一昨年の夜中の「義母のお祈り」事件。
そしてその後に明らかになってきた義母の生活の実態。
栄養不良と陽性症状(妄想)から、かかりつけ医に勧められ、妻は義母を”説得”して、紹介状を貰った心療内科の病院を受診させ、入院となりました。
動きがあったので、先の連載の『その後 』を書き記します。
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入院して4か月後、老健から「空きが出ました」との連絡。
義母は「退院」できるならと、老健入りに同意しました。
病院よりはうちから近いですが、駅からは遠いので、私の車での送迎が続きます。
しかし問題はここからです。
老健はリハビリ施設。義母は「自宅に帰る」ため歩行練習や栄養療法に励むことになるのです。
ですが… 義母は、在宅復帰できるのか。
義母は現状歩行器を利用して、外出に不安はありません。
そもそも外出も好きで、デイケアにも喜んで通っていましたから。
ただ食事と服薬が壊滅しているだけです…
―いや、それはあかんやろ。
入院前の話です。
認知症の進行は、食事のペースを破壊していきました。
おかずは何日も前のものが冷蔵庫で凍っていたり(竹内まりやか?)。
そもそも、もう料理をまともに作るのも難しく、米を炊けなくなっていました。
毎週土曜には娘(ぱり妻)がおかずを持っていきました。
しかし、共働きの私どもには3食見守ることはできません。
義母は配食弁当を「こんなのおいしくない」と一社目から拒否したので、デイケアを週3から週4に増やしましたが、すっぽかしてぱり妻にケアマネさんから電話がかかってくることもたびたびでした。
また、クリニックの受診も、だいぶ前から娘たちの付き添いを拒否していました。
そのため私どもには、義母の糖尿病の状態が把握できなかったのです。
しかも、この「生活の乱れ」に「妄想」が追い打ちをかけました。
神様の声や友人からの電話の声が聞こえて、外に出ていくということが起こっていたのでした。
デイに行く日でも、「呼ばれたから」と(呼ばれてない)、お友達の家に出かけたり。お友達も実際には呼んでないですから不在のこともあります。そうすると義母は(多分)ぷんぷん怒りながら、お腹が空くまで放浪するのです。
その歩行器での放浪っぷりにも、ぱり妻は危機感を覚えていました。
さて老健入所中の現在に戻ります。
ところで、状態を問わなければ、好きに過ごすことは可能…です。私はそんな老人が独居をしている例を多数見ています。
しかしそれは妻の望む姿ではなかったのです。
なんといっても、妻は事故で死んだ父の遺志を継いでいます。
義母を安全に送ること。
そのために義父は入念に準備してきたのです。
今更責任を肩からおろせない妻でした。
「母まで事故で死なせたら、私(ぱり妻)、一生立ち直れない…」
私と妻は何度も話し合いました。
在宅復帰を猛烈に願う義母を、家に帰さないなら、ぱり妻は自分の母に恨まれるであろう。
施設に面会に行くとき、あるいは離床の難しい状態になったとき、そしてもっと認知症が進行したとき。呪いの言葉をかけられるかもしれない、そうしたら妻はとても傷つくだろう。
デイに必ず行けるなら、ヘルパーや訪問看護にも出入りしてもらって、いろんなところに目をつぶって(糖尿病が悪化しても事故にあっても、娘のせいとは言わないだろう)、気ままに過ごしてもらってもいいのではないかといいました。
妻は、「あなた(ぱり)は私を責めてるみたい」といって泣きました。
「私には無理…」
それが限界でした。
これ以上、私の思いを押し付けることは、おそらく夫婦の危機です。
私にとって守るべき順位は、残念ながら義母の自由ではなく、妻との仲です。
(続く)