今回もホテルの話です。
 
 
香港時代はいろいろな事情で書けなかったですが、ネタがいっぱいある結構楽しいホテル勤務でした。
 
 
社長様や芸能人、オリンピック選手、政治家や石油王、やくざの親分みたいな方まで知り合いになれたことは、大都市、アジアのハブ香港で働けたからというのもあります。
 
 
有森○子さんとかショ○タンさんとか名前出せないくらいの超有名歌手たちまでお泊りになった。
 
 
私の問題は、日本を離れて長く、ショ○タンさんとか椎名〇平さんとか帽子を深くかぶって目の前に現れても、
どっかでみたことあるなーー、誰だったっけ?
以前泊まられた方?
と本当に申し訳ないのですが分からず、
パスポートの名前見ても本名だから全然一致せず、
 
椎名〇平さんに、
「俺のこと知らない?」
と聞かれ、
「存じ上げております!いつもありがとうございます!」
と、
俺のこと覚えてるーー?
と聞かれたらいつも答えていたパターンで答えてしまったという苦い思い出が。。
 
 
客室数が400や800の大きなホテルだったので、ニュージーランドの40室の安宿バイトと違い、一人一人のお客様と触れ合うことがなくなり、呼び出されればクレーム対応、お客様の笑顔を見たくてこの職に就いたのに、一従業員の私ではどうすることもできないことが多くて挫折も多かった。
 
 
ただ、本当にたくさんの人種の方々が、しかもお金を持った方たちがいらっしゃったので、毎日刺激的だった。
 
 
中国人が爆買いをしにやって来て、お金をどんどん落とす時代。
シャネルやルイビトンの箱や紙袋を大量にロビーに捨てていくので持ち帰り、一つもブランドバッグを持っていないのに、自室にルイビトンの靴箱タワー棚が出来上がった。
 
 
チップとしてシャネルなどの化粧品頂いたり、フェラガモのポーチ頂いたり。
 
 
アメリカ人は相変わらず、マイ枕をもって旅をしていた。
それどころか、ご宿泊ごとにマットレスを持参(搬入)してくる方がいたり。
どんだけマイベッド好きやねん。。
 
ホテルのベッドが寝心地良かったからとチェックアウト時にお買い上げになる方もいて、ホテルのマットレスって買えるんだーと初めて知った。
 
お金持ちほど値切るの大好きで、難癖付けて値段交渉してくるのは、アメックスのブラックとか、プラチナチタンカードを持っている上級会員、アメリカ人かシンガポール人に多かった。
(サービス悪かったから、この水代タダにしてとかセコいの)
 
金持ちに見えて、値切ったりマイルなどでタダで生きている方もいるようだと知った。
 
 
日本人はその場でクレームせず、帰国後旅行会社や親会社にクレームするので、後処理が大変だった。
その場で言ってくれたら直接のお詫びや解決できることがあるのに、ワンクッション置いて、パソコンがある時代に直筆のお手紙やFAX大好きな人種だと知った。
 
インド人は炊飯器や電子レンジを近所の電気屋で買ってきて部屋で調理を始め、カレーの匂いが廊下に充満しよく注意しに行った。
そしたら英語分からないフリして首を振り、匂いしてるのに炊飯器を隠して料理していない!と白状しない方々。。。
 
マレーシア人の金持ちが増え、彼らはなぜか積み上げる程のペットボトル水を大量にホテルへもってきていた。買ったのか。送るのか。。今でも謎。
 
 
出会いも多く、航空会社の方々も沢山お泊りになるので、お友達になったり、飲みに誘われたり、付き合ったり。。。。
意外に多い、ホテルマンとパイロットの恋愛。。
お互い不定期休日だから時間を合わせやすかった。
 
 
パイロットと付き合っていた時は、彼が家族の枠に入れてくれたので、空席あれば6000円くらいでビジネスに乗れ、ホテルで働くとチェーンホテルに社割で泊まれるので、3000円くらいでシェラトン泊まれ、彼と旅行するとお互いのベネフィット使いあって格安豪華旅行ができた。
 
ファーストクラスに乗せてあげると言われた直後に別れてしまい、乗るまで我慢して付き合えば良かったかしらと今でも考える黒い私。。
 
 
とまあ、体力勝負で朝晩働く仕事ですが、いろんな人に会えて面白いです。
 
 
フロリダまでやってきて、サービス業一色の私の履歴書では業種を変えることができず、またホテルで頑張っています。
できれば、企業で働いたりしたいのですが。。なかなか難しいですね、田舎だし。
 
 
この田舎のアメリカ、ホテルの中でもびっくりすることが沢山。
 
 
また、次回に。
 
 
思い出話に付き合って頂いてありがとうございます。