど経っているだろう。

当時は仕事の成績により このような報酬も与えられていたらしい。父はこれを処分しようとしない。60代前半に亡くなった母と息子を繋ぐ、唯一 遺されているもの父にとって母親の大切な形見なのだ。


製糸業が盛んだった当時は 山梨にも多くの製糸場があったと聞く。そんなこともあり、私は祖母が仕事をしていた製糸場という所を見てみたかった。







繰糸所内部


訪れた時間が閉館時間に近かったのが幸いだった。

繰糸所内には誰もおらず、すべてを見渡すことができた。

目を閉じて操業していた当時の風景を想像してみる。

機械の音に包まれた若き女性たちが、ひたすら作業に精を出す姿



興味深かったのは、展示されていた当時の工女さんたちの衣服のレプリカ。

着物の姿の時代もあれば、袴姿も。当時は作業しやすく、足元がはだけて見えないように馬乗り袴(ズボンやキュロットのように左右が分かれている構造)が取り入れられていたその後は洋装に変化をしている。




一方、製糸場という場所は劣悪な条件で働かされていた悲話・歴史が同居している。

この場所に立ったのなら

我が国の製糸業の技術の進歩と共に、日本の経済の発展もあったこと、当時の女性の生き様に思いを馳せること

和裁士、着付師として着物の世界の片隅に身を置くものとして、この富岡製糸場の静けさの中であらためて複雑な思いに駆られた瞬間となった。