小原國芳は「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」とした。
知恵を何に使うか、それを「方向性」とする。
すなわち、何を最終目標に定めて生きるか、何を満足とするか、決めるのは「方向性」である。
方向性を決めるのは、各人の価値観。
各人が「愛」を求めるならば、おのずと、生き方はそうなる。
そうすると、愛を求めない知恵は、その人を愛に行きつかせないわけである。
それで大丈夫なのか。
声を大にして言う。
知恵を発揮するならば、愛なくば立たず。
しかし知恵なき愛は盲信。
四方八方のこの世の矛盾に、あっという間にがんじがらめになるであろう。
方向性を決めるために、あるいは方向性を決めたならどう進むか、それを考える…あるいは情報を集めて決定するのが「知恵」である。
石工の逸話。
ある人が黙々と石を削り、積む石工に問うた。
初めのものは「石を積んでいるよ」と答えた。
二番目は「丈夫で立派な教会を作っています」と答えた。
三番目は「このまちの信仰を支えています」と答えた。
誰の顔が最も輝いていたであろうか。
三番目の石工に崇高なる目標を与えたのは、石工の愛であろう。
ならば、その監督者の愛とは、すべての石工に、その目的を教えることだ。
そのために、安全を図り、確実な仕入れ先を確保することだ。
愛なくば、いつか知恵は崩壊し、雲散霧消することであろう。
さて。
人が宇宙を見るとき。
そこにあるのは太陽であろうか、月であろうか。
月の統べる夜空ではなかろうか(月不在かもしれないが)。
そう、人類が宇宙への道の第一歩として目指したのは月であった。
宇宙への航路。宇宙の文学と神話。
それは月への愛によって、動き始めたのである。
崇高なる月に、愛を捧げる。