父の日にもうしてやれることがない。
思い出すだけです。


私も妻も。
一昨年は夫婦とも父を亡くしましたから。

長男と長女ですので、夫婦で喪主を務めました。

私は先日三回忌、妻は年末に三回忌です。


残された母の生活を立て直すのに必死で、泣いている暇などありませんでしたけれど。
自分の中に父の痕跡を見つけるたび、続きを生きていることを自覚します。

父方の親戚との付き合いもぐっと増えました。

叔父、叔母たちも体にガタが来て、気弱になっているものが多いです。

コロナの自粛の中、体の自由の利く私は府内の神社で入手したお守りを皆に送りました。

父の代わりに、父から送ったものだと思っています。

 

父は料理が上手でしたが、私はおかげさまで、料理をせずに過ごしています。

(できるんですよ?)

 

仕事人間で、家ではモテるところなど想像できなかったけれど、実は源氏物語の”頭中将(とうのちゅうじょう)”張りに、”光源氏”を相手に恋のさや当てをしていたらしいです。

死後知らされた一面です。

私は盛り場や色街には出入りしないので、そのようなことはないのだけれど。

特に驚きはしなかったのはなぜかしら。