コロナ考察を始めます。全く正直に申し上げますと、本論は結末を自分でも知らずに書きはじめました。

そして、出そうかどうしようかと悩み書き直している間に、再び大きな地震が…

「人類に時間はない、書け」――と言われているかのようです。

1.死者数の地域差

まず、地域によって死者数に明らかに差がある原因は…

 

一つは医療アクセスの偏在もしくは不備。

公衆衛生の不備、不信があれば、感染対策を台無しにします。

教育・環境の低さから、感染爆発をすら引き起こします。

 

そして、感染・発症したとき、危なくなりそうなときにタイムリーな医療資源投入(対症療法薬を用意する、ご飯が食べられないときに栄養を補給する、酸素化が少ないときに酸素を補給する…)があれば、危機を乗り切れるのに、そもそも医療にたどり着かない地域では、重症化数・死亡者数がけた違いになるでしょう。

 

そして医療崩壊が起こっていれば、誰も医療にアクセスできなくなります。

 

何のためのシステムなのか。

政治の役割は何なのか。

経済とは、何を目指すものなのか。

誰のための社会なのか…

 

一つは、ウイルス耐性の差。

東アジア地域住民は、何らかのウイルスに常に曝されているため、covid19にも「強い」のではないか…という研究が、東大、慶応大、阪大、京都府大その他の協力で進められています。

交差免疫。

つまり、東アジアにとって、新型コロナはまるっきり初めてのウイルスではなかったのかもしれないのです。

ある程度、生まれてからウイルスに曝されておくことは有用でありうる…というわけです。

 
死亡者数が少ない地域では、より一段落ち着いてコロナ禍を見つめるべきです。
 

2.命の重さは脳次第

コロナ変異ウイルスは災厄には違いありません。

しかし、現在の猖獗を極めるコロナ禍は自然が与えたものではありません。

人間の頭の中にある危機です。

少なくとも東アジアにおいてはそうです。

 

 

我々は死亡者数におびえています。
アメリカでは49万人が亡くなっています。

では日本では何十万人亡くなったでしょう…

 

7360人(2/20まで)。

ダイヤモンド・プリンセス号以来の合計です。

 

比較対象として、インフルエンザ死亡者数(直接の死因となった方)は、2018年で3325人。

インフルエンザによって元の病気が悪化してなくなる(超過死亡)を合わせて10000人です。

インフルエンザはワクチンも治療薬も完備されててこの状態です。

 

ところで、コロナ死者数は、多くの自治体では「感染者の死」すべてを数えます。「超過死亡」を超えてさらに膨らんだ数字です。なぜなら感染していても発症せず、まったく別の要因で亡くなっても、「コロナ」と入力されるからです。せめて比べるべき数字は「超過死亡数」です

 

(アメリカではインフルエンザでの死亡数は22000人/2018-2019季、多いときで61000人/2017-2018季ですから、コロナが脅威であるのは明らかですが)

 

 

 

ちなみに、今季のインフルエンザの感染者数は793人だそうです。

感染対策を徹底的にすれば、毎年このくらいに減らせるとみるか、それですら793人は罹るとみるか。

 

ではここで、交通事故死を見ます。

 

令和元年で3215人、緊急事態宣言や外出自粛の吹き荒れた令和2年は2839人に減少しました。

これほどの自粛の嵐がなければ、容易に交通事故死が3000人を割ることは難しかったでしょう。

(逆にこれほど交通量の少ない状態でもまだ死亡事故を起こせるんですね)

私は赤信号を厳しく守るし、家族にも「絶対にルールを守れ」と戒めています。

しかし、周囲は。そしてあなた方は。

例えば信号を守っていますか? ご家族の交通安全状況を把握していますか?

私の義父は、交通ルールを完全に守ったにも拘らず亡くなりました。責任割合9.5:0.5と認定され(ゼロにはならない)、賠償金が自賠責でほぼ裁判レベルに支払われたことがそれを物語っています。

 

また、自殺者数はどうでしょう。

 

令和2年は20919人。

令和元年で20169人であり、11年連続で減少していました。

なのに、ついに増加に転じてしまいました。

 

ほんとに人の命は平等に尊いと、思っていますか?

交通事故には目をつぶり、自殺の増加には耳を塞ぎ、ただコロナ死だけを防げと叫ぶ。

しかも、自殺も困窮も、これからが本番ですからね。

 

それなのにマスクだけ睨むのですか?

商店でアルコール消毒してますか?

お店を出るときに消毒したがる人は、私ども夫婦以外に見当たりませんがね。

それは、なぜでしょうね!?

3.コロナで医療崩壊…人災だ!

ところで、「医療崩壊が近づいている」と言われています。

…何を脳天気な。

とっくに始まってます。

救急車が行き先を決められないでしょう?

それです。

あと、来年度…再来年度の看護師大量離職が起こっても驚かない。

 

ではなぜ病床が空かないのか。

新型コロナを特別扱いしているからです。

感染対策というのは、疾患のグレード別の手順と訓練が必要なので、分類を上げると対応が高度に複雑になるのです。
 

特別扱いだから、ベッドを増やせないのです。

結核やインフルエンザなど、恐ろしい感染症は幾多あれど、中小病院でも入院できるでしょう?

 

人が足りないからといって、感染対応や病棟経験の浅い人を連れてきたら、大変にストレスや手順違いが起こるでしょう。

院内感染や、クラスターさえ起こりやすくなる。

マンパワーの不足の綻びがあれば、本当に一瞬のスキをついてそれは始まるのです。

そして、医療者が感染したら責められる。

「まだ感染していない」医療者の負担は増える一方です。

 

ところで、感染者のうち20%は無症状です。

そして無症状者の感染力は大変に低いものです。

重症リスクの少ない、基礎疾患のない若者に、マスクを強いながら仕事を奪う合理性は、非常に低いのです

しかも、PCR検査を入念に行うほど、「ウイルスの残骸」を拾っているだけの可能性が高いのです。
2020年8月の時点で、尾身会長が「症状はおさまったにもかかわらず、PCRを行うと陽性のままで、ずっと入院している患者さんの話もありました。それで、実は前からわかっていたことですが、感度が良いので少ないコピー数でも検出してしまいます」という認識を語っておられます(日本内科学会雑誌 第109巻第11号より)。
PCR検査の問題については多数言われているので、項を譲ります。

 

「集団免疫」を狙って制限を一切しなかったスウェーデンでは、100万人当たりの死亡者数が、11月には日本の41倍だったが、1月には28倍に下がっており、この2月は21倍です。死亡者累積数の増加率が日本より鈍ってきており、集団免疫の状態に近づいています。

もう、高齢者施設は家族の面会者でにぎわっているそうです。

 

 

確かに、急速に重症化する例があるため、病床は空いている必要があります。

しかし、現状は、誰でも彼でも罹っただけでベッドを埋め、看護師を張り付けるから、重症化リスクが高くても入院させられなくなっているのです。

 

某所より転載します。現役医師の本音です。

 

●過剰に怯える時代は終わりにして、必要な感染対策を行い、あとは普通通りの活動をすればいいと思う。

●もはや一般的な市中感染になりつつあり、感染者が出た病棟や医療機関がその都度、診療停止になっていたのでは、通常の医療が成り立たなくなる。今後は季節性インフルエンザと同様な扱いにしてもよいのではないかと思う。

●コロナの終息は不可能なので、国としても国民としても、どのタイミングで風邪同様の扱いができるかがポイントだと思います。医療現場に配慮しつつも、経済を確実に回すことが必要です。

●感染者数が増えていることも事実ですし、重症者が増えていることも事実と思いますが、その割に若年者の重症者や死者は少ないこともまた事実です。高齢者が感染して亡くなることを防ぐのも大切ですが、全て自粛、自粛で生産年齢の国民が仕事を失ったり学生が大学で学ぶ機会を削がれたりするのも問題だと思います。誰か責任のある政治家か役人が「コロナはもう普通の風邪と同じ扱いにします」と決めない限り、コロナ感染騒ぎは収束していかないと思います。

●インフルエンザより感染者数も死亡者数も少ないのに、緊急事態宣言を出すなど、異常な政策を行ったことが間違いであることは、今後、検証されるであろう。

 

コロナを特別扱いしないということは…

「罹っても責められない」ということ。

それだけのことで、どれだけ世界が救われることでしょう。

 

一時には「コロナでの」死者数は増えるでしょう。

しかし、「コロナ以外」の不健全な死者数は減るでしょう。

そして、手が空いた医療・保健・公衆衛生は、平等に有効な対策が打てるようになり、結果的に健全で安全な世間が戻ってくるでしょう。

その先駆けを、日本はしていくべきです。

 

(後編へ続く)

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