移植医療の脳死判定では

脳死と心臓死どちらが人の死かと

いまだに議論されます。
 

 

どちらに

「ひと」は

やどるのか。

 

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脳と心臓…

あたまとこころと言い換えても良い✩.*˚

 

「こころ」は頭にありますか?

 

人の真心は

おなかで受け取るものではないでしょうか✩.*˚

 

愛は

胸で感じるものではないでしょうか✩.*˚

 

©ぱりさいびと

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あたまは

身体を動かし

世界に働きかける✩.*˚

時に世界を動かそうとする…

 

あたまは

"ひと"を支配しようとする…

こころの感じるものを

ねじ伏せようとさえする…

 

あたまは

ぐちゃぐちゃな感情を

分かりやすくしようとして

いろいろな言葉で

言い訳を考えたりもします.°ஐ.*

 

 

しかし

こころは騙せない

誤魔化そうとしても

従えることはできない

 

こころは

お腹…

大自然のリズムとともにある

 

そう

おなかは

月に支配されている.*˚☽・:*

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例えば

季節の変わり目には

体に変調が起きるもの。:°ஐ..✩.*˚

"私は大丈夫"と

言い聞かせたところで

それがなくなる訳では無い…

 

あたまで考えても

それは変更できない

 

ひとは

いわば

月のリズムに

支配され

 

花鳥風月に

体を委ねることができるとき

大きな安心感に包まれる…

 

厳しい自然環境の中でさえ

自然の恵みを得た時に

ほっとするもの…

 

©ぱりさいびと

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一方

 

もやもやすることを

整理して

片付けるのは

あたまの役目…

 

整理しなければ

ざわざわ

もやもや

ふわふわ

フラフラが

続くだけ…

 

しかも

それは自分だけのもの

誰にもわかって貰えない。

 

こころの感じたものを

表現して受け入れたり

伝えたりするのは

言葉です…

 

喜びや

感動を

ひとに伝えることは

言葉にして

渡さねばならない✩.*˚

 

そう…

言葉は

脳と心臓の

橋渡しをするものです✩.*˚

 

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私は

月のリズムに

守られているのを感じ

また

月への感謝を

言葉に託して

世に表したい。:°ஐ..♡*

 

 

美しき

月よ

ありがとう☽・:*✩.*˚

 

いつもいつまでも

しあわせを

手のなかにひとつだけ

まもりましょう✩.*˚

 

すべてのひとに祝福を。:°ஐ..♡*

 

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冒頭の問答に戻ると…

 

言葉でまずはきちんと気持ちを交換して

おなかが納得したなら

脳死を受け入れてもいいでしょう…

 

 

おなかが反乱を起こすようなら

 

よしたほうがいいでしょう✩.*˚