週末ベニスへ行って来ました。



旦那の実家から車で1時間半。






麦畑をずっと走ります。



隣近所が世界遺産って、ヨーロッパならではで、やっぱり一度5年くらい続けて住んで色々周ってみたいなあ。




船でクロアチアに渡ったりしてみたい。







ベニスは5回目くらいの訪問です。




電車でも車でも、この橋からだんだん見えてくるベニスの街を前に、何度来てもワクワクします。




初めてのベニス訪問なら、私は電車をおすすめします。




電車を降りて駅を出ると、ブワーーーっとベニスの街が広がり、初めて来た時の感動が忘れられないです。








車はベニスの街には入れないので、必ずベニス手前の駐車場に止める必要があり(6時間35ユーロ)、並ぶし狭いしゴミゴミしててあまり感動がないです。











いつ来ても素敵。



初めて来た時から20年ほど経ち、老朽化したなあとも感じます。






香港みたいニコニコ


と言うと旦那ちゃん怒ってた。

なんで??湾仔の一角みたい知らんぷり



今回は旦那ちゃんのクライアントでフロリダにシナゴーグスタイルのお家を建てたい人がいて、写真を撮りにゲットーに行きました。






ベニスには、世界で最初に「ゲットー」と呼ばれるようになったユダヤ人隔離居住区があります






ゲットーへ続く狭い路地。

GPSのない時代にベニスに2回来ていますが、方向音痴も重なり迷いに迷って、いつも行きたいところに辿り着けなかったけれど、(一番有名なサン・マルコ広場に2回とも辿り着けず、ええ?ベニス行ってサンマルコ広場見たことないの??とよく笑われた笑い泣き当時は重いからとガイドブックも持たなかったニヤニヤ)今はGoogle map様様です。



ゲットーエリア



ベニスの商人と呼ばれますが、実は東方貿易の主役はユダヤ人で、当時ベニスにいたユダヤ人たちは迫害を受け重い特別税を課せられていて、その税金でベニスは栄えたそうです。





夜になったらゲットーに閉じ込められ、出ることを禁じていたそうです。

なんだか今のガザ地区のような。。。



ユダヤ人たちは自分たちがされて来たことと同じことをパレスチナ人たちにするのですね。それともまた逆があるかもと怖いのでしょうか。

私たちには分からない重い歴史の歪めがあるのでしょう。






ここでは思っていたシナゴーグ建築の写真が撮れず。





こんな感じかしら。




フラフラとシナゴーグがあるエリアを歩いていると、15年くらい前に一人でベニスに来て、この前のレストランでランチ食べた!!とデジャヴした場所に出会い。





この景色見ながら一人でカンパリ飲んだわーと旦那に言うと、



「君はもの凄い方向音痴で道は覚えないのに、世界中のレストランやショップは覚えているよね。。」



と笑われました。



そうなの。

なぜかレストランと雑貨店よく覚えてるの笑い泣き



あの時はまさかベニス近く生まれのイタリア人と結婚するなんて思わなかったなあ〜。






大学があるエリア。






旦那ちゃんが教会で1時間近く仕事用の写真撮っている間、私はミニスカートとタンクトップだったので教会に入れず。



ここで一人でカンパリ飲みました。




このバーもまた、私の記憶に残るのでしょう。