はじめに

日本が日本であることを担保する有力なものの一つが「皇室」です。

皇室を失っては、日本が世界に唯一無二と誇るものなど何もない。競争可能な財産などでは意味がない。

日本語と皇室は数少ない本当の財産といえます。

 

先日、敬宮愛子内親王が成人になられました。おめでたいのですが、皇室維持への焦慮が濃くなって参ります。

今上陛下が御譲位なされたら、皇位は秋篠宮家に移ります。

現行の皇室典範では、佳子様と愛子様は宮家を作ることは許されず、ご結婚されたら皇籍を離脱されます。

皇室に継嗣を残せる可能性のある方が悠仁様しかいません。

 

そして「1965年から2006年まで「皇室」には男児は生まれなかった」事実。

急がねばならないのに。

有識者会議ももう何十年もやってるだけのアリバイ召集…

沈む日本をそれでも救えますか(上)

沈む日本をどうして救えますか(中) ~女性宮家~

沈む日本は意識改革で救えますか(下)~人権~

これらは2018年ころ寄稿したものですが、間違いや考察の変化もあり、私のアリバイのため、まとめ直します。

女系継承は経験済み

ご存じの人には苦々しい話をご披露いたしましょうか。

 

壬申の乱で天智天皇の子、大友皇子(謚:弘文天皇)に勝利して位についた天武天皇の妻・鵜野讃良(持統天皇)は天智天皇の娘です。

二人の間の子・草壁皇子と阿閇(持統天皇の異腹妹)は、軽(珂瑠)皇子と氷高内親王をもうけています。「天上の虹」(©里中満智子、講談社)のおかげで、阿閇も日高も身近に感じられます。

草壁皇子は位を継ぐことなく早世します。

しかし、持統の意思は「我が統で皇位を維持する。他の后の子孫には渡さない」です。妹の大田の子(大津皇子)さえ抹殺しました。軽皇子(文武天皇)の即位まで、鵜野讃良(持統天皇)が即位します。

さて、文武天皇と、藤原不比等の娘との間に首皇子(聖武天皇)が誕生しました。しかし、文武天皇も幼い首皇子を残して早世してしまいます。

阿閇は甥の即位まで自ら皇位に立つのです。元明天皇です。

 

 

元正天皇は、天武天皇と持統天皇の孫、元明天皇の娘です。

即位前は氷高内親王と称されました。

養老令継嗣令(757年)の規定「凡そ皇兄弟・皇子は、皆親王と為す(女帝の子も亦同じ。)以外は並に諸王と為す。親王より五世は王の名を得ると雖(いえど)も、皇親の限に在らず。」の規定通り、内親王として即位する資格を携えて育ったのです。

 

そして、幼い首皇子の即位にはいまだ政治的環境が整わない中、高齢を理由に元明天皇は娘の氷高に譲位。氷高は元正天皇として即位します。

 

これ、母から娘へ。夫の没後の継承。すなわち女系継承です。Y染色体とやらは関与していません。

中継ぎとはいえ、日本人にとって、女系継承は経験済みなのです。

 

 

また、天武天皇と持統天皇の間の嫡流は、聖武天皇の娘・称徳天皇(孝謙天皇重祚)をもって断絶し、次の天皇選びに朝廷はずいぶんもめます。なんとか御位を継いだのは、天智天皇の孫で、持統天皇の甥でもある光仁天皇(白壁王)です。皇子たちが次々殺される中、いわばノーマークの安全牌として生き延びていたのです。

白壁王は、自身が天智天皇の孫であることではなく、孝謙女帝の異腹姉・井上内親王(聖武天皇の娘)と結婚しており、天武天皇の血を引く子がいたことが即位のための決め手でありました。これで他の天武天皇の子孫を辛くも抑えて(藤原百川の暗躍があったといわれます)即位に向かいます。天武天皇の子孫が皇太子として立つことが条件とされたわけで、これは、女系継承が目的です。

 

ところが、井上内親王と皇太子・他戸親王は親子ともども嫌疑をかけられ、捕えられ、横死します。以後、天武天皇の子孫は皇位を継がず、皇室の歴史から姿を消し、光仁天皇と渡来人出身の一族の妻との間の子が、桓武天皇として即位します。結果として、天智天皇の血統に、皇統が戻ったのです。

 

 

江戸時代にも。

後水尾天皇に徳川秀忠の娘・和子が入内しました。

当時、直系の男児が途絶えており、紫衣事件など、幕府と鋭く対立していた後水尾天皇は和子との間の娘、女一宮(興子)に譲位します。明正天皇です。

 

中和門院(後水尾天皇の生母)のお言葉です。

「女帝の儀は苦しかるまじき、左様にも候わば、女一宮に御位預けられ、若宮御誕生の上、御譲位あるべき事」。

中和門院は、皇室と徳川家の折衝のど真ん中にいらした方です。その方の認識ですから重要です。

もし明正天皇(徳川秀忠の孫、後水尾天皇娘)に子が生まれていれば、皇位継承の資格は持っていました。

果たして、後水尾上皇には、譲位後多くの御子が生まれ、男子も多く、お三方が即位しました。しかし、徳川家の子孫が男系として皇室を継ぎ、皇室としては女系継承の可能性もあったのです(ただし、日本人の考え方では、在位中は結婚などさせなかったでしょうが)。

 

長々と話してきましたが、言いたいことは男子、そして男系が途切れなく継承されているのではなく、女系継承は必要に応じて選択肢に加えられ、ごく稀に採用されていたということです。

男性優位から男系絶対へ

女性天皇は何人もおられました。おおむね中継ぎと意識されていましたが、上記のように女系継承であった例もあります。なかったことにはなりません。

ただ、結果として男系男子に戻っています。不文律が発動したわけで、男系継承に安堵する本人の心性の根深さを感じます

もし男系男子が明文化されたルールであれば、女性の出番はなかったでしょう。ああ、その前に王朝が断絶していますね

 

上記のように、日本史の中で、ある時期までは女帝も女系も(同時にではない)認められてきました。

しかし、せいぜい「男性優位」だったものが、徐々に「男性絶対」に変えられていきます。それが日本人であると言ってしまえばそうなのですが。←最終章で切ります。

それを完全に明文化したのは1889年、明治の「皇室典範」です。

 

ここに、「大日本國皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ繼承ス」が登場します。ついでに、皇室肥大化につながる「世代数を理由としたでの臣籍降下の廃止」もしました。

 

緊急避難の選択肢としては「あり」だったのに、がちがちに女性を排除したのです。

 

日本人の神話は、始祖をY染色体ではなく、天照大神すなわち女性であると定めたのです。

”神話”を、神話であるがゆえに軽視する意見も見受けられます。

しかし、神話とは真偽を問うものではあるまい。民族の始祖の意識の大事なところを表現したものです。

これが気に入らず、自説に都合の良いものだけを声高に叫び散らし、好きなところから歴史を始めるのなら、ただの横暴です。

 

”皇家は女系に始まる”という神話に拠って立つと言い伝えた先人と、「男が偉い」ではなく「男だけが偉い」と決めた明治政府と、どっちが女性の人権を大事にしそうですか。

(ちなみに第2代首相・黒田清隆は芸者遊びをとがめた妻を切り殺し、警察を動かして隠蔽しようとした。初代伊藤博文は最初の妻を離縁して遊郭の人を後妻に迎え(←デキ婚の責任を取った)、そののちも生涯芸者遊びに明け暮れた)

私は、男女問わず「人を人として扱うこと」を大切な価値と思います。「人を人とも思わない」人に偉そうにされてはたまりません。

旧皇族の皇籍復帰とは

旧皇族はブランドなのか。

というか、ブランチです。それも落とされた枝。

すなわち、即位された方のご兄弟が枝となり、宮家を立て、時期が来れば(数世代を経れば)お役御免となり、臣籍降下していかれたのです。

 

有識者会議で、皇室をつなげる手段の一つとして、「旧皇族の皇籍復帰」が絶えず上がります。

 

昭和22年、昭和天皇の弟である直宮3家(秩父宮家(断絶)、高松宮家(断絶)、三笠宮家)を除いたすべての傍系11宮家が皇籍を離脱。一般国民となり、名字を持ちました。
これを「旧皇族」あるいは「旧宮家」と称します。
桂宮家(断絶)、常陸宮家、高円宮家、秋篠宮家の創設は戦後です。


南北朝合一後の伏見宮家から、降下がされなくなっていきます。「1代限り」のはずが、世襲されていきます。確かに、皇家の養子に入り親王宣下される方もありました。そして上記の通り、明治の旧皇室典範のもとで宮家は増殖していきました。

しかし、戦後、皇室費の削減のため、上記の通り大リストラとなったのでした。もちろん激しい抵抗にあいましたが、昭和天皇の強い決意で断行されました。

 

「旧皇族でなくても皇家の男系の人がいるのでは?」

そう、そんな人は日本に実はいます。2000年の歴史の中で、臣籍降下したりして系図から外れていった人々。Y染色体至上主義であれば、そういう人を探して連れてくることは可能だということです。

 

実はそのような「外科手術」を本邦皇統は何度か行っています。すなわち、「旧皇族の皇籍復帰」も経験済みということです。

 

しかし、なんで誰も手を上げないのでしょうか、この国難に。

 

最も、彼らは一般国民として、70年を経ています(それどころか、上記の通り600年前から臣下の列にある)。もう何世代も生活もお仕事もご家族まで一般国民である方々です。

 

その際、どの程度の家まで復帰を認めるか、その条件はどうやって決めるのでしょう。

どんな思惑や忖度や外部の力が働くか知れたもんじゃありません。ブランドでもあるがゆえに、きな臭い煙はつきまといます。

それとも日本人はそういう貴種醜聞が好きなんでしょうか。自分たちの生活が脅かされても。

なぜその人が選ばれたか、ほかの人はどうだったのか、現代では内緒にしておくわけにはいかないでしょう。

 

復帰したい人がいるなら、架空の話ばかりではなく、話を出した人が責任をもってお連れしてください。有識者会議の結果待ちではなく、有識者会議に報告してください。古の継体天皇、光仁天皇のように。

女性宮家とは

女性皇族が宮家を立てるということは、女性皇族が婿を取って、子孫の即位を可能にするということです。

 

もし「女性宮家」が認められれば、旧皇族の男性も、皇族の女性とご結婚され、その「王婿(おうせい)」として、堂々と[Y染色体]を持って、皇室に入ることができます。それが光仁天皇の通った道筋です。

もっとも、その場合、ライバルを押しのけて、女性皇族(レディー)に選ばれなければなりませんが、頑張ってくださいね。

 

ところで、「婿入り」には悲壮あるいは悲哀を感じるのは、「男性のひ弱さ」ではないかと思います。上皇后陛下(美智子さま)や皇后陛下(雅子さま)の皇室入りのような「男児誕生のプレッシャー」や「バッシング」を覚悟して皇室入りできる男性がどれだけいるか。

 

Y染色体の継承は「切れ目なく」でなくてもいいはずです。すでに切れ目は経験済みですから。

「切れ目なく」を引込めれば、時に女性天皇・女性宮家・女系継承にも頼り、恣意に拠らない旧皇族復帰(強要でない女性皇族との結婚を紹介すること)を「待てる」のではないですか。もしかしたら、悠仁様に双子の男子が生まれるかもしれません。

日本人は女性宮家からの継承より、悠仁親王家の男児誕生を待つでしょうが、セカンドプランなしで「秋篠宮家の男児誕生だけを待つ」のは、皇室の終焉を意味します。

女系継承も制度として作っておいて、待てばよいでしょう。

皇位継承が男子”優先”でもいいから、女性宮家から始めましょう。

そっぽを向かれる男性社会

さて。

妥協の話はこのくらいにして、本筋に参りましょう。

 

私は、旧皇族の皇室入りで苦境を弥縫するのではなく、男女平等の皇室に生まれ変わることを願っています。

血のつながりだけを紡ぎ、男女両系でいいではないかということです。

 

皇族(旧皇族含む)以外の男子を婿に迎えた場合、男系絶対の見方をすれば「Y染色体」が入れ替わったとして、「王朝の交替」と呼ばれる…ようです。

しかし、これこそ、男性優先、いや男性絶対の思想の権化ではないでしょうか。

その物の見方そのものが、現在の苦境を生みました。

皇室が続くためには、Y染色体神話に頼るのではなく(それは比較的新しい神話です! 頼ってる場合ではない)、その前の「皇室は女系から始まる」という神話から始めるべき。それはとりもなおさず、男女の人としての平等を実現することであります。

 

女性がひととして認められれば、皇室に入る女性は「男児を生む」というプレッシャーからも解放されます。同様に、「婿入り」する男性の方のプレッシャーも相当軽減されるはずです。旧皇族の皇籍復帰も、やりやすくなるでしょうね。本末転倒ですが。

 

ところで…

男性は女性に立ててもらって初めて立つことができる。

夜伽の話かと思ったら、国の在り方の根幹でした。

今、そんな社会が女性にそっぽを向かれつつある。

 

今までの社会の在り方をもう支えてもらえなくなったのです。だから少子高齢化が止まらないのではないですか?

そんな一人立ちできない男性が法律を変える勇気を持たないので、皇室も危機を迎えています…

皇室と日本人、このままではゆっくりと確実に滅びます。

 

一人で立てない男たちの言い分を通していたら、国が亡ぶのです。まだわかりませんか?

 

「どうせこの少子高齢社会の日本は滅びるんだから、まず皇室から滅べばいい」というのですか? 

私は足掻きたい。それも、男女平等の国に生まれ変わって。

 


「世界」が好きな人々に申し上げたいのは、Y染色体で続いたものという”細かい”話には「世界」は耳を傾けない、「男女(LGBT)」平等のほうが大切な価値であり、受け入れられる…ということ。

 

「世界の潮流などどうでもいい」という人には、なおさら自分たちにだけわかるという内輪ネタのために国を亡ぼすのはやめてもらいたい。

 

女性に支えてもらう国であることを受け入れること。男尊女卑の価値観の転換。そこから日本の再生は始まります。