内田春菊「幻想の普通少女(マボロシノフツーショウジョ)」には、「幻想の未来」で有名な心理学者・精神分析学者の岸田秀先生との対談が収録されています。

 

マンガ本編では主人公のお母さんが言い放ちます。

 

「ふつーってなに?」

 

この言葉は、群れからはぐれがちな私を、ギリギリのところで支えてきてくれました。

 

私は「普通」を解体できるか…?

 

「幻想の普通少女」©内田春菊、双葉社/KADOKAWA MF文庫

 

1.普通ってどんな立ち位置?

 

正規分布表をお目に掛けます…

例として「ウェクスラー式知能検査」をグラフにします。

 

これは、テスト受験者の平均点が100点で、標準偏差が±15点として作られています。

 

©ぱりさいびと作成、以下同じ

 

このテストでは、いわゆる普通の知能とは85~115であるとされています。

全体の68.2%、2/3がその点数の中に入るわけです。

 

平均的な点数の範囲

 

でも、標準偏差が15ということは、上限と下限の差が30ということです。

 

30点差があって同じグループに思えますか!?

 

「普通」というグループがあるわけではないようです!

 

 

 

ちなみに50%の人が収まる点数範囲を切ってみました。

受験者の50%は90~110点である

 

まあこれがほんとうに「集団の中では平均的」なのだろうと思います。

90~110点の間って…

そこに入るのって結構厳しいですよね?

さらにいえば、平均点の100点って、2.66%しかいないんですよ。

「平均」は狭き門なのです。

「平均」ですら、「普通」とは呼べないのです。

 

2.本当の普通少女

 

そもそも

多くの人の意識の中の「普通」の設定は、こうじゃないかと思うのです。

 

周囲との輪を乱さず、協調性があって、合理的な思考により最適解の行動を選ぶことができ、時に悪戯や失敗をてへぺろ程度に起こす…

 

それは「普通」ではなく「理想」ではないですか?

 

あのですね、そういう人は…このくらいの場所にいます。

20%ほどですね(笑)。

 

期待される普通像(仮)

 

ここで爆弾を投下します。

 

皆さんが「普通」という言葉に思う意味は、なんでしょうか?

 

「普通」とは「平均」のことですか?

 

「普通」ってあこがれますか?

「普通」になりたいですか?

「普通の生活」って「安全」ですか?

「普通の生活」は何気ない喜びにあふれた穏やかな日々ですか?

「失敗」って避けたいですか?

それでも…

「平凡」ってなんだか嫌ですか?

 

ホントの普通とは。

目先のことに引っかかって、一部のご近所や家族親戚とかなりのケンカをしたり、人を泣かせたり、欲張って詐欺にあったり、交通ルールを破り続けてある日とうとう事故に遭ったり、仕事でも時々失敗してしまい、しかも取り繕ったりバックレたりする人。

年をとれば慢性疾患になるような行動や生活習慣を変えられない人。

脅かされれば言うことを聞いてしまい、悪事とわかっててもやってしまう人。

どんなに騙されても喉元過ぎれば熱さを忘れて、同じ行動をしてしまう人。

 

いつものことさ♪総選挙までは覚えちゃいないよね

 

 

ねえ。

平均点の答案って、×ばっかり…と思いませんか?

 

平均点って、ミスだらけなんです。

 

そんな人が集まって、レジリエンス(弾性力)ホメオスタシス(恒常性)を発揮して、何とか世の中を回しているんです。

 

たまに偉い人や素晴らしい人が少しずつ世の中をよくするけれど、悪い人がそれをだーーーっと崩してしまう。

何とかまた立て直すけれど、歴史は結局繰り返すんです

 

文明が進まないうちは、崩落が起こっても建て直せた

しかし、今や、一つの大失敗で文明が一つ二つ滅んでもおかしくないところまで来ています。

過去の失われた文明も、そうやって発展の極致で立て直せない失敗をしたのでしょう。

 

3.普通という幻想に決別を

 

随分「まっとう」から外れているらしい自分の存在は、「普通」から逃げ続けることでようやく息をしてきました。

「普通」という得体のしれない霧の中で、私はもがいてきたのです。

 

しかし、「普通」なんて「ない」のです。

「普通の姿」とは、グループ化するには幅がありすぎる、目指す意味のない概念なのです。

「普通」とは、どこかしら凸凹がある、全然ちゃんとしていないものなのです。

 

ちゃんとしていたら、それは「普通」ではないのです。

「すごい」のです。

 

凸凹と書きましたが、「普通」は欠点や美点を持っているわけでもありません。

周囲との関係性によってそう呼ばれるのです。

「特徴」や「条件」があるだけです。

 

「普通」の人に、ある日無税の10億円がプレゼントされたら、みんなその人を普通と呼ぶでしょうか?

そして「普通」を気取る方々は、そのニュースに何ら思うところはないでしょうか?

あえて言えば、気持ちに波が起こるのが「普通」ではないでしょうか?

そんな条件次第で、「普通」ってひっくり返るものじゃないですか?

人に固有の「普通」という属性があるわけではないのですよ。

 

 

「普通」という、得体のしれない怪しいレッテル。

それは幻想です。

「特徴」や「らしさ」や「傾向」があるだけです。

それを「個性」と呼んでもいい。

 

それを踏まえて、いろいろな議論をきちんと始めようではありませんか!