呉越春秋 湖底の城 | どうもこんにちは 番長です

どうもこんにちは 番長です

本編の重大なネタバレはなしの方向で

みなさんどうもこんばんは!番長です!JPY!

いやー昨日はなんかぐだぐだやってたらデビサバが進みませんでした

なんかちょっと前にUBRでも同じようなことを言った覚えがありますが・・・

とにかくそういうわけで今回はまた新しい試みをやってみます


この記事のタイトルになってるのは宮城谷昌光さんの小説のタイトルです

今日はこの本についてなにか書いてみようと思ってます

今の時点ではこの記事がどんな内容になるのかまったくわかりません


単行本の2巻が28日に発売したばかりなんです

普段僕は基本的に文庫しか買わないんですが・・・

この本だけは文庫化するのを待つことができず買ってしまいました

読んでる途中の小説が別にあったんですが

それも後回しにして読むことにしました

ずいぶん前に買った1巻も読み直し

ついさっき2巻まで読み終わりました

なにが言いたいかというとそれくらい読みたかったということです


中国古代の春秋時代中期から後期にかけて活躍した伍子胥を主人公に

彼の復讐劇を描く小説になるはずなんですが・・・

2巻までではまだ復讐が始まってすらいません

タイトルに呉越春秋とあるのに越の字が一度も出てない気がしますね


春秋戦国時代の復讐劇として有名なのは

なんといっても戦国時代後期の范雎でしょうね

彼は元々魏の重臣に仕える説客だったんですが

スパイの容疑をかけられて半殺しの目にあってしまいます

その上簀巻きにされ便所に投げ込まれるという酷い屈辱にあうのです

番人を言い含め 自分を死んだことにしてなんとか逃げ延びた范雎は

自分を辱めた魏の重臣に復讐することを誓います


名前を変えて秦にもぐりこんだ彼は弁舌で秦の昭襄王に取り入りました

当時の秦は外戚や王の兄弟たちが大きな力を持ち

王の力がとても弱かったんですよね

范雎は王の力を強めなければ秦は危ういと説き 王の信用を得ました

その後無事外戚や兄弟の影響力を一掃し

宰相に任じられた范雎はついに魏への復讐へと乗り出します


彼が王に説いた有名な概念が遠交近攻策です

文字通り遠くの国と仲良くして近くの国を攻めようという戦略ですね

当時は国の領土を面として捉えることがあまりなかったようです

近くの国と結んで遠くの国を攻めて城を落としても

結局維持できずに終わってしまうということがたくさんありました


そもそも戦国時代の中国では

戦国七雄が並び立ち ある種の均衡が保たれていました

つまり他国を攻めるのは外交の一環であり

攻め滅ぼすために攻めるという意識がなかったと思います

あまり勝ちすぎて強くなった国は他の国の連合軍に攻められたりします

そうやって力のバランスが取られてきたわけですね

しかし范雎の遠交近攻策はそのバランスを崩すことができます

近くの国の領土を切り取り確実に力をつけますが

遠くの国とは結んでるために連合軍に攻められることはありません

范雎は国の領土を面として捉えた最初の戦略家であり

秦の優勢をゆるぎないものとした政治家でしょう


そして秦にとって最も近い国とは魏です

秦を強くするための献策をしつつ同時に自分の復讐も遂げるという

とても難しいことをやってのけるわけですね

魏があわてて送り込んできた外交の使者は

范雎がかつて使えていた魏の重臣でした

秦の宰相が范雎だと知ったときの彼はいったいどう思ったでしょうか


宮城谷さんは范雎のことも小説にしています

青雲はるかにという上下巻の文庫になってるのでぜひ読んでみてください

個人の恨みが国際情勢を大きく動かしたという点において

これほど鮮やかな復讐劇はなかなかないと思います



春秋戦国時代の復讐劇として2番目に思いつくのが

この小説の主人公である伍子胥なんです

さっきも書いたとおり春秋時代の中期ごろの話なので

范雎よりはだいぶ昔のお話ですね


彼は楚の名門である伍家の次男として生まれます

彼の父は楚の太子の教育係的なポジションにあり

太子が即位したときには執政になるであろう重臣でした


しかし時の楚王である平王は暗君であり

その寵臣である費無忌はものすごい悪臣でした

あるとき太子の正室として秦の公女を迎えることになり

その使者として費無忌が秦へ向かうことになりました

費無忌は秦の公女が絶世の美女であることを知り

太子にやらずに王の側室にしてはどうかと王をそそのかします

そして王は喜んでそれを実行に移しました

太子からすれば意味不明というか・・・なんなの?って話ですよね


費無忌は太子の恨みを買ってしまったことに気づき

太子の評判を落とそうとやっきになります

王は費無忌の策にまんまとはまり

太子を疎ましく思うようになってしまいました

そして国境の防衛のためという建前のもとに辺地へと送ってしまいます

このへんは秦の始皇帝とその太子の扶蘇の状況に似てるかもしれません

費無忌は止めとばかりに太子が謀反を企てているという噂を立て

それをもっともらしく王に報告するのです

まぁ信じてしまう王も王なんでしょうけどね


こうして教育係である伍子胥の父は捕らえられ

伍子胥と長男の伍尚にも出頭命令が出ます

ふたりが出頭してくれば父の命は助けるという条件付でした

しかし伍家の影響力を考えればそれが罠であることは明白です


そういうわけで伍子胥は国外への逃亡を兄に提案します

しかし伍尚は殺されるとわかっていても父の元へ行くことを選びました

父と伍尚は公開処刑にされ 伍子胥は復讐を心に誓います


彼が逃れたのは楚にとって一番の敵国である呉でした

呉での政変を経て呉王の重臣となった伍子胥は満を持して楚へ攻め込みました

孫子の兵法で有名な孫武の指揮と

楚のことを知り尽くした伍子胥がそろえば負ける要素はありません

連戦連勝し楚の首都を落としてしまうのです


そのときには楚の平王はすでに亡くなっていたので

伍子胥は平王の屍に鞭を打つという非常識なことをしでかしました

屍に鞭打つという故事成語はここから来ているわけですね

この非常識をたしなめたかつての親友に対して

伍子胥は「日暮れて道遠し ゆえに倒行してこれを逆施するのみ」と表現します

年老いてしまったのに目的を達成するにはまだまだ程遠い

だから非常識だとわかっていてもやらずにはいられなかったのだ

というような意味でしょうか

この日暮れて道遠しも故事成語になってますよね



ところで復讐というのは現代では当然やっちゃいけないことですが

古代中国においては倫理的にむしろ正しい行いだったと思います

恨みに対して恩で返すというのは美談に思えますが

儒家の創始者である孔子も論語の中で

恨みには恨みで報いるのが当然であるという主旨のことを言っています

少なくとも官人であればそれが普通のことだったのでしょう


伍子胥の父や兄のように明らかな冤罪の場合は

その復讐に世論がついてきます

実際費無忌はそれが原因で民衆に殺されてしまいました

伍子胥が呉で受け入れられたのもそのあたりが原因でしょう

そういう同情があれば楚軍の矛先も鈍るというものです



好き勝手なことを適当に書いてたらだいぶ遅くなってしまいました

もう完全に朝ですね・・・

こんなことしてるからデビサバが進まないんだって感じがしますね

しかし倒行してこれを逆施するのみです

それじゃあみなさんおやすみなさい!JPB!