「この帯揚げは、東日本大震災の津波で流されたものです。」


お稽古の時、生徒さんが、身につけている帯揚げを広げた。

その部分には、泥汚れの痕と、値札の数字の色移りがあった。





宮城の ある老舗呉服店。海に程近いこの呉服店は、あの時、津波の被害に遭ったのだ。

しきりにテレビから流れていたあの映像を思い出してみただけで、多くの商品が飲まれ、流されてしまった、あるいはそこにとどまったとしても使い物にならなくなったということは、想像に難くない。


夏に故郷である宮城に帰省した生徒さん。以前からお付き合いのあるこちらの呉服店を訪ねた時に、この帯揚げと出会った。

津波後、商品を見つけて

丁寧にお手入れをしたが、

汚れが落とし切れず残ってしまったという事情を店主から聞いた。


復興した現在、震災後に仕入れられた綺麗な商品はたくさんあるはず。しかし、あえて彼女が選んだものは、この津波を乗り越えた帯揚げだったのだ。


帯揚げは150センチ前後、幅約30センチの絹である。店主は廃棄しようと思えば簡単にできたはず。しかし、それをせずにまたお店に置いたというその思い


あれから10年という歳月、想像を絶する被害を乗り越え、呉服店は今も営業を続けているという。


日本全体の着物業界が先細りと言われる現在、未曾有の大被害を乗り越えて今なお営業している、まさに店主の内なる芯の強さと覚悟を感じざるを得ない。


そして、その波乱を乗り越えて生還した帯揚げを手に入れ、大切に使う生徒さんの思い。そこには店主と生徒さんの『絆』という温かい心が存在する。


きものには、

持ち主の人生の物語、歴史がこもるものだと思う。

帯揚げという一枚の小さな布であるが、壮絶な物語とともに、これから生徒さんの着物姿を

美しく彩り続けていくに違いない。