20歳。和裁の修行に入ると同時に、まるでシャッターを下ろすかのように16年続けた電子オルガン教室をやめた。

時折、開催される発表会、本当は好きではなかった。私はひとりでひたすら演奏することが好きだった。


電子オルガンを習ううち、いつしか私はピアノの美しい音色に心惹かれるようになった。

電子オルガンは、様々な音色でバンドが演奏しているかのような豊かな表現ができる。自分の演奏プラス操作という作業が必要な楽器だ。

一方、ピアノはいたってシンプル。演奏者のその指から紡ぎ出される音色には、演奏者の息づかい、そして人が演奏している実感がある。



人生の様々な自分の役割をこなし、子育ても終盤となった昨年、かねてより夢だったピアノを習うことに決めたある方の一言がきっかけで。


「ここでチャレンジせずにいつやるの?70歳になってからじゃ指は動かないよ。」


仰る通り。

いつかやろうと考えている間に

天国へ戻る日がやってきてしまう。やろうと思った「今」が大事なのだ。


私は、神様が絶妙なタイミングで良い出会いを与えてくださると信じている。ピアノレッスンに関してもしかり。私は素晴らしいピアノの先生との出会いをいただいた。ピアノを人生の中の彩りの一つとして、技術だけでなくその奥深い魅力を教えてくれる先生

異業種ではあるが、講師業という意味では私もこのような講師でありたいと思わずにいられない。

そんな先生のもとで54歳から始めたレッスン。

電子オルガン時代のように指は動かない。まず指の置き方からスタート。

私が練習し始めたのは、ブルグミュラーという練習用の楽譜。

全部で25曲。ピアノ教室に通う子供たちは、これを全部習うことなく 途中で違う楽譜に移行することが多いそうだ。


ブルグミュラーのメロディーはとても美しい。

一年で数曲。一曲一曲進めるごとに、技術の課題が見えてくる。

同じ曲を弾くのでも、その日の体調や心の状態、指先の力加減など、全てが曲に影響する。同じ曲にも関わらず、弾くたびに違うのだ。

ピアノに限らず全ての楽器において プロと言われる演奏者は、聴き手に心身の微細な変化を感じさせずに毎回観客を感動の渦へと導く。これは、私のようなものにしてみると、もはや神レベルでしかない。


50の手習」という言葉があるが、形として成立させるために

ある程度の訓練を必要とすることへのチャレンジは、やはり生半可な気持ちではなく、段階ごとの「小さな覚悟」の繰り返しにより

上達の道を辿るものなのだと

実感している。何より一番大切なのは「途中でやめないという覚悟」これではないだろうか。

やめた途端に前に進むことはなくなるのだから。

そして

その覚悟の向こう側にある

「楽しむこと」

これを忘れてはいけない。