日本や実家から遠く離れてしまうと、なぜ日本を飛び出したのか、なぜ実家が嫌いだったのかを忘れてしまい、ただ綺麗な思い出だけがよみがえり、故郷に帰りたいと願う。



 

いつもは長くても10日間くらいしか帰れなくて、しかも帰っても大阪におらず友達と長野や北海道にスキーに行ったりして飛び回っていた。

私は実家から逃げている人間だった。



 

今回は、祖母が亡くなり遺産分与の書類作成があり、何十年ぶりに法事に親戚中が集まった。

 

私は10代の時の大学から地方に出ているので、成人してから初めて大阪で仕事をしながら実家や法事に通うという、「普通」の家族の務めをやってみた。

 

大阪では何度も就職しようとして、挫折している。



20代で大阪で一人暮らしもしようとしたけれど、敷金礼金などの金額を考えると結局海外に行ってシェアハウスに住みながら働いた方が自分の夢に近いし何より楽しいと思い、「普通」の人生から外れてしまった。


 

今回、民泊ではあるけれど、1か月アパートを借りて大阪で仕事をしながら過ごせたことは、

 

「どうだ、大阪。私は帰ってきたよ。」

 

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という、昔挫折したことへの復讐というか、どうでもいい自己満足の言葉を、宿から見える通天閣に向けてつぶやいてみたりした。

 

 

初めての大阪一人暮らしは楽しかった。


ショッピングモール内にはたくさんのレストランやフードコートがあって、円安のおかげでUSドルを持つ私にとって天国。


 

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スーパーのお寿司380円(2.5ドル)とか、

 

 

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キャベツとごはんお替り自由なとんかつランチセット1200円(9ドル)。

 

 

と、働きマンにはありがたすぎる、ご飯作らなくていい環境。

せっかくキッチンつきの民泊にしたのに、毎日外食した。
 

 

香港時代は、外食がまだ安かった時で、ホテル勤務で賄いがあったということもあり、アメリカに渡る前の7年間、炊事といえば米を炊く、うどんをゆでるしかしなかった。


洗濯も、近所の洗濯屋に持っていけば、400円で洗って乾燥させて、畳んで返してくれた。

掃除は部屋が狭いので5分で終わる。

 

仕事や旅行、遊ぶことに集中でき、私にはとてもライフスタイルが合っていた。

 

なので、アメリカに来て炊事洗濯掃除、庭仕事までしなくてはならなくて、そこに仕事と勉強なので、遊ぶことができなくなってしまったことに今とても不満がある。(もっと小さな家の都会に住みたいとの希望がある、おかしな人。)

 

今回の日本滞在は、炊事洗濯掃除しなくていい環境で、やっぱりアジアは働く女子にいいなぁと思う。

 

 

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天津飯ランチが780円の5ドル。

 

 

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ラーメンセットも1080円と10ドルしない。

毎日王将。

 

 

電車もバスもきれいだし、接客は素晴らしいし、食べ物天国。

 

 

ただ、1か月もいると、いろいろと見えてきた、日本を飛び出した理由。

 

 

私の家系は、サラリーマンが少なく、商売人が多い。

祖父は戦争のせいで小学校も行っていないと思うけれど、一代で会社を立ち上げて成功させた人。

息子たちは、高卒でも銀行に就職できた時代の、学歴志向が薄い人たち。

バブル時代は、サラリーマン以上の裕福な生活ができていた。

バブルが弾けて仕事がなくなり、今はそうでもない。

 

昔の功績ばかり話して、夢を見ている人たち。

世界を見たこともないのに、テレビで見たことを真に受けて知っているように話す人たち。

 

高卒でも成功してきた人たちなので、昔から女に学歴は必要ないと言われてきた。

家系で日本の大学を出たのは、よく見ると私だけ。

 

今回の集まりで、大学院に通っているとの話をすると、いとこ(女)が、

 

「へ?なんで??今更??ぷっ」

 

と半分馬鹿にしたような口調だったとき、親戚の一員ながらショックだった。

 

「なんで?」

 

とまた聞くので、

 

「お金欲しいから。」

 

と当たり前に答えてあげても、何もつながらない感じだった。

 

 

日本では、学歴をとっても職業につながらないという社会が出来上がっているのだろうなと感じた。

そして頑張る人を励まさない。

 

私の母も、人をよくけなして、それを聞くのが嫌で今回何度も、

 

「人をよくけなしますね。」

 

と母に言ってしまった。

 

そして思い出した、日本に居たころ感じた、生きることへの罪悪感というか、この年で、こんなことしていていいのかな、結婚しなくていいのかな、子供を産まなくていいのかなというプレッシャーがあった。


それが嫌で、飛び出した。


 

家族の中で海外で生きているのは私だけで、



「ねーちゃん、スターバックスってアメリカにもある?口笛


とどこまで世界知らずやねんとおバカな質問まで弟からされてしまうような家族で、


いやいや、ここで私も弟をけなしたら、母と同じなのではないだろうかと思ったり、


大阪なのでそこはのりとつっこみでジョークとして笑い飛ばしてやらないといけないのだろうかとか、いろいろ考えて疲れた。


 

私は私でそれなりに海外で苦労しきたつもりなのだが、男が支えている、旦那が金持ちと自動的に思うみたいで、誰も私に頑張ってるね、という労う人はおらず、そもそも私だけではなく、家族全体的に励まし合う言葉は一切なく、失業しただの離婚しただの、借金があるだの暗い話が多くて、しかも法事であの人が死んだ、この人も死んだ、みんな死んでしまった。。。と不吉な話ばかりでこれまた疲れた。

 

 

友達に会っても、病気だ、鬱だ、生活保護を貰っているだとなんだか浮かない話ばかりで暗くて、

大阪の街はキラキラととても整えられてて、接客の笑顔が素敵だけれど、何か満たされない社会の闇がある。


全体として感じたのは、残業してでも頑張って仕事をして金を稼いでやろう!と思っている人たちが少ない。

 

多分、頑張っても稼げなくなっているから、それなら適度に働いて、国からの助成金や生活保護貰った方が人生楽しいと思っている傾向にあるような気がする。


 

私は香港からアメリカに至るまで、自分次第で勉強して頑張ればある程度のし上がっていけるという環境だったので驚いた。


 

そして、今ちょっとアメリカで勉強と仕事と生活に追われているので、

もし日本に帰って生活をしたら、こんなに頑張らなくてもいいのかも知れない。。。

 

 

と一瞬夢をみて。

 


いやいや、でもでも、

 


 

私はそれで満足するのだろうか。

 


 

と、いろいろと考えることがあったのでした。

 

 

 

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